1◆嵐の夜
近年稀に見る酷い嵐の夜だ。先日から風が強く、これは大きなのが来るかもと、飛んできたもので窓が割れないように、どの家も窓に木の板なんかを打ち付けて補強をしている。
それが功を奏してか大きな事故は無いが、誰一人として出歩く者はいない。それは丘の上にそびえ立つエルガ公爵邸も変わりない。
だが屋敷の者たちには町に住む人たちが持たぬ胸のざわめきがある。
『この酷い嵐は、まるで亡くなった若奥様の憤怒のようではないか』
しかしそれを、誰一人としてそれを口にする者はいない。だが、嫁いでひと月経たぬ間に毒で死んだのはつい5日前のこと。口から吐き出したおびただしい血を片付けた使用人たちは、その惨さを同僚たちに口々に伝えたので、その死に様を知らぬ者は屋敷にはいない。
吹き荒れる風の音が甲高く響くと、それが死んだ若奥様の悲鳴のように聞こえて、使用人たちはどうにも落ち着かないのだ。
亡くなった夫人は公爵邸の敷地内の庭に埋葬された。本来ならばここから少し離れた場所にある、公爵家代々の立派な墓地に埋葬されるはずが、どういうわけかそうなった。
庭師が住まう小さな小屋がある。彼もまた風の音を不安に思い眠れずにいた。
『ドゴン』
外で大きな音が鳴る。この嵐なので何かが飛んで来たのかもしれない。夜が明けてから確認しようと思いながらも、庭師の心にじわじわと不安が広がる。何かを予感してのことではない。お屋敷で不幸な事件が起きたから神経が過敏になっているのだ。
庭師は外套を着けてブーツを履く。このまま不安な気持ちでいるよりも、物音の正体を見た方が気持ちがすっきりすると思ったのだ。
そしてランプを手に雨風が吹きすさぶ外に出ると、煽られながらも庭師は危なげなく歩き出した。音がしたのは若奥様が埋葬されている方角だ。風の音にかき消されながらも、近づくにつけ物音が聞こえてくる。若奥様の墓に何かあってはならぬと庭師は駆け出した。あそこに弔われたのは不幸な令嬢だ。少なくとも庭師はそう思っている。
エルガ公爵家の跡目争いは長く、正に血で血を洗う争いであった。アーネストが当主に決まったころには醜聞として社交界に広く知られており、いくら名高いエルガ公爵家であっても、娘を嫁がせたいと思う者はいなかった。そのエルガ公爵家に差し出されたのは、領地を持たぬ城勤めの文官であり、とても優秀ではあるが家としては特段何も持たぬ伯爵の一人娘であった。
長く諍いがあった家は殺伐としている。公爵邸の庭の掘っ立て小屋でぽつんと住んでいる庭師でもその空気は感じ取る。
歴史ある公爵家で働く者はそれ相応の矜持がある。先代当主の妻は王家から降嫁した姫なのもあり、特に歴史ある名家でもない伯爵家からの嫁入りを詰まらないと思う者もいた。その先代当主の妻はと言うと、何年も前から風光明媚な行楽地で、諍いなど我関せずで暮らしている
そして、結婚式をアーネストがすっぽかしたことで、その若奥様の扱いは決まったようなものだった。理由あっての不参加だとは思うが、よりにもよって自分の結婚式にいないとは、と庭師は思ったものだが、当主が軽んじる若奥様を、屋敷で働く者が右に倣うのは仕方ない話だ。庭師の耳に入ってくる話は、屋敷の者は若奥様に使用人たちが付き従うことはなく、ずいぶん辛い態度で接していたということだ。
そんな若奥様は毒で死んだ。自殺とも他殺とも分からないが、大量の血が床を染めそれは悲惨な状態だった。物音はそんな若奥様の埋葬されている墓から聞こえてくる。近づいてはっきりしたのは、それは穴を掘る音だ。
「誰だ!そこで何をしている!」
庭師はランプを掲げ目線の先を照らす。魔石で光るランプは、はっきりとその姿を映し出した。それはシャベルを持った女が若奥様の墓を暴いている姿だった。
「ひえっ…ひええええっ」
嵐でずぶ濡れになった土まみれの女が墓を掘り返しているのだ。
長い髪は顔に張り付き、土で汚れたその姿はこの土地で伝わる魔物のようであった。《ヒイラ》は死体を食らう魔物で人の成りをしており、雨や嵐の夜に墓に食い物を探しに来る。
庭師は腰を抜かしながらも這いつくばって騎士たちの詰め所を目指すが、悲しいかなそれは魔物の前で蹲っているのと大差はない。ひいひいと声にならない声を上げる庭師に、女は何をするでもなく姿を消した。
庭師がやっとの思いで騎士に助けを求め、皆が墓に集って見たものは、無残にも暴かれた棺であった。そして公爵邸の敷地に、遺体の髪と思われる茶にとても近い色味の金髪が切り落とされ落ちていた。その場に鎌も一緒にあり、近くの作業小屋にあったものだと確認が取れた。
「魔物がそんなことをするか。これは人間の仕業だ」
妻の死の報告を受けて、王都から帰って来たアーネストはそう結論付けた。
公爵邸からまんまと妻の遺体を盗み出し、その証拠だと言わんばかりに髪を切り残す。死んだ者への尊厳も何もない、エルガ公爵への宣戦布告だ。
アーネストは血濡れの跡目争いを生き残った者だが、非情と呼ばれる性質ではなく、部下や家で働く者たちには慕われていた。それが他者をまるで寄せ付けぬ氷の公爵と呼ばれるようになったのはこの日からである。




