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リーナ様、……月がとっても綺麗です

「月がとっても綺麗です」

ネタ元は夏目漱石です

って、いらぬ注釈でした _(_^_)_

「何ですか、これは」

 住民名簿は二年前から更新されていませんし、地図にいたっては、作ってから一度も見直しをしていないというのです。

 杜撰すぎます。

 こんなことが日本で起こったら首長のリコール問題です。

「すぐ調べ直さないと……」

 でも。現実問題として。

「その前に朝食にいたしましょう」

 役人はそわそわしながら言います。

「私は宿舎に帰って荷物をまとめてもいいですか?」

「その前に私を館とやらへ案内しなさい。それと、馬小屋にある私の荷物、あれを運んでください。それであなたはお役目御免です」

「はいっ! すぐに!」

 返事だけはいいですね、あなた。

「ああ、餞別です」

 私はドレスの隠しポケットから、例の木の実を一つ、取り出しました。

「これは、陛下から直々に私に下されたものです。たいっへんっ、貴重な品物だそうです。心していただくように」

「ははーっ、有難き幸せ!」

 時代劇か! とはツッコミませんでした、私。


 名簿作りや地図調べも急ぎますが、まずは生活基盤を整えなくてはなりません。

 館は古く、部屋数も多いものでしたが、とりあえず使う部屋だけは整えられていて、居心地は良さそうです。

 あとはライフラインのチェックですね。

 台所を探してウロウロしていたら、先ほどの女性が話しかけてきました。

「リーナ様、リーナ様のお世話をなさる方は後からいらっしゃるのでしょうか?」

「いいえ。私一人です。お台所はどこでしょうか? ついでに火の使い方も教えて欲しいのですが」

 女性は心底驚いた表情になりました。

「リーナ様は王女さまでいらっしゃいますよね?」

「ご存知のとおり、騎士団長を騙して結婚しましたから、もう王女ではありませんよ? 一年経たないと離婚できないそうです。それまで、こちらでお世話になるつもりです。それで、朝ご飯の用意をしようと思うのですが、お台所はどこでしょうか?」

 そこで、私は重大なことに気がつきました。

 私、お金を持っていません! 

 食材とか、薪代とか、どうすればいいのでしょう?

 これは聞くしかありません。

「あの、私、文無しなんです……、お金、貸していただけませんか?」

「ち、ちょっとリーナ様! リーナ様の食べる分くらい、何とでもなりますよ!」

 聞けば、領主というものは、村の人たちから肉や卵、野菜、薪といった現物をもらったり、お世話をしてもらったりする、その代わりに村を守るための仕事をするものだ、そうです。

 他にも税金があって、役場へ納めており、それらをひっくるめて、全部が領主の収入となるそうなのです。

 税金からあの役人の給与を捻出し、残りは積立ているはずなのですが、どうなっているのでしょう。

 帳簿も見なくてはならないようですが、王都へ帰るだけの頭になっている役人にとっては、ダラハーなんてどうでもいいのでしょうね。

 聞くだけムダのようです。

 あんな役人を遣わした陛下に代わり、私が頑張るしかありません。

 食事の支度や掃除、洗濯はしてもらえるそうですが、習っていかなければと思います。

 だって、一年たてば。

 離婚するのですから。

 離婚して、また王女に戻る、という選択肢はなさそうです。

 ここへ来るまでに通った大きな街へでも行けば何か就職口があるかもしれません。それまでに一人で生活できるようにしておかないと困りますから。アルバイトもしたことがない私に何かできることがあるのか不安になりますが、トーリ様の顔を思い浮かべるとそんなことは言ってられません。

 トーリ様を不幸にしたのは私なんですから。



 メラニーさん、あの親切な女性ですね、メラニーさんに聞き取りをしながら、住民名簿や地図を作っています。男の子はマシューくんと言います。会った時よりも血色が良くなってきました。

