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俺は、黙って雫ちゃんの話を聞くことにした。
「私、小さい頃凄く引っ込み思案で、幼稚園でいつも男の子達にからかわれてたんだ。その度に悲しくて泣いちゃって、でも泣くと面白がってまたからかわれて。毎日辛かった」
「そんな時に、幼稚園で人気者だった昴が私を庇ってくれたんだ。雫をいじめるな!って。みんなの人気者の昴がそう言ってくれて、私の傍から離れなくなったの。私をからかう男の子は居なくなったんだけど……それと同時にみんなから敬遠されちゃって。相変わらず私は独りぼっちだった」
「卒園が近くなった時、このままじゃダメだって思ってお母さんに泣いてお願いしたの。どうしても、公立の小学校に行きたいって。両親は凄く戸惑ってたし、昴は凄く怒ってた。でも、どうしてもそれだけは譲れなかったんだ」
そう矢継ぎ早に言うと、すっかり落ち込んでしまったように俯く。俺自身、全くゲーム内で語られていないその事実を知って唖然とした。
「入学してから、しばらくは大変だったけど……それでも、少しずつ友達が増えてね。通ってよかったって、今ではそう思えるんだ」
「……雫さんは、とてもお強いんですね」
「全然強くなんか……でも、そこで頑張らなかったらずっと変われない気がしてたから」
「変われたから、今の雫さんがいるのでしょう?」
少なくとも、俺はそう思った。こんなに色んな事を考えていたなんて思ってもみなかったし。
ゲームだろうが、10代だろうが、みんな必死に生きて沢山悩んでいるんだって考えさせられる。
でも、何だって高等部でこの学園に戻ってきたんだろう。一番の疑問はそこだ。
そんな俺を知ってか知らずか、雫ちゃんが「もしかして、何でこの学園に入ったのか、って思ってる?」と図星を突いてきた。
「本当はね、高校も公立に行こうと思ってたんだけど、どうしても学びたい事があって頑張って勉強したんだ」
雫ちゃんは一度口ごもったが、顔を上げると真っ直ぐ俺の目を見つめた。真剣な眼差しだった。
「私ね、将来バイオリニストになりたいの」
俺達の間を通り抜けるように、風が吹いた。それでも、雫ちゃんの視線に捉われた俺は全く目を逸らすことが出来ない。
「引っ込み思案だった私が、唯一両親に頼み込んで習わせてもらったのがバイオリンだったの。私の家、お金持ちじゃないから、お父さんもお母さんもあんまり乗り気じゃなくて……でも、私がここまで頼んでるなら、本気なんだろうって。きちんとしたバイオリン教室に通わせてくれたんだ。この学園ね、全国大会にも行ったことがある強豪オーケストラ部があるの。時々指導に来てくれる先生が、私の尊敬してるプロのバイオリニストさんで、どうしてもその人から直接学びたくて、必死で勉強して入学したんだ!」
「オーケストラ部?」
「そう! 特に弦楽器に力を入れてるから、その道のプロが来て一人一人に指導してくれるの。それがこの学園に入った一番の理由!」
聞き慣れない、オーケストラ部という名前に反応してしまった。金持ち学校にはオーケストラ部なんて物があるのか。
それに、外部入学の理由も。俺はてっきり、天逢坂に無理やり入学させられたんだと勝手に思っていた。あの過保護っぷりだし。
しかし、事実はことごとく違っていて、本人が夢を叶えるために必死に勉強して入学したのだという。
想像していたよりも、この朝河雫という女の子はとても堅実で、将来を見据えているらしい。
―――正直、俺よりしっかりしてるんじゃないだろうか。
それにしても、バイオリニストか。確かに、バイオリンを習っている描写はあった。それに音楽室イベントのスチルでも、天逢坂のピアノと一緒に二重奏している絵を見たことがある。
だけど、ここまで本格的に習っていたのは知らなかったし、しかもプロを目指しているなんて思ってもみなかった。
正直、前の世界の俺なら、夢なんてと斜に構えて笑い飛ばしていただろう。でも。
こんなに努力している女の子を、応援しない訳がない。否、応援しないでどうする!
「雫さんの夢、私は応援します」
「えっ、本当?」
「はい、こんなに努力して入学したんですから、絶対叶います。もし、私に出来そうなことがあれば何でも言ってくださいね。お手伝いできる事があれば、必ず力になりますから」
「そんな……応援してもらえるだけで、十分嬉しい。……でも、有難う。伊織ちゃん」
面と向かって言うのは恥ずかしさもあったが、それ以上に伝えておきたかった。
俺は、雫ちゃんという女の子の強さを少しだけ理解出来たような気がした。