第三四話 女商人
「そんじゃ改めまして。あたしゃヘルメスってしがない商人さ。お互い良い取引になることを祈ってるよ」
応接室のソファーに座った女は軽く腰を曲げ、両膝の上に肘を突いて、組んだ両手で口元を隠しながら自己紹介した。
「アシッシュ・ブラフマである。鉱石の直売は初の試み故、不慣れもあろうがよろしく頼む」
人を食ったような物腰と丸い眼鏡を透過した視線に組合の鑑定人はタジタジになっているが、男爵はしっかりとその目を見返して挨拶を交わした。
目で『妥協する気は無い』と伝える男爵にヘルメスと名乗った女は不敵な笑みを浮かべて続ける。
「男爵様、知ってるかい? 世の中にはあっちゃいけない状況ってのがあるのさ」
「あってはならぬ状況か。ふむ……戦争であろうか?」
「ヒヒッ! バカ言っちゃいけないよ。他人の戦争ほど儲かる商売があるもんかい。やり合ってる当人は知らんがねぇ」
金鉱石の持ち主であるヤクトも室内におり、壁際の椅子に座るアイゼの膝の上に座らされていた。
アユーが用意した服を着て、口元をアイゼと同じフェイスベールで隠している。
布地の多いダブついた衣装で体型が隠され、中性的な魅力を湛えるこの子は誰だと館のメイドたちが騒ついていた。
「ヤクト。交渉は男爵に任せて見物な?」
「やっぱり変だ」
「あの商人がどうかしたか?」
「いや、まだわからない。あれは女か?」
「そうだが……手を出すなよ?」
ヤクトはアイゼに気を許し、本気で頼まれたらそこそこ言うことを聞くようになっていた。彼女の努力が実を結び始めたようで何よりである。
「では、我が島の有り様を差してのことか?」
「当たらずとも遠からずってところかね」
家名を名乗らないという事はヘルメスの身分は平民だろう。
「変と言うか無礼なヤツだ。商人の分際で……」
肌の色から外国の人間だと思われるが、それを差し引いても初対面の貴族に対して無礼な態度が目立つ。自国の貴族を侮られたように感じたアイゼの目尻が吊り上がった。
「そういう言葉が出せる領主は珍しい。あたしゃ気に入ったよ男爵様」
「島の困窮は認めよう。だが余所者に言われる筋合いは無いのである。控えよ」
「貧乏に興味は無いさ。ただ、貧乏だからと言って価値を金に変えられない状況はあっちゃいけない」
「――むっ」
ヘルメスは言う。あの銅鉱石を得た以上、本来ならブラフマ島がいつまでも貧しくある必要は無い。
豊かさに変えられる価値ある物を持ちながら、ひと月以上も腐らせている現状を血の巡りが悪い死に掛けの老人と表したのだ。
「商人どもがこの体たらくだからドラントはダメなのさ」
ドラント王家の都合は知らないが、あれだけの財を放置するこの国の商人は小物揃いのヘタレだと罵倒する。
他国の貴族の館でたった一人。護衛も連れずにやってきて横柄な態度を崩さず、ずけずけと物を言う。
まだ二十代に見えるヘルメスには、老獪な男爵すら霞んで見える貫禄が備わっていた。
「昔からドラントは鉱山とカレーだけの国だったからねぇ。他に産業も無いし、投資してもあんまり旨みが……おっと。ぼちぼち王族が怖いから始めようか」
「ヘルメス殿。お2人は我が家のお客分。無礼は許さぬ」
「わかってるさ。ごめんよ姫様。可愛いお人形だね? 売るなら言っとくれ……ヒヒッ!」
アイゼとティタンは怒りと悔しさに歯噛みしてプルプル震えている。人の神経を逆撫でする怪しげな女商人の言うことは的を射ていたのだろう。
ヘルメスは懐中からメモ用紙を取り出して男爵に口を開こうとした。
「おい、お前。変なことするな」
唐突に割って入った子供の言葉にヘルメスはぴたりと動きを止めて、卓上のペンから手を放した。
「あたしもヤキが回ったかね。男だろうとは思ってたが……鉄血姫のお人形じゃなかったってことかい」
「人形? 何言ってんだ」
「そういう趣味の王侯貴族もいるってことさ。それで坊や? 何をするなって?」
「さっきから魔法を使ってるだろ。それやめろ」
ヤクトの発言に応接室の空気が凍りついた。
商談の最中に魔法を行使する必要などないし、他に誰も気付いていなかったのだ。
「何の魔法かわからないから困る。アイゼが抱っこしてなきゃ眠らせるところだ」
「ヒヒッ! ほぉ〜! よく気付いたね? 聖痕の隠匿には自信があったんだけど」
「貴様! 何のつもりだ!? 我が名はティターン「王子殿下だろ? 知ってるからいいよ」……無礼な!」
ヤクトはとても小さい一瞬の不自然さを何度か感じ取っていたようだ。他者の意識の隙を突くように薄く細く走る聖痕に気付けた者は他に居なかった。
「風声という運動魔法さ。遠方に声を届けたり、周囲の音を拾ったりできる。使いこなせば護衛者なんか必要無いからね」
「……我らを謀ったわけではないと?」
「男爵様。か弱い女の生きる知恵さ。大目に見ておくれよ」
半魔奴隷を館内に入れることは許されないが、いざという時には『風声』で外に待機する奴隷に命じて助けも呼べる。暗殺者の類いが潜んでいても音でわかる。
「ヘルメス殿……貴殿は何者だ? ただの商人ではないだろう?」
「姫様は二聖なんだろう? 風声を覚えることを薦めるよ」
「はぐらかすな。何者だと聞いている」
「伝えたい相手だけに声を送れる……男を落とす時には有効だよ? ヒヒッ」
「――むほっ!? そ、それは……つまり?」
「……義姉上?」
ヘルメスは元々、名のある帝国貴族だったらしい。人魔戦線を契機に家が没落したので家財を売り払って心機一転、商人として再起を図ったのだとか。
商人の方が性に合っているから貴族に未練は無いと言う。
「己れが何者かを証明することは難しいが……。ほれ、商人組合の登録証。家名は捨てたから載ってないけどね」
「確認した。失礼を謝罪しよう」
「構いやしない。それより姫様? その坊やを売らないかい?」
「無礼打ちにされたいか?」
「……1億出してもいいよ?」
「無礼打ちにされたいか!?」
「そうかい……残念だ」
ソファーから立ち上がったヘルメスはヤクトとアイゼに近づくと、2人の頭を見比べて、誰も気付いていなかった事実をポロッと口にした。
「本物の黒髪なんて珍しいのにねぇ」




