1.その追放命令、喜んでお受けいたします
「アイリス・コンフォルト!貴様との婚約を破棄し、その公爵令の身分を剥奪する!」
王宮のきらびやかな夜会会場に、この国の第二王子であり、私の婚約者であるカエサル殿下の怒声が響き渡った。
「で、殿下…そんな…!」
シャンデリアの光を反射する大理石の床に立ち尽くす私。今日のために仕立てた有名デザイナーのドレスにバッチリと施されたメイクをしたつもりだったのに、周囲の貴族たちはまるで汚物でも見るような冷たい視線を私に向けている。
「お待ちください、一度、お話を…!」
震える声を出したのは、まだ【私】ではなかった。
高慢でプライドだけが高く、殿下の愛を勝ち取ることだけに腐心していた、愚かな公爵令嬢の残滓だ。
「貴様の行き先は、西の最果て…コンフォルト公爵家の領地の一つ、地図にすら乗らない『ナラク村』だ。あそこなら貴様の腐った性格も少しは泥に現れてマシになるだろう。衛兵!さっさとその平民をつまみ出せ!」
言い終えるとカエサル殿下の姿を隠す様に屈強な衛兵たちが私を取り囲んだ。守ってくれるはずの家族はどこか安堵したように肩を寄せ合いこちらを遠巻きに見ている。
…わかっているわ。どうせ、私は家族から興味を持たれることなんてないもの。
衛兵に引き摺り出され、窓のないオンボロ馬車に押し込められる。その時、あまりに強く背中を押されて体制を崩し、馬車の壁に頭をしたたかに打ち付けてしまった。
「痛っ…!!」
鋭い痛みを感じた瞬間…思い出した。
激痛と共に、洪水のような情報が脳内を駆け巡る。
そこは魔法なんてない世界。毎日作業服に長靴を履いて、ドロだらけになりながら「限界集落の活性化」に命を懸けていた地方公務員としての30数年。
若者の流出や超高齢集落。厳しい予算制約、通らない企画書、理不尽な陳情、現状を変えようとしない地方自治体。それらすべてを「知恵」と「根回し」と「根性」で突破してきたあの熱くも充実した日々。
…これって私最強なんじゃない?
公爵令嬢のアイリスだったら、この処遇はきっと耐えられない。何としてでも王都の戻って貴族に戻りたがるでしょうね。でも、前世の記憶を取り戻した今なら、これは千載一遇のチャンスかもしれない。
いくつもの限界集落を再生させてきた私が本気を出せば、これから行く村だってきっと活性化する。そうしたら、どんどん発展させていって、ゆくゆくは夢の印税生活!社畜として飼いならされた過去に、泣くほど望んだ不労所得での生活ができるんじゃないの?!
やっぱり、最高!
思わず漏れ出る笑いを隠すことなく、ガタガタと馬車に揺られる。ある程度、まとまったお金が循環できる様になったら、この移動手段のなんとかしないとね。こんなに振動が直に響いていたら、お尻と腰が死んじゃうよ。いや、それよりもインフラ整備が先かな?
頭の中でさ様々な都市計画を立てながら、馬車に揺られること数日。排泄と休憩で出る回数が増えるたびに形式はどんどん荒廃していった。そして、下水のような雨上がりの裏路地のような匂いとホームレスの体臭を混ぜてような悪臭が一番強くなったところで馬車のドアが開いた。
「………は?」
馬車のドアが開いた瞬間、強烈な悪臭が鼻を突いた。思わず涙目になりそうなところをとっさにハンカチで口と鼻を押さえて耐える。
立ち並ぶのは崩れかけたあばら家。痩せこけた子どもたちが力なく地面に座り込み、その体にはハエがたかっている。そして、井戸らしき物の周りでは、数人の村人たちが泥水を桶で掬っていた。
村人たちの表情は暗く、活気はない。前世のホームレスの方がまだ恵まれていて幸せそうだ。
「これが私の配属先……いや、領地?」
想像を絶するブラックな職場環境に流石に社畜として調教済みの私でも目眩がした。
そこへ、一人の男が歩み寄ってくる。無精髭をい蓄え、汚れた軍服をラフに着崩した、鋭い眼光の青年だった。
「おいおい、王都の温室で育ったお嬢様がこんな掃き溜めに何のようだ?ピクニックなら場所を間違えてるぜ。」
彼は私の姿を見て鼻で笑い、井戸らしきものを顎で指す。
「見ての通り、ここは呪われた土地だ。水も出なけりゃ食い物もねぇ。死にたくなきゃ、今すぐその豪華なドレスの裾をまくりあげて、王都まで帰るんだな。」