 というのも。それは最初の食事の時のこと。

「私だけの食事ですか? あなた達のは? おかしいでしょう。私は今、何にも村の役にたってないんですよ? 私一人のためにこんな食事、おかしいです!」

 豪勢な食事は一人分だけしか用意されていませんでした。

 こんなこと絶対に許せません。

 とりあえず、今後は同じ食事内容にし、一緒に食べることを約束させました。

 労働の対価ですから、報酬は。

 そこで私は気付きました。

 メラニーさんにお給料をあげなくちゃと。

 村人は現物や労働を領主に納めるといっても、彼女は本来の農作業や家事のほかに、私のお世話をしているのです。

 彼女のしていることは、言うなればハウスキーパーです。

 ダラハーは僻地ということもあって、お金があまり重要ではないようですが、王都を始めとして、そこそこの街ではお金が取引の主流を占めているのです。

 現金収入を得なければならないのです。

 外貨を獲得しなければなりません。

 この村を豊かにするためには、村の中だけで経済を回していたのではいけなかったのです。

 現代社会の授業を疎かにしていた自分が悔やまれます。

 でも、異世界に迷い込んだせいで、こんなことを思うようになっただけですから、ここへ来たことは、私にとっては良かったのかもしれません。

 

 ダラハーへ来て三週間ほど経った今は、村の女性たちが着るような木綿のブラウスにウールのスカート、エプロンにスカーフ姿の私です。

 馬に乗る練習をしたり、農作物の収穫を手伝ったり、牧場の下草刈り、乳搾り、その合間に帳簿のチェックをしたり、家事の仕方を教えてもらっています。

 することはいくらでもあります。

 でも、お金を稼ぐ方法が見つけられないでいます。

 節約ではお金は稼げないのです。

「うーん、お金が欲しいわね……」

 毎晩、寝る前に帳簿を見ながら、唸る私。

 父や母、友達が見たら驚くでしょうね。

 診療所だって医師に常駐してもらいたいのです。

 今のところ、小さな怪我や民間療法で治る病気くらいで過ごせていますが、医療機関は充実しなければなりません。村の人たちの健康診断なんかもしたいですし。

 医師を呼ぶためには、まずお金。

 外貨の獲得も重要ですが、何かを始めるには『元手』というものが必要なのでした。

 そこで、私は思い出したのです。

 王宮の自分の部屋から持ってきた着ることのない大量のドレスの山を。

 華奢な靴に手袋、帽子。ここではいらないものばかりです。

 あれを売り払えば。

 元手になるわ!

 限りある資源ですが、有効活用するべきだと思いました。

 そして、メラニーさんと共に、館の一部屋を潰して放り込んである荷物の山に挑んだのです。


 あるわ、あるわ。宝の山です。

 メラニーさんによると、ドレスは着る人のサイズで作ってあるので、そのままだと売れにくいのですが、ドレスについている宝石やリボンは取り外せばいいし、刺繍の部分は仕立屋に持ち込めば、端切れでも結構な値段がつくようなのです。

 靴や手袋、帽子は古着屋へ。

 早速、明日にでも村の誰かに頼んで、近くの街まで馬車を出してもらいましょう。

 メラニーさんときゃあきゃあ言いながら荷物を漁っていたのですが。

 小さな箱がドレスの下から出て来たのです。

 箱のフタを開けてみると、中に入っていたのは、刺繍で名前と紋章を施した沢山のハンカチなのでした。

 家庭科3の私が言うのも何ですが、お世辞にも上手とは言えない刺繍です。

 所々に大きな針孔が開いているのは、何回も刺し直したからでしょうか。

 ハンカチは全部で九枚。下へいくほど激しく下手くそです。

 縫い取りの名前は。


 トーリ・エステファン・ザッカリー


 それを見た途端、涙がどっとあふれてきました。

 ザッカリー家の紋章は獅子が二頭向き合い、その周りをつる草が絡みながら取り囲んでいる大変複雑なもののようです。紋章のあたりが特に針孔が大きく数も多いのです。

 リーナ様!

 あの暗い部屋で必死に針を運ぶ姿が目に浮かびます。

 トーリ様のお誕生日に渡すつもりだったのでしょうね。

 何度もやり直して、でも結局渡せなかった九枚のハンカチ。

 リーナ様!

 あなたをこれほど愛しく思えたことはありません。


 あなたはやはり最高に可愛い王女さまです。

 そして、あなたが愛したトーリ様を、私、絶対、幸せにいたします。


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