プロローグ1
車の甲高いブレーキ音が、どこか遠くに聞こえる。
自分の動きも、車の動きも、目の前の私に突き飛ばされる子供も、みんなみんなスローモーションに見えて、余裕のある普段の私ならば、少し面白いなと興味深げに見つめていたかもしれない。
だが、今の私にそんな余裕はない。全く。
子供が歩道に飛ばされ尻餅をついた途端、世界が元の時間を取り戻したかのように動き出す。次いで来る脇腹への言い様もない衝撃。肋骨の折れたであろう音と内臓が圧迫される感覚がダイレクトに伝わり、口の中が鉄臭くなる。
ああ、こりゃ死んだな。と人知れず悟りながらふっと意識を手放し………ぱっちりと目が開いた。
「……………あ、あれれぇ? おかしいなぁ?? つい某名探偵のセリフが出ちゃったくらいおかしいなぁ。今まさに私、死んだはずだよなぁ? なんだかちょっとかっこよく悟ったのにすごく恥ずかしいよ?」
目をぱちくりさせながら辺りを見回していると、遠方から来る救急車のサイレンと真っ赤なランプが点滅しているのが見えた。それに従って眼下を見れば、血塗れで倒れている、なかなかにエグい姿の自分が映る。
恐る恐る近づけば、見紛う事なく自分自身で。
「うっ……母さんと父さんの趣味である海外ホラー映画鑑賞のおかげでスプラッタ系は平気だと自負していたんだけど、流石に自分がこうなってんの見るとなかなか……うん。グロいね」
血塗れで、臓器ーーこれは腸なのかな?ーーが若干飛び出た自分の体をまじまじと見ながら口元に手を当て頷く。
……ってちょっと待て! 私が自分自身を見る事が出来るって事は、これはアレか? 幽体離脱的なやつか? という事は……。
とりあえず自分の状況をなんとなく理解出来た所で、早速実験してみる事にした。
かすり傷程度ですんだ、私が助けてあげた男の子にふよふよと近寄り、しゃくりあげる彼の頭にそっと触れてみる。すると、男の子の頭を通過し首元まで手が沈んだ。
「おおう……」
素早く引っ込めた手をまじまじと見つめながら、感嘆のような驚愕のようなよくわからない声を漏らす。
その手は、やはりというかじんわりと透けていて、手の向こうの景色が薄っすらと見えていた。
その間にも私の体は、先程見つけた救急車が到着した事によりタンカへと乗せられ、絶賛運ばれ中である。それを流し目で見ながら、ふと思い出す。
これはアレか、某漫画の『あんたの死は予定外で極楽にも地獄にもあんたの行き場はないんだよ』みたいな展開ですか? 妖怪退治しちゃうんですか?
嫌だぞ。二次元妖怪は大好きだがリアル妖怪とか恐怖以外の感情が湧かないぞ。それに、好きな相手とか大切な人とかいないから試練落ちるぞ。まあ、今更生き返りたいとかないからいいけどさ。生き返るなら別世界に転生したい。いやホントマジで。
とりあえず、こういう時はこうなる前の出来事を粗方思い出すのがセオリーなんだっけか? よしっ、やろう。
という事で、病院へ連れて行かれるだろう自分の体について行きながら、事のあらましを大まかに思い出してみる事にした。
………
……
…
いつも通りの、何も変わらない日常。
父さんが朝早くから出掛けて、母さんに起こされ、バスに遅れそうになりながら慌てて家を出て、息切れをしながらバスに乗車。何故か眠気を誘うバスの揺れに流されてうとうととしているうちに学校へと到着する。
最近は寒くなってきたので、大ッ嫌いな虫さん達が消えてきてせいせいしていたところだ。田舎高校だから夏なんかは酷過ぎる。