村人たちの絶望した視線。彼の冷たい嘲笑。今までのアイリスなら絶望し、泣きながら引き返した馬車を追っただろう。だが、私の心に灯ったのは絶望ではなく怒りでもなく……燃えるような職務遂行意欲だった。
私はドレスの裾を掴み、迷いなくそれを膝上で引きちぎった。派手な音を立てて呼ぶれていくドレスと顕になる膝小僧に彼は慌てて目をそらす。
「な、なにしてやがる!?」
「うるさいわね!機能性が最優先無のよ。」
驚愕する彼にずいっと向き合い顔を突き合わせる。ヒゲのせいで中年くらいに見えたけど、思ったよりも若い。見開かれた青い瞳に睨みつける私が写っていた。
「さっきから、ずいぶんご親切に忠告してくださいましたけど、まずはあなた様のお名前と経歴などを教えていただけますか?」
公務員時代に身に着けたスキルで彼に営業スマイルを突きつける。
彼の服装からしてこの村の住民ではない。それに、住民よりも栄養がきちんと取れているように見える。服装も汚れて入るが古びてはいない。おそらく彼がここに来たのは最近のはずだ。
私の言葉にしばらく考えるようにした彼は一歩下がって、私と距離を取る。そして、胸を手に当てると騎士の礼を取った。
「俺の名前はゼノ。王国軍のもと魔導工兵隊長だ。」
「王国軍……!」
「上層部と揉めて、汚名を着せられてこの村の監視役件現場監督として左遷された。まぁ、王都には家族もいねぇし、魔法を人殺しの道具に使おうとすうる軍になんて未練はねぇから。今は名ばかりの監視役ってやつを楽しんでるさ。」
吹っ切れたように言うゼノはどこか悲しそうで、私はあえて明るい声を出した。
「よろしくゼノ。私はアイリス。元は公爵家の令嬢をしていたけど、身分を剥奪されてこの村に追放されたの。」
「は?え?公爵家の令嬢……!!身分剥奪って……」
私は驚愕するゼノを無視して井戸に歩み寄った。後ろから呼ぶ声がするが無視する。井戸にいたフラびとたちは私が近づくと、まるで蜘蛛の子を散らすようにあばら家に逃げ込んでいった。
それを横目に見ながら、泥水を指ですくって舐める。……塩分、マンガン、そしてドロと雑菌。口に含んだ泥水を吐き出して、顔を上げ呆然とするゼノをまっすぐに見据える。
「ゼノといっいたかしら?魔法工兵って魔法で金属を精密加工できるって本当?」
この国の軍では様々な部隊があるがゼノがいた魔法工兵隊は魔法を使用した特殊工作を得意としていたはずだ。たしか、お后教育でやった気がする。
「……あ?まぁ、できなくはないが…。だが、それがどうした?」
「じゃあ、今すぐ動ける村人を3人集めて。この井戸もどき?の構造あまりにも非効率すぎて反吐が出るわ。大気圧の原理も知らないのかしら?」
「……大気……何だって?」
意味がわからず戸惑っているようなゼノにビシッとゆびを指す。
「いい?今から私の言うとおりに動きなさい。一週間以内に、この村に王都よりもきれいな水を引いてあげる。これは、領主としての命令じゃなくて……この村の責任者としての『業務指示』よ。」
久しぶりに熱い思いが滾る。それは、地方創生公務員としてのスイッチが完全に入った瞬間だった。
「おい。本気か、お嬢様。」
ゼノが私が地面に書いた設計図を覗き込んで、呆れたような声を上げた。
「ストローで水を吸う仕組みを、魔法で金属の中に作るだと?!そんな理屈、魔導工学の教科書のどこにも載ってねぇぞ。」
「教科書が間違っているのよ。いい、ゼノ。水は勝手に上がっては来ない。だから『空気の力』を使うのよ。」
私は地面を木の棒でたたき、彼に「大気圧」と「真空」の概念を叩き込んだ。
【アイリスの記述解説*手押しポンプの仕組み*】
1.ピストンと弁:筒の中でピストンを上下させることで、筒内を一時的に真空状態にする。
2.大気圧のちから:外側から水面を押している空気の力が、逃げ場を失った水を筒の中へ押し上げる。
3.逆流防止:2つの弁を交互に開閉させることで、吸い上げた水を逃さず外へ送り出す。
「魔法で無理やり水を引っ張り上げるから魔力が枯渇するのよ。ましてや、ここの村人じゃまともに魔力なんて操れないでしょうし、持っていないでしょうからね。私たちは、魔法で『物理現象が起きる装置』を作るだけ。あとは自然の力が勝手にやってくれるわ。」
