番外編 何度も生まれ変わったのに、初めての恋人らしい時間
婚約してからも、すぐに何もかもが変わるわけではなかった。
それは少し考えれば当然のことだ。
ルミナリアは相変わらずエルセリア公爵家の令嬢で、学園にも通っている。ゼインもまた、役目を持ち、やるべき仕事を抱えている。家が変わるわけでもなければ、朝から晩まで二人きりになれるわけでもない。
まして、二人とも“ようやく結ばれた恋人”という立場に対して、必要以上に浮かれた振る舞いができる性格ではなかった。
――少なくとも、本人たちはそう思っていた。けれど、周囲から見れば、十分すぎるほど変わっていた。
まず、空気が違う。
前は、どう見ても何かあるのに、それを互いに飲み込んでいる距離感だった。視線は交わるのに、言葉は足りない。近づきたいのに、踏み込まない。そういう、妙に張りつめた美しさがあった。
今は違う。
張りつめてはいない。そのかわり、ひどく静かに甘い。
例えば庭を歩いていても、ルミナリアが少し振り返れば、ゼインはもうそこにいる。ゼインが何か言えば、ルミナリアは前よりほんの少しだけ表情をやわらげる。指先が触れるか触れないかの距離にいるだけで、空気がもう別物だ。
しかも当人たちは、あまり自覚がなさそうなのがまた困る。
何度も生まれ変わった果てにようやく結ばれた二人なので、侍女たちとしては「もっと見せていただいて結構なのですが」と思わなくもないのだが、まあそれはそれとして、今の慎ましやかな甘さも十分に破壊力があった。
そして、その日。
ルミナリアは、初めてゼインと“恋人らしい時間”を過ごすつもりでいた。
きちんと約束をしたわけではない。何時にどこで会いましょうと決めたわけでもない。ただ、昨日の夕方、別れ際にルミナリアが言ったのだ。
「明日の午後、東の庭に行くわ」
それだけを。
そしてゼインが、「分かった」と短く答えた。
それだけ。でも、それで十分だった。
*
東の庭は、別邸の中でもとりわけ静かな場所だった。
南側の華やかな薔薇園と違って、こちらは背の高い木々と低い生垣に囲まれており、人目につきにくい。春から初夏にかけて白い小花が咲き、芝の上にはやわらかな木漏れ日が落ちる。広くはないが、風がやさしく通るので、ルミナリアは昔からこの庭を好んでいた。
ただ、昔の“好み”と、今のそれは少し違う。
今はここが好きなのではない。ここでゼインと過ごせると思うと、好きになるのだ。
そう考えて、ルミナリアは少しだけ頬が熱くなる。
恋人になってから、自分が案外単純だと気づく瞬間が増えた。昔はもっと冷静だと思っていたのに。いや、もしかするとずっと前から単純だったのかもしれない。ただ、何度も届かなかったから、素直にそう認める暇がなかっただけで。
東屋のそばにある白い鉄脚のテーブルには、すでに侍女たちが茶器を整えていた。今日の茶葉は、ルミナリアの好きなやや軽めの香りのものだ。焼き菓子も二人分だけ。果物のタルトは小ぶりで、午後の光によく似合う色をしている。
ミレイユが最後のカップを整えながら、控えめに微笑んだ。
「風がちょうどよろしゅうございます」
「そうね」
ルミナリアはできるだけ平静に答えた。
だが、たぶん侍女には見抜かれている。
今日の自分が、少しだけ浮き足立っていることくらい。
着ているのは派手なドレスではない。淡いアイボリーの昼用ドレスで、刺繍も控えめだ。けれど、布地は柔らかく、風に揺れるたびやさしく光を返す。髪もきっちり上げるのではなく、少しだけ下ろしたまとめ方にした。
どうしてかと問われれば、答えは簡単だ。
ゼインに、やわらかく見えたかった。
そう思った時点で、ルミナリアはもう十分に恋する女だった。
侍女たちが一礼して下がる。完全に姿を消すわけではないが、必要以上に近くへは寄らない。空気を読んだ完璧な距離だ。
ルミナリアはテーブルにつき、ひとりでカップへ手を伸ばした。
少しだけ緊張している。
なにを今さら、と思う。もう婚約しているのだ。互いの気持ちも確認し合っている。キスだってした。
