62.寒い冬の始まり
前話のあらすじ
シュリさんとアマネさんが意気投合したみたいです。
ツザの平和な日々は忙しなく流れ、季節は冬の半場となっていた。
「こんにちはッス!」
「こんにちはです。うぅ、寒い寒い……」
「こんにちは、オウガさん、ナターシャさん、ミライちゃん」
町役場の事務室へと入ってきた隠れ里の獣人娘たちは、身を竦めながらブルリと震えると、挨拶もそこそこに暖炉の前へと群がっていく。
パチパチと弾ける暖炉の誘惑に逆らえる者はいないと、オウガも微笑ましい物を見る目で彼女たちに返事を送る。
――隣でジュルリと舌なめずりの音が聞こえた気がしたのは、聞かなかったことにして。
彼女たちが暖炉の前で身を寄せ合わせるのも、それを猛禽のような目で見ている変態事務員がいるのも慣れたもの、と気にせず書類仕事を進めていたオウガだったが、
「そんなに寒いかな?」
日に日に日中の時間が短くなるのに比例して、暖炉の前に居座る時間の長くなっている獣人娘たちに、ふとそんな疑問を抱いていた。
「十分寒いッスよ!?」
「オウガくんやミライちゃんは平気なんですか?」
「私はちょっと暑くなってきたけど……」
言外に暖炉から離れるように言われていると感じたのか、悲しげな表情の犬獣人リナと兎獣人ユキ。その二人に翼を毛布代わりに使われてしまっているハルがか細く抗議の声を上げるが、未だに満足していない二匹の獣には聞き入れてもらえない。
「そういえば、オウガたちは王国の北方から下って来たのだったか。どんな所だったんだ?」
「そうだなぁ……。冬は雪が凄くて、山小屋の周りも一面真っ白になってたよ」
「雪……今年は降るッスかね?」
「この辺りでは滅多に降らないんだっけ? そういえばユキの名前って?」
温まったリナとハルが暖炉から離れた後も、一人陣取っていたウサギ獣人に視線が集まると、ユキは恥ずかしそうにウサ耳をニギニギしながら、
「珍しく雪が降った日に私が生まれたから、お父さんが勢いで付けちゃったんだそうです」
「それぐらい雪が降らないんですよ。その分、冬でも動物が元気ですね」
「私も飛びやすいですし」とハルが翼を軽くはためかせる。
「冬でも狩りがしやすいのは狩人の人は助かるだろうね。シュリは雪山の中から冬眠中の熊を引きずり出したりしてたけど」
「麓の村で『あの山には熊より恐ろしい獣がいる』なんて噂まで広まってたみたいだよ」と思い出を楽しそうに語るオウガは、周りが固まってることに気付かないのだった。
「っくしゅん」
「シュリ殿、風邪か?」
「ん……大丈夫、だと思うけど」
「悪化してからでは遅い。今日の訓練は私だけで行おう」
「シュリさん、少しだけ治癒の力を使って、身体を温めますね?」
「ありがとう……」
「風邪は引き始めが肝心と言うからな。養生するんだ」
治療院の診察室。小さくクシャミをしたシュリにわらわらと集まってきたのは、室内にいたアマネとマリア、そしてレイアだ。
暖炉の薪を節約するためとはいえ、病人を今の町役場に入れるわけには行かず、治療院の機能を集中させたこの部屋の人口密度は、夏季よりも高い。
「んー、そうする。あ、でも……」
「でも?」
「ん、やっぱいい」
「どうしたんですか? 調子が悪いと気が弱くなるものです。口にして楽になってください」
珍しく歯切れの悪いシュリを心配して、マリアは患者にそうするように優しく語り掛ける。
「ん……熊、食べたいかも」
「へ?」
頬を紅く染め、恥ずかし気に漏らしたシュリの弱音の内容は、その表情ほどには可愛らしくはなかった。
戸惑うマリアたちに、
「この時期の熊は、油が乗っていて凄くおいしい。思い出したら食べたくなった」
じゅるりと。肉食獣のような瞳で思いを馳せる狼娘。
「なあ、熊ってそういうものだった?」
「いえ、私には……レイア?」
「寒い地方の動物は、冬籠り前にたくさん食べて蓄えて置くという話だったが……わざわざ熊の巣を掘り起こすバカはいないんじゃないか?」
「バカ……」
しょんぼりと項垂れたシュリに、レイアが慌てる。
「いや、シュリのことを言ったわけではないぞ!? ま、まぁ、この辺りでも熊は食えるが、シュリの望んだ状態ではないだろうな」
「残念」
周りの反応で察していたシュリは、大げさに肩を落として冗談めかしてマリアたちを安心させると、「でも、何でもいいからお肉食べたいな」とポツリと漏らしてまた周囲を固まらせるのだった。
◇
「わざわざありがとうです」
「いいよ。町まで顔を出してもらってるんだし」
薄暗い夕暮れ。オウガがユキと共に向かっているのは、ツザの町から穀倉地を挟んだ飛び地にある兎獣人の区画だ。
隠れ里でひっそりと暮らしていた聴覚に優れた兎獣人たちの内、ユキ一家のように町で人と触れ合う事を覚悟して移住してきた者たちが数組いるのだが、やはり雑多な町内では雑音に悩まされ、このような隔離地域を必要としていた。
将来的には町との中間地点に自警団の大きな詰所を作るなどの拡張計画が立てられてはいるが、現状は現状は寒々しい空き地の中にポツポツと明かりが浮かんでいるだけである。
戦闘能力に関わらず町の四方で日々周囲の警戒の任を任されている兎獣人たちを離れへと送るのは自警団の仕事の内だが、日によってはオウガが担うこともある。
それを口さがない者が「現地妻を送り狼」と揶揄して、聞きとがめたシュリに手酷い躾をされるのはツザの町で名物風景となり始めている。
今日も誰かされてるのかな、とオウガが苦笑していると、
「あっ」
空を見上げていたユキが手を広げて思わず声を上げた。
釣られたオウガも見上げると、はらりはらりと白い小さな結晶が舞い落ちていた。
「雪か。思ったより早く降ったね」
「積もるでしょうか?」
「このままなら積もらないんじゃないかな」
掌の上で一瞬で溶けてなくなる小さな雪の残滓を握って、オウガは山小屋で得た経験からそう答えた。
「積もって欲しい?」
「んー、リナちゃんなら積もったら大喜びだろうけど、私たちは積もって欲しくないかもしれません」
私たちとは、とオウガが訝しむと、
「雪が積もると何だか音が全て消えてしまうみたいで……。静かすぎて逆に怖くなってしまうんです」
照れたように微笑んだユキは、寒い寒いと駆けだそうとして、ピタリと足を止めた。
「ユキ?」
「……とても遠くで、何か聞こえるような気がします。あの山のもっと向こうから……」
耳をピクピクと動かしたユキが指示したのは、北東。遥か遠くに見える夕闇に消えていく山々は、尾根が静かに浮かび上がるだけだった。
「何の音なのか今は分からないんですけど、こんな遠くの音も雪が積もっちゃうと聞こえなくなっちゃうんですよね」
不安げな表情を浮かべるユキに、「それなら皆で町に泊まりに来ればいいさ。多分丁度いい騒がしさだよ」とオウガは冗談めかして明るく振る舞うのだった。
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次回更新時にタイトルを「オオカミノ国」に変更します。タイトル以外は何一つ変わりませんが、これからもよろしくお願い致します。