21.兄妹
最愛の妹の救出に、鸞は単身、色気を武器に乗り込む。卓越した戦闘能力を見せつける鸞だが……
ポルシェのSUVである黒のマカンは、芝公園の手前を国道一号線に折れ、20分とかからずに首都高一号線を潜り、品川埠頭エリアへと港南橋を渡った。
目的の倉庫はこの品川埠頭の浮島の突端のエリアにあり、海を挟んですぐ目の前には、お台場のヒルトンホテルや自由の女神像が見える。夜とはいえ、お台場の灯りのおかげで漆黒の闇とはならず、動きやすいが隠れにくくもあった。
だが岸壁エリアに入るための黄色いゲートには数台の黒いSUVが停まっていた。いかにもマフィアが好みそうな防弾仕様の巨大な車体がこう何台も横たわっては、強行突破はダメージが多く、足を取られればかえって面倒になる。わざとふらりふらりとマカンの鼻先を揺らすように速度を落とすと、サブマシンガンの銃口を向けた見張りの男が二人、近寄ってきた。鸞は車を止めた。
「おい、ここから先は貸切だ」
英語でそう叫んでいるが、鸞は構わず停めて左の運転席から降りた。裸足でフラフラと酔っ払いのような絡み足で、ボンネットの前に回り込む。
「おい、女」
返事もせずにボンネットを開けて、尻を突き出すようにして中を覗き込むと、男達はヤニ下がったような下卑た笑いを浮かべて近寄ってくる。それもそうだ、背中の線は露わで、突き出された尻の割れ目の上の方まで見えそうなのだ、誘っているようにしか見えない。
「ああ、これかなぁ、調子悪いのよねぇ」
呂律が回っていない様子の女の尻に手を添えるようにして、二人の男が両側からボンネットの中を覗き込んだ。その手が太腿から前へと滑ってきたのは右の長髪の男だ。
「調子が悪いのはアタシじゃないわよ」
長髪を握りしめるなり後ろに首を反らせると同時に左の男の脇腹に左足で蹴りを食い込ませ、更に長髪男の顔面に頭突きを食らわせる。役割を思い出させる間も無く、立ち上がった左の男の顔をエンジンに押し付けてボンネットを背中に叩きつけ、動かなくなった男の腰のナイフを抜いて長髪男の太腿めがけて投げつけた。唸り声を上げられても面倒なので、鳩尾に拳を叩き込んで黙らせた。二人を眠らせるのに、所要時間約1分。ゴリラのような体格の大男を音を立てずに眠らせるのは、やはり骨が折れる。
「少し太ろうかなぁ……」
二人のサブマシンガンを奪って車の助手席に放り込み、鸞は車の中にあったランニングシューズを履き、黒のハンティングベストを羽織った。ポケットにはスペアのマガジンを2本突っ込み、更にダウンしている男達からナイフと無線を奪ってポケットに収めた。そして再びマカンのアクセルを踏み、ゲートを突破して岸壁を疾駆した。
問題の倉庫は、コンテナが数百と連なるその手前に忽然と建っている。岸壁のラインに垂直に入り口があり、その巨大な間口は今はシャッターで閉じられている。その倉庫を取り囲むように並んでいるコンテナの列の其処彼処に、黒塗りのセダンが何台も止まっているのが見えた。
海側に非常階段が見える。2階まで繋がっている階段だ。鸞は慎重にコンテナの列の合間を大きく迂回して、倉庫をぐるりと回り込むようにして裏手から非常階段のすぐ下に車を停めた。岸壁までトラック一台分程の幅がある。ここからなら、一気に岸壁側を疾駆して逃げることができるだろう。
この倉庫ならば、配置は頭に入っている。かつてこの付近でレイモンドを逮捕した時、待ち伏せ前の周辺捜査でこの倉庫にも立ち入っていたのだ。
静かに階段を登り、二階のドアの前で身を潜めたところで、鸞はふと視線を感じた。直接目が合うような視線ではない、スコープ越しの……海の向こうのホテルの屋上で、何かが反射したような気がした。その小さな反射は少しゆらゆらと蠢くと、やがて消えた。後で来るであろうレイモンドを狙うスナイパーなのか。
構わずに、鸞はゆっくりとドアを開けて中へと身を滑らせた。
建物の内壁に沿うように、2階部分は幅2メートル程の通路がぐるりと一周して繋がっている。そこかしこに、クレーンが動くためのレールが繋がっており、点検作業の為の通路になっていた。
骨組みに沿って、巨大な電灯がハの字に取り付けられている。ほんの僅か壁から伸びる影の中に身を潜むようにしながら、東の角にある筈の機械室を目指して動き出した。