なのに、こうして“ちゃんと会う約束をした午後”というだけで、妙に胸が落ち着かない。
これまで何度も生まれ変わってきたのに、こういう普通の時間だけは、本当に初めてなのだ。
王女だった頃は、会うたびに秘密めいていた。祭りの夜も、礼拝堂も、どの人生も“偶然”や“最後かもしれない時間”の中にしか二人きりはなかった。ひかりの頃にいたっては、そもそも想いを伝える前にすべてが終わった。
だから、こういう時間をどう扱えばいいのか、少し戸惑う。
会いたいと思ったから会う。何でもない午後を、一緒に過ごす。
それだけのことが、どうしてこんなに難しく、どうしてこんなに胸をいっぱいにするのだろう。
「……お待たせしました」
低い声がして、ルミナリアは顔を上げた。
ゼインが来ていた。
いつもの護衛服より少し軽い装いで、色は濃いが、昼の光の中では少しだけやわらかく見える。相変わらず余計な装飾はない。それでも、立っているだけで空気が引き締まるのはこの人らしかった。
ルミナリアは一瞬だけ彼を見つめ、それから小さく微笑んだ。
「そんなに待っていないわ」
本当は少し待っていた。
でも、それをそのまま言うのは悔しいので、こういう答えになる。
ゼインもたぶん、それを分かっている。
彼はルミナリアの向かいに立ったまま、ほんの少しだけ表情をやわらげた。
「では、ちょうど良かった」
その返しに、ルミナリアは少しだけ口元を緩めた。
こういうところだ。
昔から変わらない。真面目で、律儀で、少しだけ不器用で、でも今はもう、その不器用さがやさしく思える。
「立ったままなの?」
ルミナリアはカップに手を添えながら言った。
「あなたを立たせたままお茶を飲むほど、私は意地悪ではないわ」
「知っています」
「なら座って」
ゼインは一礼して、ようやく向かいに腰を下ろした。
その動作ひとつが、ルミナリアにはまだ少し不思議だった。
近い。真正面に座っている。視線を上げればすぐそこに彼がいる。
もう壁越しでも、階級差に阻まれた距離でもない。同じテーブルにつき、同じ時間を共有する“恋人”としてそこにいる。
それが、なぜか急に現実味を帯びて、ルミナリアの胸をまた落ち着かなくさせた。
「何か、おかしい?」
ゼインが問う。ルミナリアは瞬きをした。
「え?」
「さっきから少し静かだ」
見抜かれている。やっぱりこの人は、昔からそうだ。
ちょっとした呼吸の違いも、声色の僅かな揺れも、気づくときはやたらと気づく。
ルミナリアは少しだけ視線を逸らした。
「……普通よ」
「普通には見えない」
「そういうことを、すぐ言うのね」
「事実だ」
あまりに真顔で返されて、ルミナリアは少しだけ困った。
ごまかしたいのに、ごまかせない。
けれど考えてみれば、もう昔みたいに全部を飲み込む必要はないのだ。今はちゃんと届く。言えば届くし、届いた言葉は消えない。
ルミナリアはカップを持ち上げ、香りを一度確かめてから、小さく言った。
「……少しだけ、緊張しているの」
ゼインが目を見開いた。
たぶん、彼女がそんなふうに素直に言うとは思っていなかったのだろう。
それがおかしくて、ルミナリアはほんの少しだけ笑った。
「そんなに驚くこと?」
「いや……」
ゼインは珍しく言葉を探すように黙った。
「……あなたが、そう言うのは珍しい」
「そうかもしれないわね」
ルミナリアは認めた。
「でも、本当なの」
カップを置き、テーブルの上に視線を落とす。
「何度も生まれ変わったくせに、こういうのは初めてでしょう」
その言葉に、ゼインの表情が静かに変わる。
同じことを思っていたのだと、ルミナリアには分かった。
そうだ。
何度も好きになった。何度も手を伸ばした。何度も「恋人」になりかけた。けれど、こうして穏やかな昼の庭で向かい合ってお茶を飲むような時間は、一度も持てなかった。
秘密の逢瀬でもない。最後の夜でもない。失う直前の祈りでもない。
ただ、恋人同士として過ごす午後。
そんな当たり前の時間が、今まで一度もなかったのだ。
「……ああ」
ゼインはゆっくり頷いた。
「初めてだ」
