23. 優しい雲の咲く場所で ―― 未来へのプロローグ
独立宣言の調印から数日後。
雲一つない快晴の秋空の下、私たちが勝ち取った広大な広場には、入りきらないほどの村人や同盟領地からの人々が集まっていた。
大外堀の水面が太陽の光を受けてキラキラと輝き、マカダム舗装された街道には色とりどりの旗がたなびいている。自警団のナギたちは深い藍色の制服に身を包み、背筋をピンと伸ばして整列していた。その表情には、もはや「貧困や飢えに苦しんでいた弱者」の影など微塵もない。
広場の中央に建てられた壇上に、私はゆっくりと登った。
隣には、手帳を抱えるソロン。そして少し斜め後ろには、相変わらず億劫そうに腕を組みながらも、どこか誇らしげな眼差しを向けるゼノが立っていた。
「静粛に!」
私の声に、地鳴りのような歓声が一瞬で静まり返る。私は集まった一人ひとりの顔を見渡した。
村長、ロイドさん、オトンヌ、エテ、機織り小屋で指を赤くしながら糸を紡いでくれたハナさんやマーサさん。カイルにナギや自警団の若者たち。みんなが、輝くような瞳で私を見つめている。
「私たちは今日、王国からの理不尽な支配を脱し、自らの足で立つ『独立』を勝ち取りました。」
ざわ……と広場がどよめく。私は微笑み、両手を広げた。
「私たちが目指したのは、誰もが寒さに震えず、心から安らげる場所。私たちが一針一針手仕事で紡ぎ出してきた、あの雲のように柔らかく温かい日々の暮らしです。――これより我が自治領の名を、正式に【アイリス・テラス自治領】と改めます!」
――アイリス・テラス。村の皆が選んでくれた名前だ。皆で決めたものだからこそ、この村の名前にふさわしい。もう「ナラク村」からは卒業だ。村長の顔を見ればどこか寂しそうに笑っていた。
「アイリス・テラス自治領万歳!!」
「アイリス様万歳! 俺たちの『優しい国』だ!!」
一瞬の静寂の後、爆発するような割れんばかりの拍手と歓声が、秋の空へと突き抜けた。
式典が終わっても、私たちの歩みが止まることはなかった。むしろ、ここからが本当の「始まり」だった。
「アイリス様! 自由都市の商人ギルドから、マカダム舗装の技術者を派遣してほしいと要請が届いています! 報酬は金貨五百枚と、大量の鉄材です!」
「受け入れて、ソロン! 代わりに『テラス技術学院』の設立資金を出資させる契約を結んで!」
「アイリス様! 街道の巡回ルート、周辺同盟領地の境界線まで拡大完了しました!」
「頼もしいわ、ナギ! 新しい『防衛隊』の制服、もっと格好いいデザインを考えておくわね!」
独立を果たした『アイリス・テラス』の勢いは、留まるどころか猛烈なスピードで加速していた。
王国の縛りを解かれた物流は、縦横無尽に世界へと広がり始めていた。マカダム道路は隣領の街道へと接続され、キャナル・ラインは船を行き交わせる大運河へと拡張される。サツマイモの輪作で培った膨大な肥料と農法は、荒れ果てた周辺の土地を次々と豊かな黄金の畑へと変えつつあった。
ソロンが構想する「誰もが学べる学校」。
カイルの目指す「国際銀行」。
バルトさんが夢見る「世界一の乳製品ブランド」。
ナギたちが目指す「誰も傷つけない警備システム」。
この小さな芽は、やがて王国全体、いや世界をも飲み込んで塗り替えていく巨大な「希望の大樹」へと成長していくのだろう。読めない未来への高揚感に、私の胸は毎日のように高鳴っていた。
めまぐるしい一日が終わり、夕暮れ時。
私は久しぶりに、村を一望できる南側の丘へと登っていた。山々が夕日に照らされて黄金色から美しい紫色のグラデーションへと染まっていく。遠くで見えるマカダム道路には、灯りのともった馬車が次々と帰還してくるのが見えた。
