178・鬼女アン・ベリィ
ここだけ、周囲の木々がない。
いや、正確には腐ったように草木が朽ち、黒く砕けた倒木や枯葉が散乱していた。
その中央に、腐肉がある。
――邪竜の腐肉だ。
ピンク色の肉塊で、所々が黒く腐っている。
大きさは1メートル強ぐらいのサイズで、その中央に肉の触手に絡まれ、埋もれるように青い髪の男性が座っていた。
(オーディンさん!)
僕は愕然とする。
彼の鎧は砕け、見える肌には大量の出血の跡があった。
その両腕は、磔にされたように広げられ、手の先は力なく垂れ下がり、まるで死んでいるように見える。
美女3人の表情も硬い。
すぐに駆け付けたい。
だけど、できなかった。
その腐肉とオーディンさんのそばに、1人の女の人が立っていた。
長いボサボサの黒髪。
服は半分はだけた状態で、返り血を浴びたのか褐色のまだらに変色した白いワンピースを着ている。
雰囲気は、まるで幽霊だ。
その幽霊美女の手には、金色に輝く美しい剣――オーディンさんの持っていたオリハルコンの剣があり、白濁した瞳は珍しそうにその輝きを眺めていた。
儚げで妖しい姿。
だけど、強烈な嫌悪を感じる。
ああ、真眼で視なくてもわかる。
(――彼女が、高濃度汚染体だ)
黒騎士ジオ・クレイアードと似た幽鬼の気配と、多頭牙龍ヒュドラのような暴虐的な圧力が滲み出ている。
だから、僕らは迂闊に動けない。
ゴクッ
僕は、唾を飲む。
そして、情報を得るため、真眼を発動した。
ヒィン
【オーディン・レクス】
・状態、瀕死。
・生存しているが、あと2~3時間で死亡する。
・現在、呪詛の汚染が進行中。生命活動の停止後、高濃度汚染体として再活動を始めるだろう。
(生きてる……!)
まずは安堵。
でも、猶予は2~3時間しかない。
そのタイムリミット前に、今、目の前にいる『高濃度汚染体』の女を倒し、彼を救出しなければならないのか。
かなりの高難度ミッション。
僕は、その対象となる女を見て、
ヒィン
再び、空中に文字を表示する。
【アン・ベリィ】
・30年前の森緑級冒険者。
・30年前、魔物からの逃走の際、仲間に足の健を切られて囮にされた。
・辛うじて生き延びたが瀕死となり、飢えを凌ぐため、森の中で発見した『邪竜の腐肉』を食べてしまう。その後、負傷が原因で死亡し、高濃度汚染体として蘇った。
・冒険者全般に敵意を持っている。
・ただし、仲間を逃がすため、自らを囮としたオーディンに興味を抱き、その存在に執着している。
・戦闘力、1890。
(…………)
なんて惨い過去だ。
当時の彼女の仲間に腹が立ち、そのあとの彼女の状況に恐怖に似たやり切れなさを感じる。
望んだ訳じゃない。
でも、彼女は人類の敵になってしまった。
そして、
(オーディンさんに執着……?)
自分の過去ゆえだろうか?
確かに彼は美形だし、女性にモテそうだけど……まさか、それも理由だったりしないよね?
本来、敵である女性を虜にするいい男。
(……ぬ、ぬぅ)
平凡な顔の僕は、少し複雑。
い、いや、僕にはクレフィーンさんがいるもんね!
別に羨ましくないもん。
などと、ふざけた思考で、僕は少しでも息苦しい圧迫感を減らそうとする。
でも、
ギロッ
(!)
邪竜の鬼女となったアン・ベリィの眼球が動き、僕を見た。
まさか、『真眼』の気配に気づいた?
