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まさかこんな時間に、こんな場所で

 二十四時間営業のコンビニ。なんでも売ってるコンビニ。

 でも深夜に行ったことが一度もない。


 深夜、腹の虫が咆哮して目が覚めた。

 その日、俺は二百円をかけてガチの鬼ごっこをやっていた。一日中逃げっぱなし、追いかけっぱなしで酷く疲れていた。

 しかも結果は惨敗で、俺は二百円をソイツに支払うことになったのだから心の疲労もハンパなかった。


 ふて寝。家に帰った瞬間ベッドに倒れこみ、そのまま寝た。

 俺が寝ている間、家族はとっくに夕食を済ませてしまったらしい。途中名前を呼ばれて風呂に入ったのはいいが、風呂から上がった瞬間すぐにまたベッドに倒れ伏した。


「なんであの時、晩メシ食っとかなかったんだーっ……」


 ぐぎゅるる。腹が何とも切ない音をたてている。

 空腹すぎて吐いた息は胃液の匂いがする。これは本当の本当の空腹だ。高校一年生で育ち盛りの俺にこの空腹は耐えられない。

 ケータイを開いて時間を確かめる。夜中の一時。朝ごはんまでオアズケとなるとどうもきつい。


「そうだ」


 こんな時に役に立つ場所がある。

 二十四時間営業。食べ物も雑貨もある夢のような場所。


「コンビニ行こ」


 家族を起こさないようにジャージに着替えて、静かに靴を履いて、玄関の扉を開けた。

 空も町も真っ暗で、唯一星と月だけがきらきら光っていた。明日は綺麗な晴れになるだろうと思いながら深夜の道を歩くのは新鮮だった。

 

 コンビニは家から歩いて6分ほどだ。ぎゅっとサイフを握りしめる。

 ぐぎゅるる。腹の虫の、催促の声が聞こえた。




「…………」

 

 今俺はふたつのことにツッこみたい。

 ひとつは深夜のコンビニに、灰色のスウェットを着た(しかも中につけていると思われる腹巻きがくっきり浮いている)菜保なほがいること。

 もうひとつ。

 菜保が成人雑誌売り場の前を何度も行き来していることだ。


「…………」

「おおっ、結構過激ですなぁ。どれどれ」

「…………」

「なるほど。今月号はOLさん特集か。いいねいいねー」


 ……いや、俺もやるよ。やるさ。

 俺は成人雑誌を堂々と読めるような歳になってないし、何より羞恥心が好奇心を上回る。

 でも成人雑誌コーナーの前を行き来してチラチラ横目で特集を確かめることがある。ほうほうなるほど、今月はアレがどーのこーのなのか。うししし。


 そこは男子高校生の野郎だから許してくれよ。


「とうとうあのコがねぇ~。まぁグラビアなんてそんなもんだわねー」


 菜保。もうやめてくれ。

 お前は花の女子高生なんだからよ。いや、本気で。



「菜保」

「うわっ、びっくりした。駿介しゅんすけなんでこんなとこにいるの?」

「腹が減ったから食料をな、調達しに来たんだ。……あのな、菜保。さっきから見てたんだが、なんでその……」

「エロ本コーナーの前を何度も行き来しているかって?」

「そうだ! 自覚があるんならやめとけよ。しかも、今何時だと思ってるんだ? 変な事件に巻き込まれたりしたらどーすんだよ。お前の家からこのコンビニまで5分以上かかるんだからよ」

