第八一話 整備兵は見た
キュラキュラと連結するキャタピラ音を鳴らして、1台の戦車が西方新水門を渡っていた。
水門を渡るとは妙な言いぶりだが、新水門の盛り土はその天辺が橋を兼ねているので誤りでもない。路面に撒き散らされた大量の土砂は突貫された埋め立て工事の名残りだ。
漆黒の車体に金の装飾を施された戦車のハッチを開けて、上部装甲に腰掛けて座った車長は曇天下の南方大水門へ向かって遠ざかる車列に視線をやった。
「おい、新米。ちゃんと整備したんだろうな?」
足下のヘッドレストを軍靴のつま先でコツコツ蹴って不機嫌に呼びかける。キュラキュラ音に負けない程度の大声だが、彼ら戦車兵の間ではこのくらいが普通である。
「できることはやりました。でも……うーん……やっぱり音が悪いですね」
車内のあちこちに聴音棒の先っちょを当てながら、落ちてきた声に応じるのは第一師団に入ったばかりの若い整備兵だった。
学園卒の肩書きを持って、技術士官候補として帝国軍の門を叩いた彼は軍属の洗礼を受けている最中。学歴と賢い脳みそだけでやれるほど技術士官は甘くない。
「アブソーバーとかスラストベアリングまでイカれてたらお手上げ。そもそもこんな旧式……師団のフラッグ車にしとくには古過ぎるんです」
「あ? 聞こえねぇよ。シヴァルッツが最後尾チンタラ走ってどうすんだ? ブツクサ言ってねぇでとっとと直せ」
「伝説の急造戦車部隊で唯一生き残った戦車の名前とかさぁ。アレって馬車だし、荷台に砲魔堰載せただけじゃ戦車じゃないし……そもそも旧式にこだわる意味ある?」
「「「教育してやる!」」」
若い整備兵は車内の全員から殴られた。
何でも、この車輌の車軸は決死隊を率いた先々代皇帝が御自ら錬成魔法で直したものだとか、我ら第一師団の戦車部隊はその系譜であるとか、歴史と矜持にまみれた説教が長々と続く。
「それだ! 車軸が歪んでるんだ! 経年劣化で!」
「「「貴様ぁ!」」」
若い整備兵はしみじみと思った。この無意味な下積みを早く終えて、開発部門に異動したいと。
「おい、新米。ちょっと上がってこい」
車長に呼ばれて上部装甲に上がった整備兵は彼の隣に腰を下ろして、フゥと息を吐く。車内に居れば安全だが、あまりにも男臭い。
「その代わり、いつ何時も覚悟しておけ。死ぬ覚悟をな」
「いやいや車長。ここは帝国内で、しかも直轄領ですよ?」
「阿呆。可能性の話だ。車内には無いリスクが確かにある」
そんなことを言っていたら万事が万死ではないか。間に受けて生きていけるわけがないと、整備兵はそう返したのだが、車長はそれこそが軍人のあるべき精神性だと説く。
「如何に満足して死ねるかだ。第五の連中は満足して逝った。おれはそう思う」
「……そんなもんですかね? 私にはわかりません」
「何もリスクばかりじゃない。鉄火場では時として信じられない奇跡に出会えることもある」
「信じられない……奇跡?」
「覚悟が無ければ……見逃すかもな」
大陸人魔戦線を最初期から戦い続け、今日まで生き残った車長の声は普段よりも小さく、いつもの武勇伝とは雰囲気が違う。
大袈裟な覚悟とそぐわないアンニュイな風情に溜息をつき、足回りの不具合を抱えて速度の出ない車上から西方大運河へ意識を向けた時、整備兵は見た。
「――」
水位の上がった西方大運河からパシャンと飛び上がり、折り曲げたナイフのような姿勢で頭上を飛び越え、大貯水池の水面に突き刺さる人影。
「あ? なんだ今の?」
「……人魚姫」
「はぁ? どうした新米?」
覚悟の有無はわからない。車長の見逃した彼女の姿が、若い整備兵には奇跡のように思えた。
「車長! 停めてください!」
「お、おい!? やめんか新米!」
砲座から飛び降りた彼は車体後部に備えられた小型コンテナの蓋を開けると、無意味な下積みの合間に温めていたアイデアの種を引っ張り出した。
ティタンの『ビクトリア砲』がヌシを貫く5分前のことである。
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物標は何も無く、果ての知れない水中を全力で泳ぎきるというのは、その渦中にある者にとっては救いの無い地獄であるに違いない。
どれほど魔力容量の大きな運動魔法使いであろうと、トティアスなる海に放り出されたならば死あるのみ。
あるかもしれない先の陸地を目指して魔法を行使し続ける胆力の持ち主が、重ねて様々な幸運に恵まれなければ助からない。後者はほとんどの人間を見放すほど低確率の、ゼロではない可能性の話だ。
大運河や大貯水池は海ではないと知識の上では知っていても、知覚可能な範囲に水しかなければ同様の心境に陥るだろう。
ただし、メルはその念に囚われていないように見える。
彼女にとっては海こそが故郷だ。既にその恐ろしさと豊かさを身に染みている者にはどう感じるのか、僕には想像するしかない。
カラスの濡れ羽色をした髪が蛇のように美しく水中を駆けてゆく。
流麗に腰から下をくねらせ水を押し出し、両手で舵を切って進む泳ぎはとても静かで、まるで海月が漂っていると言った方が当たっているのだが、対地速度で見れば途方もないスケールの遠泳だった。