「……ふぅ。今日も怒涛の一日だったわ。」
草の上に腰を下ろし、膝を抱えて息を吐く。すると、カサリと草を踏む音がして、隣に誰かが腰を下ろした。ゼノだった。彼は相変わらず無愛想な顔で削り木をいじっていたが、その隣からは、いつもの気だるい魔力と、どこか心地よい温もりが伝わってきた。
「……お疲れさん、お嬢。」
「ええ、お疲れ様、ゼノ。……また無茶な機械の注文出しちゃって、ごめんなさいね?」
「ハッ、今更謝るなよ。あんたが無茶言わねえ日なんて、最初から一秒もなかっただろ。」
ゼノは鼻で笑うと、削っていた木片をポケットに放り込み、後ろに手をついて夜空を見上げた。横顔に、夕陽の残光が当たって少し赤く染まっている。
「……なぁ、アイリス。」
「ん?」
彼が私の名を「お嬢」ではなく、本名で呼ぶのは珍しかった。思わず顔を向けると、ゼノは空を見つめたまま、ポツリとつぶやいた。
「俺はさ……昔、王国の魔法工作兵として、壊すことしか教えてもらえなかった。……何を作っても、最後は戦争の道具にされて、使い捨てられるだけだと思ってた。」
彼の低い声が、静かな風に乗って私の耳に届く。
「でも、あんたは違った。……俺の作った妙な機械で、井戸掘って、土耕して、穴掘って…種を飛ばして、綿をほぐして……あんなふかふかの布団を作って、村の連中を笑わせやがった。……この村に来て、不貞腐れて泥の中に打ち捨てられてた俺に、初めて『誰かを幸せにする魔法』ってやつを教えてくれたのは、あんただ。」
「ゼノ……。」
不意打ちのような言葉に、私の胸の奥がキュッと締め付けられた。
「……だからさ。」
ゼノがゆっくりとこちらを振り向いた。その深みのある瞳が、まっすぐに私をとらえて離さない。
「アイリスがこれからどんな無茶な未来を作ろうとしても……俺は最後まで、一番近くで付き合ってやるよ。……頼りにしてんだろ? 俺のこと」
いつもなら「便利屋扱いするな」と悪態をつくはずの彼が、見たこともないような、優しく、どこか不器用な笑みを浮かべていた。
「っ……!」
心臓が、跳ね上がった。
ドクン、と熱い血が全身を駆け巡り、自分の頬が一瞬で火照っていくのが分かる。
な……なに、これ……!?
夕闇の中で見つめ返してくる彼の大きな手、広い肩、そして真っ直ぐな瞳を前にして、私は急に声が出なくなってしまった。
「……な、なに言ってるのよ、急に。」
私は慌てて顔を背け、赤くなった頬を隠すように膝に顔をうずめた。
「頼りにしてるに……決まってるじゃない。ゼノがいないと、私の計画なんて半分も進まないんだから……。」
「……そうか。」
ゼノの小さく楽しそうな笑い声が聞こえた。ふと、私の手に、彼の大きな手がそっと重ねられた。いつもならすぐに振り払うか笑い飛ばすはずなのに――なぜかその手を開くことができず、私は自分の指先を、彼の温かい手のひらの中にそっと預けてしまっていた。
風が吹き抜け、一面の黄色い花びらが舞い上がる。
自分の胸の中に芽生えた、新しくて甘い「予感」に戸惑いながらも、重ねられた手の温もりが愛おしくて、私はそっと隣の彼に寄り添った。
王国初の自治領『アイリス・テラス』の物語は、ここで終わりではない。
ここから、もっと大きく、もっと賑やかに、そしてもっと愛おしく発展していく彼らの日常と、まだ誰も知らない未来へ向かって――。
夕闇の向こう、無限に広がる夜空に、一番星が眩しく輝いていた。
End.
最後までお読みいただきありがとうございました。




