左官屋
[左官屋の兄ちゃん×両親の帰りをずっと待つ女子大生]
#深夜の真剣物書き120分一本勝負 参加作品
お題「メッキが剥げる」、「ブラスト」、「漆喰」
#世界亀の日 記念
「今度はここの壁がね」
サンダルばきの麗葉はそう言って、漆喰の外壁を指さす。風が吹くだけでぼろぼろと砂粒が落ちる。
下地の細縄が見えているそこを覗き込んで、「ああ、1時間くらいすかね」と俺は答えた。
他人行儀に「よろしくお願いします」と頭を下げた麗葉に了承の返事をして、俺は犬走のコンクリの上にブルーシートを広げた。そこへ、コテやらなんやら仕事道具を並べていく。
「水もらいます」
一言断ってから、散水ホースをつかんで蛇口を握ったところで、縁側に腰かけていた麗葉がぽつりと言った。
「建て替えればいいのに、って、思ってるでしょ」
「なんも言ってねーし、ていうか俺はちょこまか直すほうが儲かる」
少し間があって、ふぅん、と感情の読みにくい短い答え。
サンダルが砂利を踏みしめる音がして、数歩分遠ざかる。
「私は亀の水代えよ」
俺が置いたばかりのホースを引き寄せ、麗葉は緑色に濁った水槽をのぞきこむ。
俺は脆くなっている部分の漆喰を取り除きながら、背後の水音をBGM代わりに聞く。
「なぁそれ1匹目? 長生きだな」
「ああ、あんときキミもいたっけ」
小学生のとき、夏祭りの露店で買ったものだ。
ふわりと香る線香のにおい。カーテンの向こうはリビングで、でかい仏壇が見える。真新しい遺影の人物は、つい先月まで元気よく買い物に行く姿をちらほら見かけていたーー彼女の父方の祖母だ。
ふと思い立って、俺は立ちあがって麗葉を呼んだ。
「これちょっと待ちなんで、その間に線香、いい?」
「こないだやったでしょ」
「そういうもんだっけ。……ああ、いっちょまえに警戒してんのか、痛って」
俺のスネを蹴り飛ばした少女は、サンダルを雑に放りだしたまま縁側にあがり、結霜ガラスの戸をからりと開けた。手を洗ってから、俺もそのあとに続く。
アップライトピアノの脇に、サンドブラスト加工で水玉模様の描かれたランプ。すっかりメッキの剥がれたテレビ台の上に鎮座するのは、29型のブラウン管テレビ。
昭和のまま、時が止まったような部屋だ。小学生のとき登校班メンバー全員で押しかけたときと、驚くほど何も変わらない部屋。
電話台の横に立つコートかけには、成人男女二人分の上着。古臭いデザインのそれも、クリーニングを繰り返してはいるが、ずっと掛けられたまま。麗葉の両親のものだ。
彼らは、麗葉が小学生のときに二人揃って出て行ったきりで、理由も連絡先もずっと不明らしい。ばあさんが何度か興信所を雇って調べたけど結局なにも分からなかったのだと、どこから聞きつけたのやら、三度の飯より噂好きのうちのオフクロが言っていた。何年か前に。
俺はその横、長押に真新しいリクルートスーツが掛かっているのを見つけた。足元にはA4サイズの黒い鞄。
「そいや内定おめでと。商社だっけ」
「なんで知っ……親との仲の良さ、おかしくない?」
「あっちが勝手に話してくんだよ。ーーなぁ女子大生、今ちょっとスーツいっぺん着」
「ヘンタイ」
「ケッペキ」
と、玄関のほうから、ごとんと物音がした。はっと顔を上げた麗葉が俊敏に部屋を出ていって、すぐに何事もなかったように戻ってくる。
だから、俺も特に何も言わない。
十中八九、ただの自販機の音だ。この家の前、門の右横には自販機が一台置かれていて、ここらにはコンビニがないから俺も良く使う。車通りの少ない日なんかに一本買うと、麗葉が玄関から飛び出してくる。そういうときは、絶対に頭を上げずに、わざと大きな音を立てて商品を取り出すのだ。
それで、少女は小さく息を吐いて、家の中に戻っていくから。
麗葉が台所に消えたところで、俺は仏壇へ。線香をあげて、両手を合わせて目を閉じる。
ひどく静かな家だ。広い家だ。
口うるさい両親と弟妹たちが常に大騒ぎしている(そしていつもいつも大家の婆さんに怒られる)せっまいアパート暮らしの我が家とは、えらい違いだ。
俺は顔を上げてーー子ども時代の麗葉の身長がいくつも刻まれた太い柱の、すこし上のほうに貼られた、今月分の真っ白なカレンダーを眺める。
「なぁ。正月さ、初詣行くか」
「は?」
妥当なリアクションだ。この20ウン年、この年下のご近所さんに、そんなこと言ったことなんて、そんなそぶりを見せたことすら、一度もないんだから。
俺は後頭部を乱暴に掻きながら、目を逸らし、まるで浮気のばれた亭主みたいに歯切れ悪くもごもごと言った。
「お前は、もう充分すぎるくらい祈ってんだろうけど、……なんつうの、今更だけど、俺もなにかしたいっていうか」
目の前の薄い肩がゆっくりと上下する。
「何、いきなり」
「別に」俺は縁側のほうに目を向けた。「……ほら、俺んち、中卒の左官屋だろ」
「何いきなり」
この仕事も嫌いじゃない。将来の夢を聞かれるようになった小学校低学年のあたりから、漠然と、中学を卒業したら親父と同じ仕事をするんだと思っていた。だけどーー
家族にも友だちにも誰にも一度だって言わなかった。中学三年の進路相談でも一言も話題に出さなかったけどーー高校進学という選択肢にも、実はけっこう興味があった。
でも、俺は諦めた。
当時はそれなりに悩んだつもりでいたけれど、今にして思えば結構あっさりと、だ。
家のせいに、親のせいに、環境のせいにして。
麗葉のように、こんなふうにずっと長く何かを望むことは、俺にはできないから。
うまく言えないけどーー眩しい、と思った。
黙り込んだ俺が玄関のほうを見ていることに気づいて、麗葉がさっと表情を曇らせて、
「はいはい、仕事の続き」
ぐいぐいと俺の背中を押して庭に向かわせる。
建て付けの悪いガラス戸を引き開けながら、俺は麗葉の名前を呼んだ。
「なぁーー俺は、知ってるからな」
背中を押す手が、少しゆるんだ。
「……それで、充分」
「そか」
くぐもった声を聞きながら、俺は青空を見上げて笑う。
「よし、今度デートすっか」
「寿司」
「即答かよ。回るやつでいいか、いいよな」
「パック寿司でいーよ」
「あ、それなら、刺身と海苔買って俺ん家で手巻き大会やるか? ちょっとうるさいけど」
『ちょっと』どころじゃないことをもちろん知ってる麗葉の頬が、ぱっと高揚したのをもちろん見逃さず、俺は笑ってその小さく丸い後頭部に手を乗せた。




