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魔法病とセカイシンドローム  作者: Ria
第四章 カガミドリーマー
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殺したのは自分自身だと、気付いているのだろうか。

 虫の声だけが鳴るような寂しい夜だった。今、大地は煌々と白い光に照らされて、空には作り物のような月がある。


 この暗い土の下に沈んだ太陽は死んでしまったよう。そんな濃い闇の中でも見通せるようにと、誰かが夜空に光を浮かべたのだ。誰の上にも降り注いだ。

 眠る村人の窓辺にも、静かな村を出てすぐの所で飼われている、角のない家畜にも。



 ひとり、家を抜け出した青年は歩いていく。


 やがて辿り着いた家の裏に回り込むと、窓を叩いた。返事はない。

 手をかけるとすんなり開いた。鍵はかけられていなかったらしく、彼は身体を折って音も立てずに部屋へ入るのだ。



 見慣れた空間だった。いつだって病がその身を蝕むたび、彼は鏡の前に立った。そこには初め、血色の悪い自分の姿が映っていて、やがてその身体を透かすようにして背後の景色を見る。ここにはない自由な世界で生きるアイテル、寄り添うクレメルの姿。


 ある日クレメルが吐血した。彼女は病気だった。たくさんの医者が奮闘しても手遅れで、もう悪くなるばかりだということを誰よりユキヒトが知っていた。

 入院している同じ病棟には、クレメルと似たような症状を持つ患者がいたからだ。彼らが血を吐いた時には既に末期で、もう痛みを和らげることしか成すすべが無いことも分かっていた。


 クレメルは苦しむ。


 アイテルはその姿から目を逸らす。


 許せなかった。何度諦められても、見捨てられても、病に侵された本人は逃げも隠れも出来やしないのだ。



 どんなに苦しくても、命に向き合うことをやめられない。





「あの時……どうしてあんたは何も言ってくれなかったの? 哀しかったのよ、あたし。死んでしまうかと思った」


 ねぇ、アイテル。


 少女はベッドの上、うっすらと目を開いていた。眠っていたらどれほど良かっただろう?


「約束したじゃない……そうしたらあんた、いつもの仏頂面でなぁんにも言わずに、ただ見下ろしたの。あたしを嫌いになった? 軽蔑したのかしら。分からなかった」


 色の悪くなった瞳も、月に照らされれば分からない。こけた頬も失いかけの命さえ美しく見えるのは、夜だけに許されていた。


「あんた、一層剣に打ち込んだわ。あたしが伏せってばかりになっても……ああ、約束よって言ったのに、どうして」



 アイテル。



 少女が微笑む。月を背にした青年は黒く塗り潰された影のように見えた。


「きっと怖かったんだ。ずっとね」

「アイテルが? 馬鹿言わないでよ、あんた感情なんてろくにありゃあしないじゃない」

「……そうかな」


 もしここで頷いて、感情なんて奴に無いのだと言えたらどれほど良かっただろう。だから今の俺はユキヒトなんだと、そう口に出来たなら。

 クレメルは自分を認めてくれただろうか。


 その日は彼女の誕生日などではなかった。朦朧とした頭で勘違いをしただけなのか、それとも今日を区切りにしようとして嘘をついたのかは分からない。それでもクレメルが自分の誕生日だというのなら——もう終わりだと言うことなのだろう。

 約束を守る時が来たのだ。


 ユキヒトは存在証明をする。この世界で生きていくために。



「俺だから出来るよ。クレメ、君の苦しみは俺の苦しみと同じだったんだ。向こうからずっと見つめていたのはアイテルじゃなくて君だった。君が幸せであるよう、救われるよう祈っていたんだよ……」

「あんた、いきなり何を言っているの?」

「分かってくれなくたっていいんだ、約束を守るために来たんだよ」


 本当? とクレメルが笑う。心の底から幸せそうな、ユキヒトがずっと見たかった顔を向けた。例え美しくなくとも彼女は青年の全てであったのだ。



 ユキヒトは腰から下げた剣を抜いた。きらりと光を反射したそれが目を痛めるのに、後戻りはできない。



「やっと終えてくれるのね。いつまでも人生は続くんだって思えているうちはいいの。でも、いつ終わりが来るのかと待つようになったら、全て苦痛に変わるのよ。ねぇ」

「そうだね。そうなんだよ」

 枕元には花束が置かれていた。花瓶にも入れていないために萎れてしまっている。それでいいのだと思う。

 剣を振り上げた。その時初めて、アイテルと心が通じてしまったような引き返せない感覚が青年の心を苛んだ。クレメルの身体のどこにどのくらいの力で剣を振り下ろせばいいのか、手に取るように分かるのだ。