「バカバカしい……。…だが………。」
ゼノの瞳に職人特有の鋭い光が宿った。
「その、真空ってヤツを維持する為に、寸分の狂いもなく筒をすべらかにしろってんだな?……面白ぇ。軍の連中が腰を抜かすような精密加工を見せてやるよ!」
「期待しているわよ。でも、まずは私の住居を確保したいの。」
やる気に満ちていたゼノが拍子抜けしたように脱力する。村人の水も大切だが、まずは私の今夜の寝る場所を確保したい。なんたってもう太陽は傾き始めているのだ。急がないと寒空の下、ドレス1枚で野宿になってしまう。
「それなら、村長に聞いてみるといいぜ。……仕方ねえから、案内してやるよ。」
「そう……?ありがとう。」
地面に書いた図をそのままに片手に枝を持ちながらゼノの後ろを歩く。道の橋では子供や大人が座り込み、寝転がっている。洗濯物も干されているが、あばら家はところどころ朽ちていて隙間風がひどそうだ。そして、村のいたるところからする鼻につく悪臭と群がるハエ。これは、作業の優先順位を上げないと。
「ここだ。」
案内されたのは、当然あばら家。木のドアはなく、布が下がっているそこをゼノはためらいなくめくる。
「村長!いるか?客だぞ!」
ゼノの声があばら家に響く。そんな声を出したら振動で崩れるんじゃないかとヒヤヒヤして見守れば、家の奥から腰の曲がった老人が出てきた。
「おや、ゼノかい。」
「おお、ほれ、客人。この村の新しい領主様だと。」
いや、その言い方は色々語弊があるような。確かに、この村に追放されたけど。この村は公爵家の領地にあるし、私は身分を剥奪されたわけだし。……色々考えていると目の前の老人がゆっくりと腰を折った。
「このような村へようこそお越しくださいました。村長をしておりますトンビと申します。」
「あ、はじめまして。アイリスです。今日からこの村でお世話になります。よろしくお願いします。」
前世を思い出した瞬間に日本人のクセなのか村長に負けないくらいお辞儀をすれば、ゼノと村長は驚いたように目を見開いた。
「あの、来てそうそう申し訳ないのですが、私が住めるような空いているお家はありますでしょうか?」
公務員官舎とは言わないが、あばら家でも掘っ立て小屋でも屋根のあるところで眠ることができるなら、文句は言わない。
「…家、ですか……。あいにく家と呼べるようなものはすべて村人が入居しておりまして。」
マジか!言葉なくまぶたを見開く。しかし、村長は少し考えたあと申し訳なさそうに視線をよこした。
「……大変、申し訳ないのですが家…ではなく、物置……でしたら。」
「……物置…ですか?」
「はい。物置と言ってもこの家ほどの大きさはあります。少し傷んでいますが、もともとは穀物を保管していた場所で、木のドアがあり施錠もできる場所です。」
「ぜひっ!ぜひ、そちらをお借りしたいです!」
木のドアと施錠という言葉に私は村長に食い気味に返事をする。武備が懸けられたドアよりは100倍マシよね!一応女の子だし、防犯面も気をつけないと。
そうして村長から鍵をお借りして、目的の場へと向かう。ゼノは途中で図面が気になると言って井戸の場所に戻っていった。そして数分後……。
「……こ、ここ…だよね?」
私の前に現れたのはあばら家より少し大きな小屋?とも呼べるのか怪しいオンボロの建物だった。村の端に位置していることもあり、敷地?のような腰ほどの柵で囲われたところもある。しかし、確かに木の扉だし、鍵穴もあるけど……天井にでかい穴が空いてたら意味ないでしょうよ!
もともと倉庫として使われていた曽木は、作物が育たなくなって依頼ずっと空っぽだったようで、たまに公爵家から来た監視人が寝泊まりするのに使っていたらしい。しかし、その監視人も来なくなってはや十数年。経年劣化と共に屋根は落ち、壁の板は剥がれ、蜘蛛の巣が目立つ廃墟となっていた。
ヒュー……と夜の訪れを知らせる冷たい風が足元を抜ける。
立ち尽くしていた私は、大きく深呼吸をして一歩踏み出した。
村を発展させたら、絶対にいい家に住んでやる!そう強く胸に刻み込んで、初日の夜が更けていった。




