176・魔瘴気の満ちる黒き森
――魔瘴気の満ちる黒き森。
名前の通り、そこは常に瘴気が満ちている森なのだという。
瘴気とは、簡単に言うと生命に有害な微量の空気成分。
その影響により、森の木々の葉や草花は黒く染まり、また長時間の滞在は身体への悪影響も及ぼしたり、時には精神の不調も引き起こすとか……瘴気って怖いね?
対策は、浄化魔法。
今回は、アルタミナさんが習得している。
ちなみに、この浄化魔法は、腐肉の呪詛を落とすのにも使えるのでちょうどいいんだ。
あと、薄暗い森らしいので、レイアさんが光魔法を、クレフィーンさんが除蟲と水生成の魔法を習得して、森の探索に挑むことにしている。
それと、魔瘴気の満ちる黒き森は、常に霧が濃いらしい。
霧自体が、瘴気の成分なのかな?
なので、森に迷うことも多く、本来は位置把握の魔法も必須なのだとか。
だけど、
「そこは、シンイチ君を信頼してるよ」
「はい」
「便利な目よね、助かるわ」
と、3人は僕を――というか、僕の『真眼』を全面的に信じてくれ、位置把握の魔法は習得しなかった。
うむ、責任重大。
(期待に応えられるよう、がんばろう……!)
と、内心で気合を入れる。
竜車は昼夜の区別なく、街道をひた走る。
休憩は、最低限。
車両を引く竜たちにも、御者さんたちにも負担をかけるけど、緊急事態だということでがんばってもらう。
移動開始から、5日目。
ヒィン
(お……?)
空中に文字が浮かんだ。
【オーディン・レクスの仲間】
・逃がされたオーディンの仲間2人が、魔瘴気の満ちる黒き森に最も近い町へと辿り着いた。
・2人とも重傷。
・発見した町の人々が驚き、現在、手当てが行われている。
・2人は痛みを堪え、必死に町の人に事情を伝え、オーディンの救助を求めている。
・幸い、命の別状はなし。
・ただし、後遺症の残る可能性大。今後、冒険者としての活動は不可能である。
(……そっか)
オーディンさんが命懸けで逃がした仲間。
何とか助かったみたい。
ただ、冒険者は引退しないといけないみたいだけど……でも、うん、きっと生きてることの方が大事。
僕は、3人にも報告。
「そう、2人は助かったんだね」
「よかったです」
「生き残ったのなら、人生、何とでもなるわ。オーディのおかげね」
と、彼女たちも頷いた。
特に、アルタミナさん、レイアさんは、オーディンさんと知り合いな分、その仲間2人とも顔見知りみたいで、より安堵の色が見える。
本来なら、多分、ここで諸々の事実が判明。
町長などから王都に報告が行くことになり、そこから対応が始まる。
ああ、うん。
(絶対、間に合わなかったよね)
がんばった2人には悪いけど、きっと、オーディンさんは助けられなかったろう。
救援が到着するまでには、きっと30日以上が経過し、彼も『高濃度汚染体』に変容している。
結果、救援に向かった人たちもどうなってしまうか……。
――それが、本来あるべき世界線だったのだ。
そう考えると、
(真眼君、本当に凄いな)
と、改めて思う。
人の世ならばどうしようもない現実を捻じ曲げ、希望を残させている――さすが、女神の祝福だよね。
彼女たちも同じことを感じたのかもしれない。
3人ともが、僕を見る。
クレフィーンさんが微笑み、
「――この国に、この世界に、シンイチ君がいてくれて本当に良かったです」
と、呟いた。
他の2人も微笑み、頷く。
(う、ぁ……)
3人の美女の素直な笑顔が眩しくて、ドキンと胸に刺さってしまう。
何だか照れ臭い。
僕は赤くなりながら、その照れを誤魔化すように笑う。
そして、言う。
「必ず、オーディンさんを助けましょうね」
彼女たちも頷く。
それからも竜車は爆走する。
道中、町や村にも立ち寄らず、ただ街道を走り続け――やがて、出発から7日目、僕らはついに『魔瘴気の満ちる黒き森』へと辿り着いたのだ。
◇◇◇◇◇◇◇
街道で竜車を降り、隣接した森を数時間歩く。
最初は普通の森に見えていたけれど、段々と木々の葉や草花は黒く変色し、世界の色が緑より黒が多くなっていく。
ここが、
(――魔瘴気の満ちる黒き森、か)
本当に、真っ黒だ。
頭上の葉の隙間から見える空の青さが鮮やかで、目に沁みる。
だけど、しばらく進むと、視界に白い靄がかかる。
――霧だ。
いや、瘴気かな?