「レイモンドは、当局から見捨てられた。所詮マフィアには不向きな上流気取りのイケ好かない英国野郎なんだ。俺はここであいつを殺して、広東を手に入れる。これからはもっと大きく、あんたのところと商売させてほしいね」
「睿譚、譚一族を裏切って、大丈夫なのかね。マフィアの抗争に巻き込まれるのはごめんだ」
会話は恐らく、レイモンドの従兄弟である睿と、六曜会の幹部だ。慎重に歩を進めながらも、鸞は聞き耳を立てていた。
「こっちは警視庁副総監の愛娘を握っている。そろそろ、この場所が特定できた頃だろう。ランデヴーの時間まで、あと30分ほどだ」
「なら良いが。おまえさんはどうも詰めが甘そうだ。レイモンドの比ではない」
六曜会はあまりルイを信頼していない……これなら勝機はあるかもしれないと、鸞は辿り着いた機械室の扉を開けた。
目の前のクレーンの運転席に、亮子が縛られて眠っていた。画像で見た通りの場所にいてくれて、幸いだった。直ぐに縄を切り、妹を背に負ぶった。温かい、無事だ。安堵の涙を堪え、鸞はゆっくりと機械室の外へと身を屈めながら歩き出した。中腰になったまま、16にしては長身の亮子を背負って歩くのはキツい。額から汗が流れ落ちるのを感じながらも、鸞は絶対離すまいと手に力を込め、出口を目指した。
慎重にドアを開けた。と、階下には大型の黒塗り車が集まり、威嚇するかのようにシャッターをライトで照らしていた。レイモンドだ。
「マズイな……」
銃撃戦の前にとにかく妹をここから遠ざけたい。
鸞は階段を降りるのを諦め、一旦建物の中に戻った。
「ウチは手を引かせてもらう。今は余り警察とも喧嘩をしたくないんでね」
エンジンカッター2台がシャッターを切り裂く轟音が凄まじく倉庫内を反響し、思わず全員が耳を押さえた。
やがて、武器を持った大勢の部下を従えて、黒いサバイバルスーツに身を包んだレイモンドが、酷薄な笑みを浮かべて入ってきた。
「椛島さん」
「これは譚さん」
二人は旧知の親しさの奥に相手を威嚇する激しさを隠し、互いの肩を叩き合った。
「先日の迷惑料に、新たな品物を用意しましたから、持って行ってください」
レイモンドがそう言うと、部下がワインと書かれた木箱を椛島の前に二つ置いた。
「ほう」
「今後ともご贔屓に」
椛島と呼ばれた初老の男は、手下にその箱を開けさせた。中身は、逮捕された時に押収された量を上回る数の拳銃、マシンガン、そして銃弾であった。
満足そうに頷いた椛島は、それらを部下に持たせ、悠々とレイモンドの横を通り過ぎて倉庫から出て行った。
「残念だったな、ルイ。商売とは、長年の信頼関係がモノを言う。私の販路はこの通り、健在だ」
今まで鸞には見せたことのない凍りつくような目で、レイモンドが一瞬だけ2階に視線を走らせた。マフィアの目だ。これから、マフィアの世界の落とし前をつける儀式が始まる。凄絶な血の粛清だ。その前に、行け……そう言われたように感じ、鸞はゆっくりとドアを開けた。
「ルイを縛り上げろ」
逆らおうとするルイに容赦無く弾を撃ち込み、肩を押さえて悶絶するルイをレイモンドの部下が縛り上げた。
「お、おまえら、撃てよ! 」
ルイの部下達は、流石に組織の大ボスの出現に、その桁違いなオーラに圧倒され、震える手で銃口を蹴るも敢え無く撃ち殺されていった。
「投降するものは許そう。私の組織の大切な子供達よ」
鸞が外に出ようとしたその時、亮子が背中から滑りそうになり、持ち直した際に足先がドアに当たって音を立てた。しまった、と焦る鸞の対岸、反対側の2階の通路の陰に、スコープでレイモンドを狙う狙撃手の姿があった。咄嗟に、鸞はグロックを抜いてそのスコープを撃ち抜いた。
「2階だ! 」
何と余計なことを、と反芻する間も無く、鸞は蜂の巣をつついたような騒ぎになっている倉庫内から離れるべく、亮子を背負って一気に階段を駆け下りた。
階下にレイモンドの部下が群がっている。残りの数段から飛び立つように、グロックを放ちながら階段の裏手に着地し、停めていたマカンの陰に滑り込んだ。何とか亮子を後部席に乗せ、鸞は身を屈めながら運転席に乗り込んだ。マカンの窓は防弾仕様になっている。鸞は立ちふさがる敵に躊躇せず、アクセルを踏んだ。
けたたましいスリップ音とともに岸壁スレスレに左折をしたものの、レイモンドらが停めている車列に阻まれてしまった。逃げ道がない……。
鸞ちゃんのピンチに颯爽と現れたヒーロー!