その声を聞いた瞬間、ルミナリアの胸の奥に、じんわりとあたたかいものが広がった。
自分だけではなかった。
彼も、同じようにこの時間を特別だと思っている。
それだけで、緊張が少しやわらぐ。
「じゃあ」
ルミナリアは少しだけいたずらっぽく言った。
「下手でも仕方ないわね」
「……何が」
「恋人らしい振る舞いよ」
ゼインが、今度ははっきりと黙った。
その沈黙が面白くて、ルミナリアはくすりと笑う。
「だってそうでしょう? 私たち、何度も生まれ変わってきたのに、ちゃんとした恋人らしいこと、ほとんど何もしていないもの」
「……そうだな」
「だから、たぶん今の私たち、少しぎこちないのよ」
そう言うと、ゼインはわずかに目を細めた。
「俺だけかと思っていた」
ルミナリアは吹き出しそうになる。
「まさか。私だってそうよ」
「あなたは、そうは見えない」
「それは努力しているからよ」
即答すると、ゼインの口元がほんの少しだけやわらいだ。
それだけの変化なのに、ルミナリアの胸は不思議なくらいきゅっとした。
前にも思ったけれど、この人が笑うと、どうしてこんなに嬉しいのだろう。
昔はその一瞬があまりに貴重すぎたからだろうか。困ったような、あきれたような、でも確かにやさしい笑み。それを引き出せた時だけ、自分だけが知っている秘密をもらったみたいな気持ちになった。
今はもう、それを何度も見られるかもしれない。
そのことが、やけに幸せだった。
*
話し始めてしまえば、不思議なくらい自然だった。
最初はお茶の香りの話だった。次に学園での些細な出来事。侍女が選んだ焼き菓子が意外と美味しいとか、庭の花が昨日より少し開いたとか、本当にどうでもいいことばかり。
でも、その“どうでもいいこと”が、二人にはたまらなく新鮮だった。
これまでは、会えばいつも何かが差し迫っていた。
戦争の前夜。
身分差の壁。
敵対する家柄。
会えるかどうかも分からない偶然。
事故の直前。
あるいは、ようやく正体に触れた後の答え合わせ。
そういう重い時間ばかりだったから、こんなふうに何の緊迫感もなく過ごせることが信じられない。
ルミナリアはタルトを小さく切りながら、ふと思い出したように言った。
「そういえば」
「何だ」
「ひかりの頃、あなた、甘いものは好きだった?」
ゼインは少し考える顔をした。
「嫌いではなかった」
「曖昧ね」
「好んで食べるほどではない」
「今も?」
「ああ」
ルミナリアは目を細めた。
「じゃあ、これは?」
そう言って、自分の皿のタルトを少し切り分け、フォークで持ち上げる。
ゼインが一瞬だけ固まった。
「……ルミナ」
「何?」
「それは」
「恋人らしい振る舞いの練習よ」
澄ました顔で言うと、彼は明らかに困った顔になった。
ルミナリアはその反応を見て、内心で少しだけ得意になる。
そうだ、この人はこういうところで弱いのだ。命懸けの局面では迷わないくせに、こういう何でもない甘さには案外脆い。
「受け取らないの?」
「……受け取る」
「なら、はい」
ゼインはしばらくためらったあと、静かに身を乗り出して、ルミナリアの差し出したフォークからタルトを口にした。
その瞬間、ルミナリアの方が先に熱くなった。
なんでもないことのはずなのに。
ただタルトを一口、食べてもらっただけなのに、距離が近い。唇の動きが見える。睫毛が伏せられる。その全部が、ひどく意識される。
「……どう?」
少しだけ声が掠れた。
ゼインは飲み込んでから答える。
「甘い」
「それは見れば分かるわ」
「じゃあ、美味い」
その返答に、ルミナリアはようやく息をついた。
「そう。ならよかった」
平静を装ってフォークを戻すが、頬が少し熱い。きっともう赤いだろう。侍女たちが遠くから見ていたら、今ごろ大変なことになっている。
「……あなたも食べるか」
不意にゼインが言った。
ルミナリアが顔を上げると、彼は自分の皿の焼き菓子を小さく割っていた。
「え?」
「さっきの返礼だ」
「返礼、って」
「嫌ならやめる」
