07 神域へ
神域とは。考えようとしても答えは出ない。
それどころか、いつもより早足になるソーラが心配で、一真は気が気でなかった。
「ソーラ姫」
名を呼んで手を差し出そうとする一真に、ソーラは手のひらを向ける。
「いいえ、歩きます。こんな日にまで人の手を借りるのは、私の気が済みません」
歩くのを止めないソーラに一真は何も言い返せない。
「こんな日にまでって」
と呟いて手を下ろすしか出来なかった。
「こんな日だからこそ、です」
その呟きをソーラは拾う。
ソーラは歩みを止めない。
いつもより速く大きく、杖が床を突く音が響く。
ソーラの背を追う一真は、ソーラの言葉が分からない。
今日は特別な日になった、と言うことなのだろうか。
一真の中では答えは出ない。
先ほどから、いつもなら大抵居るはずの侍女や侍従に出会わない。
すれ違うことすら、しない。
ソーラの歩みは宮殿の中央へと向かっているのに、だ。
「まさかこの先って」
「神域です」
ソーラの答えは変わらない。
「で、ですがこの先は謁見の間では」
一真にはソーラの向かっている先が謁見の間に思えるのだ。
宮殿の中央、この国の王が座し誰かに謁見される場所、のはず。
「ええ。間違ってはいません。
向かっているのは、その先です」
「その先、ですか?」
「はい」
短い肯定を最後に、ソーラは黙す。
歩きながら見るソーラの横顔に、一真はそれ以上何も訊けなかった。
常よりも遅い歩きで、一真はソーラの横を歩く。
何も訊けず、何も言えない、何も手を出せない。
なのに、真っ直ぐ前を見て脚をかばうように歩くソーラを、見ることしか出来ないのだ。
一真はもう一度口を出そうとして、辞めた。
一真が持つ説得の材料は、ない。
可哀想だとか、辛そうだとか、怒らせてしまう。
より速く行くためにとか、怪我をしないためにとか、ソーラは望まない。
一真はただ、せめて横をついて行くしかなかった。
一真がソーラの隣を悩みながら歩いている内に、謁見の間の扉が見えてきた。
扉の前には侍女が二人、控えている。
「お待ちしておりました」
一真の顔見知りでもある侍女たちは、扉に手を掛け、引き開けた。
観音開きの扉を、一枚ずつ。
「さ、中に」
「あ、ありがとう」
一真は二人に礼を言った。
ソーラは何も言わず、杖を突きながら扉の真ん中をくぐる。
おかしい。
一真は一瞬、そう想った。
どんな些細なことにも、ソーラは礼を言う女性、のはずだ。
侍女の些細な善意、侍従の当然の敬意、そんなことにも礼を言っていた。
表情をかけらも変えず、ゆっくりと突き進むソーラを目にした一真は立ち止まる。
扉の前で立ち止まってしまう。
「カズマさんもほら、先に」
この世界に来てからの二週間、名前を教えて貰い、仲良くしてきた侍女が、冷たく言う。
一真の思い込みか、冷たい急かしだと一真は感じたのだ。
「あ、あぁ」
思わず常の敬語を忘れ、頷く。
すぐに首を振って、続けて言った。
「分かりました」
それだけ絞り出すと、謁見の間に入ったソーラを追って一真は歩みを進める。
一真が謁見の間に入ると、扉を開けた二人の侍女が早歩きでソーラを追い抜いた。
一真はソーラの後ろから二、三歩大きく歩いてソーラのよこに付く。
ソーラの口は一文字に占められていた。
侍女はそのまま歩いて行き、謁見の間の玉座よりも奥に入っていく。
一真が初めて入った謁見の間は、想像よりも広くない。
一真の印象としては学校の教室を縦に二つ分、くらいの広さだ。
落ち着いた深い赤色の長い敷布が、奥の玉座の下から扉まで敷かれている。
玉座の前には段差が二段ほどあり、中央にはスロープになる板が今は置かれていた。
アーチ状の天井は高く、アーチの始まる位置には窓が並んでいる。
木製の窓蓋を開閉出来るよう、梯子を据えられた通路もあった。
