最後の帰り道
父との思い出は、どれも特別なものではない。
豪華な食事も、立派な贈り物もなかった。ただ、他愛のない会話と、穏やかな時間。それでも私にとっては、何より大切なものだった。
「リリア、今日は少し遠回りして帰ろうか」
その日も、そんな一言から始まった。
街での用事を終えた帰り道。私たちは小さな馬車に揺られながら、いつもと違う道を進んでいた。
「どうしてですか?」
「たまには景色を楽しむのもいいだろう」
窓の外には、柔らかな夕焼けが広がっていた。
オレンジ色に染まる空。遠くに見える森の影。ゆっくりと流れる時間。
「……きれいですね」
「ああ、本当に」
父はそう言って、静かに笑った。
「こういう時間を、大切にしなさい」
その言葉が、なぜか少しだけ胸に残った。
「どんなに状況が変わっても、人の心まで貧しくなってはいけない。リリアは、そのままでいい」
まるで、言い聞かせるような口調だった。
「急にどうしたんですか?」
「いや、なんでもない。ただ……少し思っただけだよ」
父は視線を外に向けたまま、そう答えた。
その横顔を見て、私は少しだけ違和感を覚える。
けれど、それが何なのか分からないまま、馬車は進んでいった。
——次の瞬間だった。
大きな衝撃が、すべてを吹き飛ばした。
何が起きたのか、理解できなかった。
視界が揺れ、音が遠のく。
馬の悲鳴のような声。何かが壊れる音。
そして——静寂。
「……お父、様……?」
呼びかけても、返事はない。
横を見ると、父はぐったりと崩れていた。
「お父様……?」
もう一度、声をかける。
返事はない。
手を伸ばして触れると、冷たかった。
「……いや……」
理解が、追いつかない。
「いや……いや……っ」
声が震える。
息がうまくできない。
「……リリア……」
かすれた声が、かすかに聞こえた。
「お父様!?」
顔を上げた父は、もうほとんど目を開けられていなかった。
「……大丈夫だ……お前は……強い子だ……」
その言葉は、途切れ途切れで。
「優しさを……忘れるな……」
まるで、最後の願いのようだった。
「待って……まだ……」
言葉にならない。
「……すまない……」
それが、最後だった。
——世界から、音が消えた。
気づいたとき、私は一人だった。
夕焼けは、もう沈みかけていて。
さっきまであった温もりは、どこにもなかった。
ただ一つだけ、残っている。
——優しさを忘れるな。
その言葉だけが、胸の奥に深く沈んでいた。




