第十話 人の裏表
自治部会庁舎を後にし、商店街で茶菓子を配り終えて、ムヅキは湖へ向かって歩き出した。
「なんで茶菓子をやったんだ?」
「半分はヤクトが抱えてやす。まったく肝が冷えんしたが……ようざんす」
水上歩法は怖いから勘弁してくれと言うので、北側湖畔の舟屋で渡し舟に乗ることにして水際を歩く。
「これから基地に行くのか?」
「いいえ、行きんせん。今日はお呼びが無いから」
あの部長には嘘を吐いたらしい。引き止めようとする男を断るために閣下との用事を捏造したということか。
「普通に断ればいい」
「その通りでありんす。しかし、ああ言っておけば、かのさまは必ず……ほら」
ムヅキの身体に聖痕が走った。
わかっていたので止めずにムヅキの対応に倣う。
舟屋へ走る僕をムヅキの『火弾』が追い越し、前方から向かってきていた『火弾』を相殺した。
1つ手間が省けたことで楽に敵陣へ肉薄し、潜んでいた男たちを外へ出さないように屋内で制圧して終了だ。
舟屋へ近づくムヅキの足音に動揺は無く、他に伏兵は居ない。
僕なら水中に潜み、最接近した瞬間に引き摺り込んで攫うだろうが、その心配も無さそうだ。
「お見事ざんす。死んでおりんせんよね?」
「全員生きてる」
商業港や商店街にいるような人間とは違う。どことなく基地の海兵に近い気もするが、気配の消し方はアイツらよりも上手かった。
「わっちも予期しておらねば反応できんせん」
「なんでわかった?」
「ふふっ……遊女の勘でありんしょうか」
勘というのは半分冗談。部長の意に沿う形で隙を見せ、尚且つ嫉妬心を煽ることで短絡的な行動を取らせたのだと言う。
「女の武器はエサにしてこそ活きるものざんす」
「隙ってなんだ? そんなのどこにあった?」
「自分のことはわからぬものでありんしょう?」
どうやら僕のことらしい。
今までムヅキには特定の子飼いは居なかった。外を出歩く際には必ず楼主から若衆を借りて出るしかなかった。
「ですから、コチラもアチラも思い切ったことはできんせん。わっちには楼主の監視の目があり、かのさまには遊郭との付き合いがありんす」
ところが、楼主の若衆が僕に代われば状況は一変する。僕のような幼いイケメンを子飼いにして愉しむ遊女も居り、ムヅキもその気に走ったのだと邪推されることを逆手に取った。
「僕のどこに隙があるんだ? どう見てもコイツらより強いだろ」
「普通の人間にはわかりんせん。現にかのさまはヤクトを侮り、馬脚を現しんした。あれがおゆかり様? こはばからしゅうありんす」
これで自治部会の弱みを握れたと言うが、現実的な危険が無ければ弱みにならない。残念ながらムヅキだけではコイツらに勝てないだろう。
「攫われて、監禁されて、手篭めにされそうになりんしたと、わっちが閣下に告げ口したら?」
「……なるほど」
あの閣下なら砲弾を撃ち込むぐらいはやるかもしれない。だがそうすると、閣下もムヅキのことが好きなんだろうか。
「痛いところを突きなんすな……」
「どこの急所も突いてないぞ」
「痛かった……ふふっ。ヤクトには難しいでありんしょうが……」
たしかに、ムヅキの笑顔は痛そうに見えた。
**********
遊郭に戻ると門へと続く通りには普段と違う華やかさがあった。
煌びやかに着飾った女が大勢の人間に見送られてゆっくりと歩いている。
「ヤクト。もちっとこっちへ」
ムヅキに引っ張られて路肩に身を躱すと、僕と同じように道を譲る遊女や若衆の姿が見えた。
誰もが笑顔を見せているが、誰も本気で笑っていない。その嘘っぱちの笑顔が特に深いのは遊女たちだ。
「わかるざんす?」
「表情筋の動きと顎関節の軋みが噛み合ってない」
「……恐ろしい子」
唯一と言ってもいい本当の笑顔を振り撒いているのは着飾った女の後ろを歩く女児だけだ。