ほんのり生臭いような臭いを感じ、微妙な不快感がある。
この不快感は、瘴気の影響だろうか?
目の前には、黒い木々と白い霧の混じった水墨画のような世界が広がっている。
このどこかに、
(オーディンさんがいる)
しっかり探さないと。
歩きながら、僕は真眼を発動する。
ヒィン
【オーディン・レクス】
・意識なく、仮死状態。
・邪竜の腐肉に捕らえられたまま、呪詛の汚染を受け続けている。
・距離、約63キロ。
(うん)
見つけた。
僕は指差し、
「オーディンさんは、この方角に約6万3000メードです。今、仮死状態で、そばに腐肉もあります」
と、報告。
3人も頷いた。
オーディンさんと同じ煌金級の美女が聞く。
「高濃度汚染体はいる?」
「えっと――」
僕は、もう1度、発動。
ヒィン
【高濃度汚染体】
・腐肉のそばにいる。
・オーディン・レクスを眺め、その汚染が完了するのを待ち侘びている。
・人型、女性。
・約30年前、この森で仲間に見捨てられた無名の冒険者。同じ『冒険者』という存在に強い恨みを持つ。
・戦闘力、1890。
(あ、うん)
僕は頷き、
「いますね」
「そう」
「昔、冒険者だった女の人で、前に戦った多脚型ゴーレムの倍ぐらいの強さです」
「女? 元人間かい?」
「はい」
黒騎士ジオ・クレイアードと同じだね。
ただ、あっちは50年前に名を馳せた有名な冒険者で、こっちは30年前の無名の冒険者みたいだけど。
僕は言う。
「30年前、森で仲間に見捨てられたらしくて」
「ああ……」
黒髪の美女は、少し表情をしかめる。
見れば、他2人も同様で。
アルタミナさんは言う。
「不愉快だけど、よくあるんだよね」
「え?」
「実力以上の場所に挑み、窮地に陥ると、不仲だったり、負傷した仲間を生贄にして逃げる連中がさ。目撃者もいないから、特に罰則も受けないし……だから、意外とそういうの、あるんだよ」
「そうなんですか?」
「うん」
「…………」
振り返る。
視線を向けると、クレフィーンさん、レイアさんも頷く。
「同じ冒険者として、情けないことですが」
「冒険者の恥ね」
「…………」
なるほど。
(命懸けで仲間を逃がしたオーディンさんとは大違いだ)
世の中、色んな人がいる。
だからこそ、人間って時に怖いなって思うよ。
と、その時、
ギュッ
クレフィーンさんの手が、僕の手を握った。
(ん?)
「私たちは、絶対に見捨てませんよ」
「…………」
思わず、見返す。
彼女の青い瞳は、真っ直ぐに、真剣な眼差しで僕を見ていた。
他の2人も同じ眼差しと表情だ。
(……うん)
何か、心が温かい。
人間が怖いと思う時もあるけれど、でも、素敵だなと思う時もある。
今が、そう。
だから、僕は笑い、
「はい、僕も見捨てないです」
と、3人を見て、口にした。
僕の言葉と表情に、年上の彼女たちはどこか安心したように笑ってくれる。
正直、僕も弱い人間だけど……でも、こんな僕を信じてくれる素敵な彼女たちの信頼を裏切るような真似だけはしたくないなと、強く思う。
大好きなクレフィーンさんに嫌われたくないし。
天使なファナちゃんに顔向けできない自分にもなりたくない。
だから、
(覚悟を決めて、がんばるぞ)
自分に言い聞かせ、僕は頷く。
それからも僕ら4人は、水墨画のような黒と白の森の景色の更に奥へと進んでいったんだ。