 一番彼女が苦しまない剣の道筋が、見える。


 この瞬間のためにアイテルは——。




「……あんたがへんな名前を名乗っても、あたしの呼び方だけは変えないのよ。クレメって呼ぶの。だからあたしにとっていつまでもアイテルなのよ……気付いてた?」



 きっとここに立っているのがアイテルなら、こうはならなかっただろう。少女は苦しみながら病に食われて死んでいく。

 きっとここに立っているのがユキヒトだけなら、こうはならなかっただろう。少女が痛みに悶え、耐えながら今日の命を血とともに失う。



 世界のとある場所に、今、この複雑な命が生きているから——滑らかな傷口を残して少女は死んだ。









 血濡れた手に魔法の花を握らせて、ユキヒトは部屋の中を見回した。もう行かねばならないのに、彼の足は不思議と埃をかぶった姿見の前へ向かう。

 ぼんやりと映るのは、青ざめたアイテルの姿。


 彼は泣いていた。涙を本当に流しているのはユキヒトなのに、この身体はアイテルの形をしているから。


「これで良かったと……そう思うか?」


 口にした問いはいつだって自分に返ってくる。


「俺だから出来たんだと思うだろ? なあ」


「お前じゃダメだったんだよ」


「ここにいるのが俺だから……おれ、だから」


「俺の方が、お前よりうまく出来たんだ。分かるだろ……わかるよな、何とか言えよ」



 熱い涙が次々と頬を伝った。その熱は鏡写しの二人分。

 アイテルが泣きながら、間にある鏡を激しく叩いた。ここから出せと言うように、何度も何度も。ユキヒトを睨みつけているその目は恨みに染まっていた。

 咎めると言うのだろうか、何も出来なかったくせに。

 クレメルの痛みを理解出来なかったくせに。不安にさせたくせに。


「それなのにお前は……俺を恨むの?」


 アイテルが叫んだ。獣のように目と口を見開いて、一層強く鏡を叩く。ピシリとビビが走る。



 ユキヒトはしばらく呆然としていて、やがて長居しすぎたことに気付いた。こんな所で立ち止まってはいられない。

 どうしてか右手から血が流れていて、痣と切り傷で痛ましい有様だった。その理由すら夢の中のような不鮮明さで残し、彼は窓から去っていく。


 残されたのは割れた鏡と、美しい亡骸。













「やあ、遅かったね」


 村の出口で待っていたのは魔法使いの一行だった。



「ふん、今日は良い月だ……どこかの誰かのせいでここ最近、しっかり見ることが出来なかったからな。少々慌ただしいのは仕方ないが、月見が出来て何よりだぞ」


 マニが満足そうに空を見上げる。対照的に顔をしかめて俯いたルフトが、早く行こうよと急かすのだ。



 彼らは誰にも見つからないよう、こっそりと村を出る。夜がされば全てが明るみに出てしまうだろう。その前に少しでも、遠くへ行けるように。

 イルファもマニを追うように空を見上げた。牢屋から出て世界と向き合った時のような、懐かしい感覚が蘇る。世界は広く美しかった。景色が少し変わっても、それだけは未だ変わらないまま。


「お、おいシエヴィア寝るなよ、なんだかいつもより揺れているぞ……起きろ! おっと……落ちる落ちる」

「寝ていません」

「嘘だな。絶対歩きながら眠っていたぞ、器用な娘だ。転ばぬようしゃっきりするのだ」



 騒がしい二人にちらりと目を向けて、ユキヒトが安心したように笑った。強ばっていた顔が僅かに解れたようだ。

「……あ」

 イルファとユキヒトの目が合う。

「あれ、ユキヒトさん、右手はどうかしたの? 血が出てるけど」

「い、いやこれは、その……ちょっとうっかり怪我しちゃったみたいで。気にしないで……」

「大丈夫ならいいけど」


 話をしたことで、また顔を強ばらせてしまったとイルファは反省をする。もしかしたら怖がられているのだろうか?

 目の前で何度か操術を使ったし、有り得なくもない。



 やがて村が遠のいて見えなくなるころ、ルフトがやっと口を開いた。

「ユキヒト。僕達はね、それぞれ別の目的を持って旅をしているんだ。君は何を持っている? 或いはそれを見つけに行くのかい」


 ルフトは世界にある魔法を探すため。

 イルファはそんな師匠の右腕になるため。

 シエヴィアは父親の墓参りをするため。

 マニは人間を学ぶため。


 ならばこの不安定な青年は、この旅に何を望むのだろう。



「難しいなぁ、今まで俺が出来ることなんてなかったから」

「これからは逆に何だって出来るんだよ」

「そうだよな……」


 ユキヒトは顔を上げて、西へ続く道を真っ直ぐに見据えた。


「もう俺はアイテルじゃないんだ。いっそ、沢山の人にユキヒトって呼んでもらいたいよ……俺は俺しかいないって分かって欲しい。気づいて欲しい」



 噛み締めるように言って、煌めいた目を旅の仲間に向けた。右腕のない魔法使いとその弟子の操者に。無表情なピアノの少女と喋る鳥に。

 そして、笑う。




「凄いよ、本当に。こんな世界ならきっと、俺は勇者にだってなれそうだなんて思ってしまうよ」

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