「だいじょーぶ。腹巻きしたあたしは無敵」

「もう腹巻きしなくても十分無敵だとは思うけどさ……」


「あのね、深夜突然『しゃがめ! 耳かきくん』の新刊が読みたくて、買いに来たんだけど、寝ぼけてたみたいでさ、サイフ忘れて買えないの」

「何だその変な題名の漫画」

「いつかしゃがむことが夢の耳かきくんが、仲間のハンガーくんとかトイレットペーパーちゃんと一緒にかがもうと努力する感動物語だよ」

「…………それ、泣けるか?」

「全あたしが、泣いた」


 つまり菜保しか泣いていない。

 最近菜保がクラスの女子にお勧めしている漫画とはこのことか。今度貸してもらおう。ひょっとしたら実は意外と泣ける話かもしれないし。



「でさ、あたし新刊買うお金ないの」

「すいませーん、アメリカンドック三本くださーい」

「あのね、すごくすごく読みたいの」


 菜保の声は聞こえない。聞こえない。アメリカンドックが入った容器を受け取り、店員に三百九十円を渡す。レシートはいりません、を言うのは忘れずに。

 腹の虫はもう疲れ果てているようだ。人間は空腹が過ぎると今度は無感覚になっていく。これがそうなのか。身体がふわふわする。面白い。


「お願いいぃぃ!! 買って!」

「知らん! 今度また来て買えばいいだろうが!」

「だって今読みたいの! あのね、ここの漫画立ち読み防止のためにラップみたいなんしてあって、読めないの! お願い!」


 店の外へ出ようとした俺の首を、菜保がすごい勢いで絞めた。一瞬色とりどりの花が咲く花畑と、澄んだ水が流れている一本の川が見えた。危ない危ない。


「おいコラお前彼氏殺そうとすんじゃねぇよ!」

「駿介が買ってくれないんだもん! あぁあたし読みたくて読みたくて死んじゃいそう!」

「とか言って金返すの忘れるだろ!? そうだルーズリーフも確か十枚以上やったのに、未だに返してもらってねーし!」

「ルーズリーフの十枚や百枚、男がネチネチ言ってんじゃない! 読みたいよ~読みたいよ~読みたいよ~」


 ええい。鬱陶しい。


「それじゃあこうしよう。あの成人雑誌コーナーの前に仁王立ちして、二十秒間直視できたら、買ってやる」

「ほんと!?」


 そう言った途端。ピピピピと音が鳴って、自動ドアが静かに開いた。

 大学生の男が五、六人ほどにぎやかに入ってきた。先ほどまで飲んでいたのだろうか。顔がうっすら赤く、声にはハリが無いが、やけにデカい。

 男はみんなそれなりに整った顔立ちだ。額にリア充と書いたらもう完璧だ。

 その雰囲気に圧倒された俺はさりげなく通路の端により、邪魔にならないようにした。


「菜保、やるのは後ででいいから」


 いくら菜保と言えど年頃の女の子だ。大学生のお兄さんがたくさんいる中、さっきのミッションは苦しいものがあるだろう。俺でもあのコーナーの前で三秒以上立ち尽くすことができない。

 むしろ漫画は、菜保がサイフを忘れたと言った時点で、買ってやるつもりでいた。


 一緒にアイスの棚でも見るかと、菜保の方向を見た。



 絶句した。



「むぅ~…………」


 コイツ、やってやがる。

 成人雑誌のコーナーの真ん前、しかもちゃんと仁王立ちで。エロ本を、直視、して、いる。


 ちょっと奥さん聞きまして!? ピチピチの女子高生がエロ本を直視していらっしゃるわよ! しかも仁王立ちで。もうそれは教科書のお手本のような美しい仁王立ちで。


「あと十五秒かぁ……よし、やってやろうじゃないの。見つめ合ってやろうじゃないの」

「もういい! もういいから!」


 アメリカンドックの容器を脇に挟んで、菜保の首根っこをむんずと掴み、空いた手で『しゃがめ! 耳かきくん』の新刊(新刊と示す紙が貼ってあった)をひっつかみ、レジで会計をすませた。

 酔いがすっかりさめた顔で、大学生のリア充兄さん方がこちらを見ている。頭がパニックなまま、店員の「ありがとうございましたー」の声を背中で受け止め、店の外に出た。


 菜保はキョトンとした顔で俺と漫画を交互に見ている。


「え、どうして? まだ二十秒たってなかったよ」 

「そんなことはいいから! どーしてだ、お前には羞恥心ってもんがないのか?」

「ちっちっちっ、甘いぜ兄ちゃん。こうして子供は、大人になっていくモンなんだよ」

「えっ、ちょ、おま、キャラ変わってるから!」



「ありがとね。駿介」


 漫画をぎゅっと胸に抱きかかえて微笑まれる。その頬笑みだけで、俺の腹は満たされたようだった。愛しいと絶叫するのをこらえながら、俺は脇に挟んでいたアメリカンドックの輪ゴムをといた。

 三本あるうちの一本を、菜保に渡す。


「食うか?」

「おっ、ありがとーね。一緒に食べよ」


 目を輝かせて、俺の手からアメリカンドックを受け取り、ぱくっと一口食べた。俺も食べる。一口食べた瞬間、腹の虫が覚醒したのか、無意識のうちに二口、三口と食べていた。

 美味い。

 空腹の身体の隅々まで染みわたる美味さだ。たかがコンビニのホットスナックなのに、今の俺には高級フレンチと同じ味がする。

 ほくほくが口の中ではじける。そしてほんのりと甘い。あぁ、この世にこんな美味いものがあったとは!

 無我夢中で一本食べつくした俺は、最後の一本を食べようと容器に手を伸ばした。

 

 あれ、無いぞ。 

 三本のうち、一本は俺、もう一本は菜保に渡した。そして残った一本が、ここにあったはずなのに。


「まさか」

「駿介! アメリカンドックって美味しいね。もっともっと食べたい」

「…………菜保、それ何本目だ?」

「二本目」


 中途半端に満たされた腹はもっともっとと食べ物を要求し始めた。サイフからは七枚の一円玉がこすれる音しかしない。


 ぐぎゅるるる。腹が悲鳴を上げている。

 菜保は満面の笑みで最後の一口をぺろりと平らげた。


 




 

 小学校も卒業するころ、通学路にアッチの本のページがたくさん落ちていたことがあります。

 みんなは気味が悪そうに顔をそむけていましたが、私はガン見でした。




 この二人だけで四話書けたという奇跡。

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