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東の国の呪術師たち―纏繞の人々―  作者: 須能 雪羽
第九幕:露往霜来
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第108話:均衡保ツ伽藍堂弥勒

「…………なんです、これは」


 もう二度と。会うことは出来ないと思っていた。けれど記憶にあったのと寸分違わず、絽羅は美しかった。

 優雅に結んだ髪は、艷やかな墨の色。生成りに薄く朱の模様が入った、質素ながらゆったりと着心地の良さそうな着物。

 長い睫毛が伏せがちに、遠慮深く僕を見る。僕に会えて幸せだったと、そう言って消えた。

 話し方や小さな癖まで、そっくり同じだった。たったいま、目の前に居たのは絽羅だ。そうでないと言える理由が、なに一つない。


「絽羅は――絽羅は死にました。浄化したんです。なのに、ここへ現れるわけがない! どうやってこんなものを、どうしてこんなものを僕に見せる!」

「ほほ。そっくりな偽者だと? いくら儂とて、知らぬ者を一から再現することなど出来ぬ。先のは、そのガラクタに残った思念を集めただけよ」


 そこに霊がなくとも、強い意が物や場所に残るということはある。しかしそれは、餃子の箱にニンニクの臭いが染みつくようなものだ。霊の欠片とかではない。

 ニンニクの臭いから、食べてもいない餃子を作れるものだろうか。僕の理解の外すぎて、本当なのか判断もつかなかった。


「サービスだと言ったろう。お主が声を聞きたかろうと思うたから、勝手に見せただけよ。信ぜぬとて、儂にはなんの不利益もない」

「そんな――」


 横暴だと思ったが、伽藍堂の言うとおりだった。余計な親切ではあったかもしれないが、足りるも足りないも、僕が文句を言える筋はない。

 仮にこれが僕を惑わす手段だとしたって、そもそも伽藍堂は敵なのだ。卑怯だと言っても、当たり前だと返るだろう。


「さてそれでは、本題といこう」

「本題?」

「もう忘れたか。儂の目的はなにかと聞いたのは、お主ぞ」


 そうだった。すっかり忘れていたし、どうでもいい。いや良くはないのだろうが、落ち着いて聞こうという態勢にはなれない。


「儂はな、世界を回しておる」

「世界を回す? 揺らしているの間違いでしょう。地震みたいに」

「揺らす、か。まあそう言うても、誤りではなかろうな。同じことよ」


 僕の頭の中は、絽羅でいっぱいだ。だから言葉尻だけを取って、思い付いた皮肉で返したつもりだった。


「お主、不思議に思うたことはないか」

「なにをですか」

「どうして霊は、この世に溢れぬのか。それとも足りぬとならぬのか」

「はい――?」


 この世と、あの世。その両方に霊は在って、何らかのきっかけがあれば行き来もする。

 たしかな情報だとされてはいるが、僕自身が調べたわけでも、見たわけでもない。だが疑ったことはない。しかもそれが、溢れたり足らなくなったりするなんて考えたこともない。

 でもそうと言われて、考えてみれば――。


「不思議なことですね」

「であろう?」


 霊は輪廻の輪に乗って巡る。例外はあるにしても、大半はこの世に産まれて、いつかあの世に向かい、また戻ってくる。その量的スケジュールを誰かが管理しているのでなければ、伽藍堂の言うとおりになる筈だ。

 それに、輪廻の輪に干渉する者も居る。

 僕たち纏式士は、霊があの世に向かうのを早めたり、逆に留めたりする。誰かが管理しているなら、甚だ迷惑な話と言える。


「あなたが、管理を――?」

「ふっ。それは神とかなんとか、高いところに御座す誰かよ。儂はその真似ごとをしておるに過ぎん」


 頭がはちきれそうだ。絽羅の声はまだ胸に鳴っていて、僕の過去の言葉や行動を振り返るのに忙しい。

 そんな苦しい思いは何度も繰り返して、とっくに落ち着いたと思っていたのに。あのときこうしていれば、こんなことを言わなければと、後悔ばかりが腹に溜まる。

 それを消化するのさえもったいなくて、反芻してずっと浸っていたいのに。伽藍堂の告白は、無視出来ないものだった。

 これは僕が式士として、自分で自分を捨ててはいないという証明なのか。それとも僕にとっての絽羅とは、その程度に過ぎないのか。


「それもサービスですか」

「そうなるかな」

「では白鸞の王家に拘る理由はないと?」

「あるかと言われれば、ない。ないかと言われれば、ある」


 全ての行動がそうとは言わない。でも伽藍堂は白鸞に敵対してなどいない、と考える人は少ない。

 それくらいは、混乱しきった僕の頭でも分かる。しかし、あるようなないような。と謎かけのような答えは、なんなのか。


「そう難しい顔をするでない。儂は、あるがままを教えてやっておるのだからな」

「あるが、まま……」


 なぜだろう。見下ろして話す伽藍堂に、父の顔が重なった。

【教えに忠実であれ。正しさに従順であれ】

 その言葉が、絽羅の姿を打ち消すように、頭の中にこだまする。胸の内に居る正直な僕は、「待って。行かないで」と手を伸ばすのに。もう一人居る理性的な僕が、そっとその手を下げさせた。


「つまり――」

「うむ?」

「足りない分を作っている。あなたの仕事は、そういうことですか」


 自分でも驚くほどに、僕の声は冷めていた。言った意味を分かっていても、そのことに感情は動かない。


「誰かが勝ちすぎては、この世とあの世の平衡が崩れる。それはこの世の終わりを意味するでな。そうなる前に、儂は動くのだ」

「歴史的な目で見れば、絶えず生と死を繰り返すことこそ安定している。と」

「いかにも。じっと止まって動かぬ天秤など、期待するのが愚かというものよ」


 生と死の天秤を揺らす者。その正体を教えてくれたのは、やはり偉大な父の教えだった。

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