学校へ入れば特に誰かから朝の挨拶が飛んでくる訳でもなく、無言で席に着いてカタカタとスマホを弄る事数十分。担任が教室へ到着し、SHRが始まる。
それから淡々と過ぎて行く時間に辟易としながら、いつもあくびを噛み殺しているのだ。
(はぁ、早く終わんねーかな……)
ようやく放課後に入れば、ちょいとばかし面倒な掃除の時間だ。しかも一階の水飲み場の。
まあ、話せないメンバーではないのでそこまで問題じゃないけども。
「雪音ちゃん、ゴミ捨ててきてくれない?」
「うん、いいよ」
頼まれたら断れない臆病者とは……そう、私の事だ。
私なりの、嫌われない為の精一杯の配慮なのだよ諸君。別に、ゴミ捨てくらい断る必要ないけど。
昔から人付き合いが苦手な私は、自分から積極的になんてとんでもなく、いつも受け身だった。高校に入ってから変わろうなんて息巻いてたくせに、結局は最初だけで後は変わらずじまい。ホント、嫌になるね。
掃除が終われば、後は帰るだけ。
教室に戻り、帰り支度を済ませて教室を後にする。
「さようなら、先生」
「さようなら、水樹さん。気を付けて帰ってくださいね」
途中で会った担任にお辞儀を返し、バス停へと急ぐ。
そしてその途中に、見知らぬ男の子を見かけたんだよね。
ボールを蹴りながら歩道をフラフラと歩いている小3くらいのその子を横目で見ながら、危ないなぁ、なんて思ってた直後、案の定、ボールを強く蹴りすぎたみたいで道路にポーンッと軽く飛んで行く。
あーあ、って知らんぷりして素通りしようと思ってたんだけどさ、なんとあるあるな展開か。前方から車が来た訳だ。
子供はボールに夢中で気付いてないし、車ん中の人も子供が見えてないっぽい。止まる気配がない。
対する私は、情けなくも動かす事の出来ない足を呪いながらその光景を見ているしか出来なくて、恐怖に目を瞑……ろうとして後ろから誰かに突き飛ばされた。
「えッ!?」
困惑する間もなくその勢いのまま子供を突き飛ばし、代わりに車の目の前に。
そして今の状況、という訳だ。
結局誰に突き飛ばされたのかは未だに謎だが、他人を使うとかどうかしてるぜっ!!
誰ともわからない奴にプンスカしていると、ようやく最寄りの病院へと救急車が到着する。
なんだか自分が見ず知らずの他人ーー医者だけどーーに“死亡しました”なんて言われるのはちょっとばかしキツくて、ここまでついて来て何だけど中には入らずに、ふよふよとその場を後にした。
何もする事が無くなりなんだか家族に会いたくて、帰ろうかな、なんて考えてふと気付く。
「帰り道、知らねぇ!!」
いつもバスで30分程かけて学校へ通い、しかもバスの中では寝ている為に帰路が全くわからないのだ。
しばらくあわあわと飛び回り、結局、次のバスが来るまで時間を潰す事にした。
「そういえば!」
とりあえず学校へ戻ろうかと来た道を戻っていた際、はたと止まり足元をガバリと見やる。
私の足は……見事に地面から離れ、ふよふよと宙に浮いていた。そう、飛んでいるのだ。
「おおッ!!念願の空を飛ぶ!!叶った!!まさか私の嫌いな幽霊に自分でなったのは頂けなかったが、これはなかなかの特典!いいな!」
そうやって学校へ戻るのも忘れ、わっきゃわっきゃと一人はしゃぐ高校1年生。
ま、まだ一年生だから! 子供の部類だから! 変な目で見ないで!! ……ってか空飛べたら誰だってはしゃぐだろ!! 変な目で見ないで!!
