第1話 婚約破棄された悪役令嬢、厨房に立ちます
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普通の主婦だった私は、買い物帰りの横断歩道でトラックに轢かれて死んだ。
……はずだった。
目を開けた瞬間、まず飛び込んできたのは、まばゆいほどの光。
見上げると、豪華なシャンデリアが頭上で輝いている。
(……え?)
状況が理解できない。
さっきまで、確かにスーパーの袋を持って歩いていたはずだ。
夕飯は何にしようかなんて、そんな平和なことを考えていた。
それなのに――
気づけば私は、見知らぬ貴族たちに囲まれ、壇上に立たされていた。
ざわざわとした視線。
ひそひそと囁かれる声。
明らかに「普通ではない空間」だった。
「アメリア・フォン・ローゼリア!お前との婚約は、ここで破棄する!」
その声が、大広間に高らかに響いた。
視線の先。
そこに立っていたのは、この国の第一王子――アルフレッド。
金色の髪に、冷たいほど整った顔立ち。
鋭い眼差しは、まっすぐにこちらを射抜いている。
誰もが見惚れるような美貌――なのだろう。
(いやそれどころじゃない)
(え、誰? 婚約破棄!?)
頭の中が一気に混乱する。
その瞬間だった。
――知らない記憶が、洪水のように流れ込んできた。
(っ……!)
息が詰まる。
ここは乙女ゲームの世界。
そして私は――
主人公をいじめ抜いた悪役令嬢、アメリア・フォン・ローゼリア。
婚約破棄され、最後は国外追放。
典型的な破滅ルートの人物。
(情報量が多すぎる)
思わず遠い目になる。
ざわつく会場。
令嬢たちは扇子の陰で笑い、
貴族たちは面白そうにこちらを眺めている。
完全に見世物である。
アルフレッド王子は、そんな空気の中でただ一人、冷ややかな視線を向けてきた。
「何か言い残すことはあるか」
低く、感情を抑えた声。
私はゆっくりと顔を上げた。
怒りも悲しみも、まだ追いついていない。
ただ――
(……お腹すいた)
それだけが、やけにリアルだった。
朝から買い物に出て、その帰りに死んだのだ。
最後に食べたの、たしか食パン一枚。
(いや、むしろよく今まで持ったわね)
こんな非日常の中で、空腹だけが妙に現実的で笑えてくる。
私は深く一礼した。
「承知いたしました。婚約破棄、お受けします」
その言葉に、会場がどよめいた。
予想外だったのだろう。
アルフレッドの眉が、わずかに動く。
「ただし」
私は顔を上げ、にっこりと微笑んだ。
「国外追放の前に、厨房をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「……は?」
王子が初めて表情を崩した。
(いい反応)
内心で小さく頷く。
「空腹では前向きに追放される気力が出ません」
「前向きに追放される必要はない!」
即座にツッコミが入った。
「では後ろ向きでも結構です」
ざわ……と空気が揺れる。
笑いを堪えるような気配すらある。
アルフレッドはこめかみを押さえた。
「……好きにしろ」
どこか疲れた声だった。
「ありがとうございます」
私は優雅に礼をして、そのまま広間を後にする。
背中に刺さる視線は、もう気にならなかった。
---
王城の厨房は、想像以上に広く、そして――
あたたかかった。
パンの香り。
鍋の音。
忙しく動く人々。
さっきまでの冷たい大広間とは、まるで別の世界だ。
(落ち着く……)
思わずほっと息をついた、その時だった。
視界の端で、人が倒れる。
「きゃあっ!」
若い侍女の悲鳴が響いた。
「大丈夫ですか!?」
私は反射的に駆け寄る。
倒れていたのは、若い使用人の青年だった。
顔色が悪く、息も浅い。
「す、すみません……朝から忙しくて……何も食べてなくて……」
弱々しい声。
私は思わず額を押さえた。
(この世界、労働環境どうなってるの)
前世のブラック企業を思い出しそうになる。
「水を持ってきてください!」
はっきりと指示を出す。
侍女が慌てて走り出した。
私は立ち上がり、厨房を見回す。
パン、野菜、鶏肉、卵、香草。
(十分すぎる)
むしろ贅沢な食材だ。
「鍋を借ります!」
誰も止める間もなく、私は火を起こした。
野菜を刻む。
鶏肉を入れる。
水を注ぎ、火にかける。
手が勝手に動く。
体が覚えている。
ぐつぐつと煮える音。
立ち上る湯気。
香草の香りが、ふわりと広がる。
(ああ、これこれ)
ほんの少しだけ、心が落ち着いた。
最後に塩で味を整え、卵をそっと落とす。
完成だ。
「はい、ゆっくり飲んで」
私は器を差し出した。
青年は震える手で受け取り、恐る恐る一口すする。
その瞬間――
ぽろり、と涙がこぼれた。
「……おいしい」
かすれた声だった。
厨房が、静まり返る。
誰もがその光景を見つめていた。
その時。
「騒がしいと思えば、何をしている」
低い声が、入口から響いた。
振り向く。
そこに立っていたのは――
アルフレッドだった。
冷たい視線が、私とスープを交互に見る。
私はにっこりと微笑んだ。
「見ての通り、人助けです」
彼はしばらく黙っていた。
そして、短く言った。
「……そのスープ、私にも出せ」
(あ、面倒なのに見つかった)
心の中でため息をつく。
こうして私は――
追放されるはずだった王城で、
一番関わりたくない王子に、目をつけられたのだった。
【登場人物紹介】
✦アメリア・フォン・ローゼリア
本作主人公。元悪役令嬢と呼ばれていた伯爵令嬢。現在は王宮厨房で働く努力家の女性。料理の腕は一流。
✦アルフレッド・ルミエール
この国の第一王子。冷静沈着で近寄りがたい存在だったが、アメリアと出会い少しずつ変化していく。