その言い方が少しだけぶっきらぼうで、でもどこか照れているのが分かって、ルミナリアはどうしようもなく愛おしくなった。
「嫌じゃないわ」
小さく答える。
ゼインが差し出した焼き菓子を、ルミナリアは少しためらってから受け取ろうとして、ふと手を止めた。
そして、彼の方を見た。
「……そのままでもいい?」
言った瞬間、自分でも大胆だと思った。でも、もう止められなかった。
ゼインの目がわずかに見開かれる。
けれど彼は何も言わず、そのまま手を下げなかった。
ルミナリアは心臓がうるさいのを感じながら、少しだけ身を寄せて、そのまま彼の指先の先から焼き菓子を口にした。
甘い。
でも、それ以上に、触れそうで触れない距離にある彼の手と呼吸の方がずっと甘かった。
ルミナリアが身を戻すと、ゼインはしばらく固まっていた。
「……ゼイン?」
呼ぶと、彼はようやく瞬きをした。
「何だ」
「何だ、じゃないでしょう。あなた今、すごく変な顔してるわ」
「……していない」
「してる」
ルミナリアは笑った。
少し照れて、少し困って、それでも隠しきれていない顔。
こんな彼を見るのも初めてだ。
初めてのことばかりで、少しずつ、でも確実に、恋人らしい時間が増えていく。
*
午後の光がゆっくり傾き始めたころ、二人は庭を少し歩くことにした。
芝はやわらかく、木々のあいだを抜ける風はあたたかい。白い花びらが時折ひらりと舞って、ルミナリアのドレスの裾へ落ちた。
ゼインは、自然な距離で隣を歩いている。
昔なら考えられないことだった。
王女だった頃は、ほんの少し後ろに控えていた。ひかりの頃は、そもそも同じ道を歩くことすらできなかった。今こうして肩を並べているのが、ルミナリアには時々まだ夢みたいに思える。
「ねえ」
歩きながら、ルミナリアはふと言った。
「私たち、何度も生まれ変わったのに」
「ああ」
「ずいぶん不器用よね」
ゼインが横目で彼女を見る。
「今さらか」
「今さらよ」
ルミナリアは少し笑った。
「もっと器用な人たちなら、とっくにどこかでちゃんと結ばれていたかもしれないのに」
「そうかもしれない」
「でも、私たちは毎回どこかであと一歩足りなかった」
「……ああ」
「なのに今こうして、庭を散歩して、お茶を飲んで、焼き菓子を食べさせ合ってる」
言いながら、ルミナリアは自分で少し照れた。
口にすると余計に甘い。
でも、それを聞いたゼインの方も、たぶん少しだけ困っている。
「変な感じ」
ルミナリアがそう言うと、ゼインはしばらく黙っていた。
やがて、低い声で言う。
「……だが、悪くない」
その言い方に、ルミナリアは目を細めた。
「そうね」
悪くない、どころではない。
たぶん、ずっと欲しかったものだ。
何度失っても、何度届かなくても、そのたびに胸の奥で諦めきれなかった“普通の幸せ”のかたち。
何かを賭けなくても会えること。
別れの気配を感じずに並んで歩けること。
好きな人と、何でもないことを話して笑えること。
そんな当たり前を、ようやく手に入れたのだ。
その時、不意に風が少し強く吹いた。
ルミナリアの髪が揺れ、頬にかかった細い一房を、ゼインの指先が自然に払った。
あまりに自然で、ルミナリアはその場で足を止める。
ゼインも、はっとしたように手を止めた。
「……すまない」
昔の彼なら、そう言ってすぐに離れただろう。
でも今は違う。離れない。
彼の指先は、ルミナリアの頬のすぐそばにとどまったままだ。
ルミナリアはその手に、自分からそっと頬を寄せた。
ゼインの呼吸が止まる。
それが分かって、ルミナリアは少しだけ笑った。
「謝らなくていいわ」
声は小さかった。
「恋人なんでしょう、私たち」
その言葉は、想像していた以上に甘く響いた。
ゼインの手が、今度はためらいながらも、ちゃんと彼女の頬を包む。
そのぬくもりに、ルミナリアは目を細めた。
幸せ、という言葉はたぶん、こういう時に使うのだろう。
胸がいっぱいになるのに、苦しくはない。ただやわらかく満ちていく。
「……ルミナ」
低く呼ばれる。その呼び方だけで、胸の奥が震える。
「何?」
「今も、信じられない」