ひたすら深く進み入ろうとするその世界は果てしない水の彼方の渾沌未分であろうと、メルにとっては見慣れぬ浅瀬に過ぎないのか。
どこまでもどこまでも明暗無限の流水を辿って、障り乱れのない最短へ向かって駆けてゆく。
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眉間の穴が塞がり、ビクンと震えてヌシは目覚めた。
――終ワリヲ捧グ。
内なる衝動に押されて縄張りの生きとし生ける者をすべて刈り尽くし、自ら生み出した飢餓地獄の只中で、終われない他者を見つけた暴虐のヌシは動き始めた。
陸に上がった井の中の蛙はエラ呼吸を封じられ、皮膚呼吸のみの酸欠地獄を追加で味わいながら他に何も選べない。
宿主たる者は気付きもしない。客観的に気付いた者らも本質的には理解できない。
誰も彼もが呪いの如き奇跡に呑まれ、たしかに在るのは見知らぬ誰かの祈りのみ。
「――!? 震えたぞ!」
「止めろぉ! 魔法部隊! 全力斉射!」
「ルナ! アタシはいいから行きな!」
「は、はいっ!」
「バカかい!? 逃げるんじゃなくてアレを殺しに行きな!」
「ふえっ!? 間に合いませんよぅ!」
「全員水から上がれ! 早く!」
魔力欠乏に陥ったティタンとモーガンは互いを支えながら立っているだけで精一杯。
かなり縮んだジョゼは身体の麻痺が解けず、終始ヘタレなルナマリアは右往左往するばかり。
魔法部隊が攻撃魔法を連射するも雷撃の前兆は止まらず、その他の兵士は学生たちを退避させようと動いたが、泥水に足を取られていた。
ドゴォオオオオ――ンッ!
今にも雷撃が放たれるかと思われたその時、ヌシの背中でこれまでに無い大きな爆発が生じた。
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「次弾装填!」
「装填ヨロシ!」
「撃ぇえええ――ぃ!」
再び轟音を響かせて撃ち出された砲弾は空に大きな放物線を描き、遥か遠方に見える白い巨体へ向かって落ちて――炸裂した。
「着弾! 命中!」
「次弾装填!」
第一師団戦車部隊のフラッグ車である旧型戦車『シヴァルッツ』は、崩壊した東方大水門から流れ出す瀑布の間際に浮いていた。
高く掲げる戦車砲は太く長く大きく、装填される砲弾も現行の新型戦車のものではない。大陸に上陸した大魔人の足元を駆け回り、大英雄を援護した荷馬車が載せた砲魔堰をそのまま搭載していた。
それ即ち、戦車のために小型化された新造魔堰ではなく、古くからありふれた艦船用の砲魔堰だった。
「成功だ! ホントに成功した!」
「やるじゃないか新米! やるじゃないかぁ〜!」
若い整備兵は学園の第七魔工部で新型戦車のキャタピラ開発に携わっていたが、とある懸案に常日頃から頭を悩ませていた。
「やっぱりそうだ! 機動力を追及しても限界はあるんです!」
戦車で山河は越えられない。ほとんどの改良は他の何かを犠牲にするし、どうしたって万能にはなり得ない。
何故か。追加の装備が必要不可欠であり、地形によって求められる性能が変わるからだ。
「だったら現地で造ればいい! 各種アタッチメントの錬成に習熟した整備兵が、必要な部材と一緒に各車輌に随伴して、臨機応変に独自の改良を加える! この人事戦略が必要だったんです!」
「コンテナから飛行魔堰用の送風魔堰が出てきた時には殺そうかと思ったがな! うわはははっ!」
両輪のキャタピラを分解し再錬成して水中翼に変更した時点でシヴァルッツは戦車ではなくなり、キャタピラの代わりに取り付けられたフロートの浮力がシヴァルッツを大貯水池に浮かべた。
高出力送風魔堰の推力で加速し、強化魔法を付与された鋭利な水中翼が水を掴み、ジェットフォイル船の原理で離水したシヴァルッツはハブ大貯水池をものの数分で横断し、東端の滝からジャンプしたのだ。
「自分の強化魔法が無きゃ大破っすよ! てか死んでますよ!」
「見ろ、あの威力! やっぱり艦砲の火力はスゲェぜ!」
「何が人事戦略だよ。おれの腕があるから当たるんだ。ああ……海に帰りてぇ」
操縦士が強化魔法使いで、他人を含む身体強化が使えたから高所から放り出されても無事に済んでいる。
砲手が第四艦隊出身の元海兵で、しかも砲魔堰の名手だったから揺れる水面に浮かぶ改造戦車の火力を活かせている。
様々な偶然と幸運が重なった結果ではあるが、空爆に勝るとも劣らない高威力の砲撃はヌシの体躯を的確に粉砕し、直列に並ぶ100万枚の筋細胞で出来た発電板をゴリゴリ削って雷撃を邪魔していた。
「車長!」
「どぉした!?」
ただし、巨砲は大艦があってこそ真の威力を発揮する。
「残弾5!」
「無理だな。全弾命中しても仕留めきれねぇ」
古くから海獣番と名高い第四艦隊。砲手には大型海獣を相手にした経験があった。
「艦隊が追い込んで袋叩きにして、ようやくって相手だぜ?」
「…………第四師団の健闘を祈る! 次弾装填!」
車長の号令を聞き流し、周囲の水面を見回す若い整備兵は背中を押してくれた人魚姫を探したが、彼女の姿は見当たらない。
その時、メルは上空に浮かぶ映像の中にいた。




