第三一話 氷山の一角
黒い扉の奥には黒い部屋があった。
壁や床の材質はヘクサ・オルターの納められた遺跡と同じものだが、鑑定の間で感じたような嫌な気配は無い。
「そこに机があるでしょう? その机の隙間から1時間毎に予報の書かれた転写紙が吐き出されます。でも頻度が多いと大変なんで、1日1回の予報を出すのが予報官の仕事ですハイ」
黒い部屋――扉はセーギョ室と呼んでいたが、ここには他に人間は居ない。つまり気象を予報しているのはこの黒い机であって、人間ではないのだ。
「まもなく次の予報が出ます。扉と同じ声で何やらしゃべりますが、何を言っているのかは伝わっていませんのでハイ」
アユーが目で訴えてくる。もちろん僕にもわかっている。ここで余計なことを言わない方がいいだろう。
『ピ――――』
机から音が鳴った。
『現在座標ヲ確認シマシタ。アンカーポイント規定座標トノ偏差ヲ計算中……完了シマシタ』
どうやらこの机は自ら思考するものらしい。位置座標を把握して何かを計算している。
『直近ノ観測データヲ記憶領域ノビックデータニ統合……完了シマシタ。超長時間気象変動モデルノアップデートヲ実行中……完了シマシタ』
閣下が言っていた通りだ。気象予報とは膨大な観測結果と経験則から導き出されるもの。
この机が魔堰と同じ古代文明の遺産だとすれば、コイツが持っている経験則――即ち気象変動モデルの更新はとんでもなく膨大な情報の蓄積によって為されていることなる。
いくら経験豊富な海師と言っても人間である閣下に敵うはずがない。
『今後1時間ノ近未来予測ニ基ヅキ、アジマスラスター各機ノ適正出力値ヲ計算中……完了シマシタ。超大型回転魔堰ヘ魔力伝達……各機ポッド角調整中……完了シマシタ。1番機カラ24番機……超大型推進魔堰ノ出力調整中……完了シマシタ』
僕は今、何を聞かされているのか。
理解できてしまうからこそ、中継島の真の姿を想像して背すじが凍った。
『定点浮遊島ギガフロート……制御ログヲ出力シマス』
こうして黒い机の上に島周辺の潮流が事細かく記載された気象予報が吐き出された。制御に反映された風向や風速データも併記されている。
これは予報などではない。島が自ら行った動作の報告書式だ。
セーギョ室とは制御室。
制御を司るのは自らしゃべり記憶し思考する黒い机。
海上に顔を出している平たく四角い島は『浮遊島ギガフロート』の頂部――氷山の一角に過ぎないのだった。
道理で島の周囲の水深が異様に深いわけである。
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予報官が正午に発するもの以外の制御ログを貰ってアユーと共に基地へ帰還した。
エルフは山羊教会を探してから帰るとのことで別行動だ。ひょっとすると自治部会内部に潜んでいるのではと思っていたようだが、庁舎に構成員は居なかったらしい。
「浮遊島……じゃと!?」
僕が古代語の聞き取りができることを閣下に明かし、見たままの真実を報告すると、顎が外れるほど大きく口を開けて驚いている。
「よもや……言語理解かの?」
「は? あれは師匠言葉だ」
「さ、さよか。口伝とは信じられんが……まぁいいじゃろ」
「東岸の速い離岸流は島が東へ流れるのを抑えるためじゃないか?」
「たしかに大きな海流はあるがのぅ」
閣下によれば、中継島は西南五島方面から東へ向かう強い海流の只中に在ると言う。ならば間違いないだろう。
「むぅ……これも必然ということか……なるほどのぅ」
「必然?」
「いや……とうに済んだ話じゃから気にせんでよい。しかし! この島は太古のVLFSsというわけか! おっのれぇ〜、気付かなんだわい!」
閣下はとても悔しそうだ。何を悔やんでいるのかはわからないが、ギリギリと歯軋りして誰かを罵っている。
「その予報は絶対に外れない。正確にはログが吐き出されてから1時間だけど、この1ヶ月は微調整してるだけで大きな変化傾向は見えないから」
「その通りじゃ。近海域に限ればアジマスラスターとやらの影響範囲じゃろう」
古代の人類――女神から直接聖痕を授けられた人間を差して古来種とも呼ばれるらしいが、ソイツらは必要に迫られて中継島を創ったのだ。
元から人工物だったから、この島からは自然の息吹きを感じない。すべて自明の理だった。
調査結果を聞いたアイゼたちも驚いているが、最も衝撃を受けているのは僕だろう。
(ニホン国も同じってことか……陸地が無いなら造ってしまえって?)
人間が栄える理由がわかった気がする。こんな傲慢を成し遂げる生き物は他に居ないだろう。
群れた人間は自然すら呑み込み肥大するのだ。
駆逐されて数を減らすを良しとせず、生き場を求めて死力を尽くす。足りない部分は知恵で補い、他から奪って自分の都合に合わせて造り替える。
これからの僕はその群れの中で生きていくことになる。
「推薦状をくれ」
学ばなければ死あるのみ。
僕は人間の自然な在り方をこそ恐れて、その源泉を理解するためにはできることをするしかない。
「無論じゃ。しかと学び、人の世を繋いで見せい」
「閣下? 人の世を繋ぐとは? 随分と大仰に聞こえますが?」
ティタンの疑問は閣下が続けた不都合な真実によって氷解する。
とある切っ掛けで10年前から観測が始められた海面水位。トティアスの海面は毎年、僅か数ミリずつではあるが、着実に上昇していると言うのだ。
中継島だけは何故か変わらなかったが、その謎も今日になって解き明かされた。
「100年先か1000年先かは知らぬがな。やがて世界はトティアスなる海に没する。その時になって慌てても遅いんじゃ」
万年に渡り変わらなかったものが、10年前から突如として変わり始めた。
「もはや世界は新たな局面に入っておる。新世界に女神は居らぬ」
まるでこれまでは居たかのような発言だが、それ以上を語るつもりは無さそうだ。
「すべては現代を生きる我らに委ねられたのじゃ。わしらの世代は新世界の礎となり、いずれ貴様らに委ねることとなるじゃろう」
閣下は用意してあった2通の推薦状に判を捺いて僕とアユーに手渡すと、暑苦しくも優しい笑顔を見せたのだった。