「何が?」
「こうして、触れていいことが」
ルミナリアは一瞬、言葉を失った。
何度も生まれ変わって、ようやく辿り着いた人が、こんなふうに言うのだ。欲しかったくせに、まだ少しだけ信じきれずにいるみたいに。
それがどうしようもなく愛しくて、ルミナリアはそっと彼の手に自分の指を重ねた。
「慣れて」
静かに言う。
「これから、たくさん」
ゼインの瞳がゆっくり揺れる。
ルミナリアは少しだけ背伸びをした。
「だって、今までできなかった分があるもの」
その言葉の意味を、彼はちゃんと分かったらしい。
目元が少しだけ熱を持つ。
「……そうだな」
「そうよ」
ルミナリアは微笑んだ。
「だから、遠慮しないで」
そこまで言った時には、ゼインはもう迷っていなかった。
彼は静かに身を屈め、ルミナリアの唇へ触れる。
昼の光の中で交わすキスは、夜とはまた違った。
やわらかくて、あたたかくて、確かな現実だった。夢でも、最後の夜でもない。失う直前の口づけでもない。このあとも時間が続いていくと知っているからこその、穏やかな甘さがあった。
ルミナリアは目を閉じ、彼の服の袖をそっと掴む。
少しだけ、唇を重ねる時間が長くなる。
それだけで胸がいっぱいになって、泣きそうなくらい幸せだった。
離れたあと、二人とも少しだけ息を乱していた。
ルミナリアは頬が熱いのを自覚しながら、それでも笑った。
「ほら」
「何が」
「ちゃんと慣れていけそうでしょう」
ゼインはほんの一瞬だけ黙り、それから珍しく、はっきりと笑った。
「……努力する」
その返答に、ルミナリアはとうとう声を立てて笑ってしまった。
「真面目すぎるのよ」
「あなたが言ったんだ」
「そうだけど」
でも、そういうところも好きなのだ。
何一つ雑にしないで、大事なものほど慎重に扱う人。だからこそ、ようやく手に入れたこの時間を、こうして丁寧に過ごしてくれる。
ルミナリアは笑いながら、そっと彼の腕へ自分の腕を絡めた。
ゼインが少しだけ目を見開く。
「……それも、恋人らしい練習?」
「ええ」
ルミナリアはしれっと答えた。
「嫌?」
「嫌ではない」
「ならいいでしょう」
そのまま二人で歩く。
木漏れ日が揺れ、白い花びらが足元に落ちる。遠くで水音がして、庭はどこまでも穏やかだった。
何度も生まれ変わったのに、初めてのことばかりだ。
初めてちゃんと約束して会った午後。
初めて向かい合ってお茶を飲んだ時間。
初めて焼き菓子を食べさせ合ったこと。
初めて昼の庭で、恋人として歩くこと。
それら一つひとつが、どうしようもなく愛しかった。
失われなかった時間。途切れなかった未来。
今まで何度も届かなかったぶん、この“初めて”の全部が、彼女には宝物みたいだった。
「ねえ、ゼイン」
歩きながら、ルミナリアは小さく呼ぶ。
「何だ」
「次は」
「次?」
「本を読んでるところに来て。隣で」
「……それも恋人らしい時間か」
「そうよ。あと、お茶はまた飲みましょう」
「分かった」
「それから、今度はあなたが選んだお菓子も食べてみたいわ」
「……考えておく」
「真剣に考えてね」
そんなやりとりをしながら、ルミナリアは胸の奥で静かに思う。
きっとこれからも、二人は器用ではない。
たまに言葉が足りなくて、変なところで真面目で、普通の恋人ならもっと上手くやるのだろうなという場面もたくさんあるだろう。
でも、それでいい。
何度も人生を越えて、ようやく辿り着いたのだ。
だったら、この先は急がなくていい。
初めての恋人らしい時間を、ひとつずつ増やしていけばいい。
その全部を、今度こそ途中で失わずに。
ルミナリアはゼインの腕にそっと頬を寄せた。
彼の歩調がほんの少しだけやわらぐ。
それが嬉しくて、ルミナリアはふわりと微笑んだ。
春の終わりの庭を、二人はゆっくり歩いていく。
遠回りばかりだった恋の果てで、ようやく手に入れた穏やかな午後。
それはきっと、どんな劇的な再会や誓いよりも静かで、でも同じくらい尊いものだった。
これにて完結となります。ご覧いただきありがとうございました!




