独りは嫌です
白姫は、男の視線が嫌だった。
品定めするみたいな目。
人を見る目ではない。
白姫は、その目を知っている。
人間たちも、時々同じ目をしていたから。
「いい妖力だ」
灰髪の男は笑う。
「半妖にしては随分強い。完全に妖化したら、そこらの妖怪よりよほど使えそうだ。そしたらこの土地も俺たちのものにできる」
白姫は反射的に腕を押さえた。
桜色の亀裂が熱を持っている。
見透かされている気がした。
自分の中にある“化け物”を。
「その子に触るなって言ったでしょう」
アラクネアの声が冷たい。
黒い糸が空中に張り巡らされる。
夜の闇そのものみたいな糸。
男はそれを見て肩をすくめた。
「怖いな。ずいぶん本気じゃないか」
「向こうに行って」
「嫌だと言ったら?」
空気が変わる。
周囲の妖怪たちが低く唸る。
白姫は刀を生み出そうとする。
けれどその前に、アラクネアが小さく言った。
「白姫、下がってて」
「でも」
「お願い」
白姫は口を閉じる。
お願い。
命令じゃなかった。
白姫はその言葉に弱かった。
アラクネアはいつも、白姫を“考える存在”として扱う。
それが嬉しい。
だから逆らえなかった。
男はその様子を見て笑った。
「本当に気に入ってるんだな」
アラクネアは答えない。
ただ糸を静かに揺らしている。
「まあいい」
男は白姫を見る。
「でも、その半妖。長くは保たないぞ」
白姫の背筋が冷える。
男は楽しそうに続けた。
「もう崩れ始めてる。見れば分かる」
白姫は自分の腕を見る。
亀裂は、確かに増えていた。
「壊れるのが怖いか?」
その問いに、白姫は答えられない。
怖い。
でも。
最近は、少しだけ分からなくなる時がある。
斬ることが。
壊すことが。
自然に思える瞬間がある。
それが一番怖かった。
「もう一度言うわ、向こうへ行って」
アラクネアがもう一度言う。
男は少しだけ目を細めた。
「随分必死だな」
その瞬間。
周囲の妖怪たちが一斉に動いた。
黒い獣のような影。
牙。
爪。
白姫は反射的に前へ出る。
腕が裂ける。
白い刀が生まれる。
一閃。
妖怪の身体が宙を舞う。
白姫は迷わなかった。
刀が舞うたび、妖怪たちが崩れていく。
アラクネアはその姿を見て、眉を寄せた。
白姫は強い。
強すぎる。
でも今の白姫は、少しおかしかった。
表情が薄い。
呼吸も浅い。
まるで感情を置いてきたみたいに、淡々と斬っている。
「白姫!」
アラクネアが呼ぶ。
白姫は振り返る。
その瞳に、一瞬だけ赤が混じった。
アラクネアの胸が冷える。
妖化が進んでいる。
男はそれを見て笑った。
「いい顔だ」
ぞっとする声だった。
「もうすぐ楽になれるぞ」
白姫は次の妖怪を斬る。
刀が身体から増えていく。
腕だけじゃない。
肩から。
背中から。
刀が生えてくる。
痛い。
はずだった。
でも今は、あまり感じない。
そのことが怖かった。
「白姫!」
アラクネアが糸を伸ばす。
黒い糸が白姫の腕へ絡む。
その瞬間。
白姫の身体がびくりと震えた。
意識が戻る。
「……アラク、ネア」
白姫は荒い息を吐く。
周囲には切り裂かれた妖怪たちが転がっていた。
自分が斬った。
でも、途中からよく覚えていない。
胸の奥が冷たくなる。
「私……また……」
アラクネアは白姫を抱き寄せる。
「大丈夫。戻ってきた」
その声は優しかった。
でも震えていた。
怖かったのだ。
白姫が本当に壊れてしまうことが。
男はそれを見ながら、静かに笑う。
「やっぱり面白いな」
白姫はその言葉に震える。
怖い。
化け物になるのが。
理性を失うのが。
でも。
その一方で。
頭の奥から囁く声がある。
楽になれる、と。
人間でいようとしなくていい。
苦しまなくていい。
全部壊してしまえば楽だ、と。
白姫は頭を押さえる。
「いや……」
「白姫!」
アラクネアが強く抱きしめる。
黒い糸が優しく身体を包む。
その感触だけが、白姫を繋ぎ止める。
「大丈夫」
アラクネアは必死だった。
「まだ、怖いって思えてる」
白姫は涙を滲ませる。
「でも……苦しいです……」
「うん」
「頑張っても、怖がられて……」
声が震える。
「人間になりたかっただけなのに……」
その言葉に、アラクネアの胸が痛む。
白姫はずっと、“普通”になりたかったのだ。
誰かに必要とされて。
笑って。
傷ついて。
そういう当たり前を欲しがっていた。
でも世界は、それを許さなかった。
男は冷めた目で二人を見る。
「くだらないな」
その声には本気で理解できないという色があった。
「化け物なら、化け物らしく生きればいいだろ」
白姫はその言葉を聞いて、ゆっくり顔を上げる。
涙で滲んだ視界の向こう。
男は笑っている。
でも。
アラクネアは違う。
白姫が苦しんでいることを悲しんでくれる。
壊れそうになると止めてくれる。
怖いと言ったら抱きしめてくれる。
白姫は胸の奥が強く締め付けられる。
そして初めて思った。
もし。
もし化け物になるなら。
独りは嫌だ、と。
白姫はそっと、アラクネアの服を掴む。
「……アラクネア」
「なに?」
白姫は震える声で言った。
「もし私が、本当に化け物になったら」
アラクネアは黙って聞いている。
白姫は小さく息を吸う。
「……隣に、いてくれますか」
男が目を見開く。
アラクネアも、一瞬言葉を失った。
白姫は泣きそうな顔で続ける。
「独りは、嫌です……」