そんなこんなで色々あったが、無事に我が家へ到着。飛べる為いつもより早く家に着いた私はドアをすり抜けて中へと入り、ポカンと惚ける。
あり? 誰もいませんね。
チョコちゃんーーうちで飼っている犬。ちなみにゴールデンレトリバーのメスだーーの散歩かな? なんて思ったけどチョコちゃんはしっかりぐっすりと眠っていた。考えるときの癖である顎モミモミをしていると、自分の手に目が行き、合点が行く。
病院…行ったのか……。
そこで、急に怖くなった。
別に、哀しんでくれるかなってとこに恐怖を抱いてるんじゃない。だって多分確実に哀しんでくれると思うから。そのくらい愛されてるし愛してるってのは自負してるよ。
そうじゃなくて。自分が死んだんだって改めて自覚したというか理解したというか……そういうのの、なんていうか言い様のない恐怖?がさ、今更押し寄せてきたというか……ね。今までは多分、自分の死を理解し切れていなかったんだと思う。いや、理解したくなかったのかもしれない。
私は、血の気が引く思いで呆然とその場に突っ立っていた。
………
……
…
どのくらい経ったのだろう。
ガチャリと鍵の開ける音に我に帰った私は慌てて二階へと隠れた。
別に見えないんだから隠れる必要なんて無いんだろうけど、なんとなく。
階段の脇からそろうっと様子を見れば、憔悴しきった様子で頭垂れる母さんと父さん、状況がわかっていないのか喉が渇いたとねだる弟が入って来た。
父さんはおそらく、仕事を中断してまで来てくれたのだろう。なんだか有り難いな。
そんな弟にジュースを入れながら、ソファに座る母さんに父さんが話しかける。
「初めて、会った時ね。正直、一緒に暮らしていけるか不安だったんだよ」
父さんの言葉に、母さんはピクリとも動かない。
「オレの性格もそうだけど、ゆきちゃんも人見知りだし、男の人苦手だって母さん言ってたじゃん?だから、一緒に暮らすの厳しいだろうなって」
そこで言葉を区切り、母さんの隣に父さんが腰掛けた。
昔、今の父さんと出会う前、私達は、ばあちゃん、母さん、私の三人で暮らしていたんだ。
女三人で暮らしていたからか、昔の私は男の人が大の苦手で、幼い頃は顔を見ただけで泣いていたらしい。母さんも中卒でまともな職に就けず、毎日朝早くから夜遅くまでバイトに行ってた。ほぼばあちゃんとふたり暮らしみたいなもんで、しかも私は反抗期真っ只中でばあちゃんは厳しい人で、上手くいってたって言うと嘘になる。正直、こんな生活嫌だった。
そんな最中に、母さんが出会ったのが父さんなんだ。
二人共とても幸せそうで、私も引っ越しでばあちゃんから離れられてせいせいしてた。
父方の夫婦の反対も押し気って結婚して、子供が生まれて。それが我が弟、春だね。でもそれが、私にとっては少し、複雑だった。
「だから最初は繊細な硝子細工触るみたいにビクビクして、どう接していいかわからなくて。でもゆきちゃん、頑張ってくれてたんだよね。男の人苦手なのに話しかけてくれて、甘えたりもしてくれて。それからオレも、三人で暮らすの楽しくなったんだよ」
母さんの顔は俯いていてよくわからないけど、顔の真下にあった足には、ぽつぽつとした染みが出来ていて、泣いてるんだとわかった。
「でも、春が出来て、態度が少し変わった。当たりが強くなった、って言うのかな?どことなく寂しそうだなって感じるようになったよ。多分、不安だったんだと思うんだ。オレとの血の繋がりがなくて、春はオレと母さんの子供で、ゆきちゃんとの直接的繋がりが、母さんしかいなくて。しかも、友達が出来ないってボヤいてたの聞いたんだ。きっと、肩身の狭い思い、してたんじゃないかと思う。だから……」
ここで初めて、父さんの目に涙が見えた。
「だから一言、謝りたかったなって……!慰めたかったな……って……。わかってたのに…なにもできなくて……しようとしなくて……」
そこまで絞り出すように言うと、父さんはその後何も言わずに、ただ静かに泣いていた。
母さんもその言葉を聞いて、嗚咽を漏らすだけ。
そんな、風に……思って…くれてたんだ……。
私はというと、突然過ぎてうまく状況が呑み込めなかった。
ただ、頬を伝う温かい温もりに、
ああ、泣いてるんだ。
なんて他人事に思っていたくらいだ。