そして玉座の後ろに、大きな扉があり、侍女たちはその扉の前で待っている。
「あの扉の先が、神域です」
一真の前を杖を突いて歩くソーラが、言った。
「前に来た稀人も、あの扉が気になったそうですよ」
一真の疑問を先んじてソーラは答える。
「記録の通り、ですね」
不思議と一真はソーラの声に高揚を感じた。
スロープの板をソーラの杖が付き、硬い音が響く。
ソーラは立ち止まって俯いた。
一真はソーラの斜め後ろから見る。
一真にはソーラが板をにらむように見えた。
「体を貸して下さい」
ソーラが一真に振り向いて言う。
「はい」
一真はソーラの左横に立って右腕を体から離すように少しだけあげた。
ソーラは杖を持たない左腕を、一真の右腕にしがみつくように絡める。
「すみません。
坂は、少し怖くて」
ゆったりとした幅広の服に包まれたソーラの腕は、服越しに細さを一真の腕に伝えた。
か細い、という表現が適切な弱々しさに、一真は心持ち緊張する。
きゅっ、と袖を強く握られ、肘の辺りに豊かでやわらかいものが押しつけられた。
呼吸を深くして、一真は喜色に染まりそうになる表情を抑える。
杖に合わせ、一真は一歩、脚を前に動かした。
謁見の間の段差は急で一段が高く、幅も狭い。
ソーラが歩くには辛いだろう。
だからこそのスロープの設置なのだろうが、一真にはこれが酷く思えた。
ごっ、と、重い音が鳴って一真の思考は中断する。
音の鳴った辺りはソーラのスカートで見えない。
ソーラが杖を突くので、慌てて一真は前に歩を進めた。
ソーラのスカートが揺らぎ、重い物を板の上に置くような、重い音がした。
「気になりますか?」
ソーラが俯いたまま言う。
「えっ、いや、その」
「いいんですよ。
ただ、足を守るために硬くて重い特別な靴を履いているだけです」
一真が言いよどむ内に、ソーラは言い切った。
「スカートを上げただけで見えるような足ではありませんから」
ソーラは杖を前に突く。
一真は何も言えないままに、一歩踏み出した。
一真はソーラの顔を、見る勇気を失う。
どんな表情なのか、怖かったのだ。
いや違う、一真は動きには出さずその思考を否定する。
ソーラとは反対に顔を向けた理由はただ一つ。表情を見られたくない、それだけだ。
足元をみるソーラが一真の顔を観るわけがない。
分かっていても、一真は顔を背けたかった。
かわいそうに、だとか。
つらいだろうに、だとか。
そんな同情を向けて、ソーラを傷つけるのが今は何よりも一真には嫌だった。
一真が悩む内にも、歩は進む。そしてスロープは終わった。
「ありがとうございます」
ソーラが一真から腕を放す。
「光栄です」
ソーラは杖を突いて、玉座を迂回するように歩き出した。
一真はソーラの後ろを追うように歩く。
近くで見る奥の扉は、一真の背を倍したような高さまであった。
ソーラと一真が近づくのを見て、侍女たちは扉に手を掛ける。
取っ手に両手を添え、後ろに体重を倒れるほどに力一杯引っ張った。
ソーラが玉座の横を通り過ぎる辺りで、扉が重い軋みを立てて動き始める。
開き始めた扉の隙間から光が漏れ出た。
「カズマさん」
開け放たれつつある扉の前に立ち、ソーラは一真に振り向いて言う。
「この先が、この宮殿で一番重要な場所、神域です」
一真も立ち止まって、光の向こうを見た。
溢れるほどの光が次第に落ち着いていき、そこにあるものが一真にも分かるようになってくる。
宮殿とは違う造りの広い空間だった。
「来たか、ソーラ」
そしてそこに、一度だけ会ったいや、謁見した男がいる。
「そしてカズマくんも」
その男は輝くほどに白いローブを着ていた。
そしてカズマには見慣れない形の装飾を身につけている。
この国の王、ラミカム・ゼクセリアだ。
恐らく次回、ロボがでます。やっと。
バトルはないです。