わからない。
でも、何かを感じたように、彼女は白濁した眼球を大きく見開きながら、僕の方を睨んでいる。
こ、怖……っ。
と、3人の美女が僕を庇うように前に出た。
え、あ……。
「大丈夫ですか、シンイチ君?」
「気圧されるんじゃないわ、気合を入れなさい。最初から気持ちで負けては駄目よ」
「あ……は、はい!」
クレフィーンさん、レイアさんの言葉に、僕はハッとする。
そうだ。
(負けてはいけない)
オーディンさんを助けるだけじゃない。
この世界の……何より、ファナちゃんの未来のためにも、僕らは絶対に負けられないんだ。
ギュッ
唇を引き結び、もう1度、覚悟を決める。
左手の小盾を構え、右手の小剣を握り直し、鬼女の視線を真っ向から見返した。
奴の白濁した眼球に、強い敵意が灯る。
キシャアア
まるで肉食獣みたいに大きく開口し、牙を剝いた鬼女は叫んだ。
ビリリと鼓膜と肌が痺れる。
と、そんな中、アルタミナさんが静かに口を開く。
「――シンイチ君、オーディは生きてるかい?」
(あ……)
黒髪の美女は、前を向いたままだ。
邪竜の鬼女と友人であるオーディンさんのいる方を見つめながら、僕に問いかけていた。
……その声に、重く熱い何かを感じる。
僕は頷き、
「生きてます。ただ、2~3時間以内に助けないと死にます」
と、はっきり伝える。
黒髪の美女は淡々と「そう」と答えた。
クレフィーンさん、レイアさんもそんな友人を見る。
数秒の沈黙。
そして、
「オーディの剣は、オリハルコン製だ」
「はい」
「竜の鱗さえ簡単に切り裂くし、何より、魔力の流れを無効化してしまう。多分、シンイチ君の防御魔法も無効化してしまうかもしれない」
「え……?」
「気をつけて」
「は、はい」
淡々と教えられ、僕は慌てて頷く。
(え、マジで?)
つまり、古代魔法『王霊の盾』による防御結界も、オーディンさんの剣は普通に斬ってしまうってこと?
嘘でしょ?
しかも、その『オーディンさんの剣』を今、鬼女アン・ベリィが持っている。
……や、やば過ぎる。
僕、一気に冷や汗が噴き出てきたよ。
クレフィーンさんも頷き、
「では、私の『白き炎霊』も、剣の効果でかき消されてしまうかもしれませんね」
「ええ、私の重力魔法も……。厄介な剣ね」
と、レイアさんも形の良い眉をしかめる。
――魔法が通じない。
それは、かなり強力なハンデだろう。
特に僕は『王霊の盾』によって何度も命を救われ、また状況を打開してきたので、その絶対防御の安心感が消えた不安はかなり強く感じてしまう。
けど、それより気になる点が1つ。
(……?)
アルタミナさん?
彼女の表情は変わらない。
静かな闘志が秘められて……でも、いつもある余裕のようなものもなくて。
何だろう?
その能面のような表情からは、むしろ怒気のような……噴火寸前の火山のような、抑え込まれた感情の昂りを感じる。
なぜ?
と、ふと気づく。
(あ、そうか)
彼女の視線は、オーディンさんに向いている。
アルタミナさんとオーディンさんは年齢も近く、また数多の冒険者がいる中でもたった3人だけの同格の存在で、彼は唯一の戦友であり好敵手のような人物と言えるだろう。
そんな彼が今、死にかけている。
そして、その愛用の武器が、敵の手に握られている。
うん……。
きっと胸中は複雑だ。
だからこそ怒気があり、そして、より集中が高まっているのだろう。
クッ
軽く前傾姿勢。
左右の手には、戦斧と大剣を握る。
まさしく猫科の動物のように、すぐに獲物に襲いかかれる体勢だ。
彼女は、息を吐く。
そして、
「――みんな、行くよ」
と、静かに開戦を告げ、
ドン
言葉と同時に、全身の周囲に金色の光を輝かせながら、単騎で飛び出した。
(!?)
一瞬驚き、
「はい!」
「ええ!」
歴戦の2人も即、応じ、彼女を追う。
僕も慌てて「は、はい!」と叫び、前へと飛び出した。
その強襲を受け、
キシャアアアッ
邪竜の鬼女アン・ベリィは人とは思えぬ醜い形相で、甲高い咆哮を返したんだ。