遊女の下で働きながら遊女としての教育を受ける禿だろう。遊郭に売られたガキンチョの女は禿、新造と位が上がって、成人と共に遊女となる。あの年齢ならまだ禿のはずだ。
「最近……身請けが多ざんす」
あの女は客に身請けされた遊女。禿は自分の姐さんの背中を憧れの目で見詰めている。
ああして最後の花道を飾って、無事に遊郭を出て行ける女はほんの一握りだと言うから、あの女は地獄の1丁目を見事に勝ち上がったことになる。
「好きな男に身請けされたのか?」
「あの顔を見るに……そうざんしょ」
遊女たちの顎がゴキゴキミシミシ鳴るわけだ。
対して衆目を集めて歩く女は鼻高々といった風情。
非常にわかりやすい勝ち負けの世界だった。
「ただの人身売買ざんす」
ムヅキは吐き捨てるように呟くと、また僕を引っ張って裏道に入り込みズンズン進んでいく。
「言うたでありんしょう? ヤクトには遊郭の裏を任せると」
あれが表の貌なら、裏の貌はどんなものなのか。
塀の内はほぼ調べ尽くしたが、理解できないものはまだ多くある。
ムヅキは古くて見窄らしい、いわゆる安い店の隙間を抜けて、塀の内側にあって壁で囲まれた区画にやってきた。
「ひょっとして……もう知ってやす?」
「死にそうな人間が詰め込まれてるだけだ」
「ほんに……この子は……」
何をどう養生するのか知らないが、壁には『養生処』と書かれてあった。
入り口をくぐれば痩せ衰えた遊女たちが寝ていて、中には瀕死の者も見受けられる。皮膚の状態と臭いから判断するに、ほとんどは感染症で死に掛けているようだ。
「ヤクト……こん人らを助けられましか?」
「無理だ。この島じゃ薬の材料が採れないから」
「薬を作れるの!?」
「材料があれば」
病原菌は目に見えないほど小さな生き物だが、とても強い。僕が死に掛けた原因のほとんどはコイツらによるもの。
師匠は何処からか材料を集めて掌の中で作ってしまうので覚えるのが大変だった。
「材料なら商人から買えるから!」
「薬だって生きてる。時間が経って乾燥すれば薬効が死ぬ。保存方法は知らないし、大量生産できるようなものじゃない」
この島で治すとしたら生体魔法になるのだろうが、病気に対してどの程度の効果があるのか僕は知らない。
「なんで助ける?」
「……助けない理由がある?」
「コイツらは自分でこうなったんだろ」
「そ、それは……予防するのもタダじゃないし……」
遊郭ではコンドームとかいう製品が出回っている。
店には遊女の定期検査も義務付けられている。
何事も対価無しに得ることはできない。
「ムヅキが助けるのはコイツらのためじゃないな」
「――」
裏も表も無い。ただ勝者と敗者が居るだけだ。
ムヅキがどちらなのかはわからないが、勝つも負けるも己れ次第と言うことだろう。
遊郭の薄暗い部分は至極単純な構図で、特に興味も引かれない。
「金を出してやってるならそれでいいだろ」
「――っ!」
ある程度なら負けることが許されている。それだけで人間はかなり上等な生き物だ。
ムヅキが何を期待して他人に優しくしているのか知らないが、好きでもない相手に優しくする必要は無い。
とは言え――、
「ふぐぅ!?」
「なっ!? 何をするの!」
好きでもない、むしろ嫌いな女たちの丹田を叩き起こしてやる僕はなんて優しいんだろう。
「やめなんし!」
気の強さと肉体の衰弱は関係ない。
「んうぅう〜っ!」
「ヒィイイイ!」
「うげぇ……っ!」
サボり過ぎて縮こまった気は散らした。ここから再び気を張って生きられるかに掛かっている。
「やめなさい!」
「もう済んだ」
ダメなら病を治しても結局は同じことだ。
扉を開けた瞬間から起きているくせにタヌキ寝入りを決め込み、ムヅキへ礼の1つも言わないコイツらはなんて弱いんだろう。
「金輪際……おてきには優しゅうしんせん」
アイゼがこの場にいたら、笑ってくれただろうか。




