第3話 声が出せなくても、君は笑った
あの日と同じ午後。
木漏れ日が差し込む公園の道を歩いていた僕は、ふと足を止めた。
そこに、彼女がいた。
まるでずっと、ここで待っていたかのように。
ゆっくりと振り向いた彼女は、迷いのない足取りで僕に近づいてくる。
目の奥に、あたたかくて静かな光を宿して――。
「また会えましたね」
その声は、風よりもやわらかかった。
一度しか言葉を交わしていないはずなのに、なぜだろう。
まるで昔から知っていたような、不思議な懐かしさがあった。
けれど僕は、やはり言葉を返せなかった。
喉の奥が冷たくて、声が出ない。
それでも彼女は責めることもせず、そっと見つめてくる。
まるで、沈黙ごと抱きしめようとしてくれているような眼差しで。
「あなたと……話してもいい?」
その問いは、ほんの小さな音だった。
けれど、僕の心の奥にまっすぐ届いた。
でも、やっぱり返せない。
声はまだ、遠くにいた。
言いたいことは山ほどあるのに。
「ごめんね」「話したいんだ」
その一言すら、声にならなかった。
彼女は少しだけ目を伏せ、そして――
「……もしかして、私と話したくないのかな。それとも……私のこと、嫌い……?」
かすれるような声だった。
壊れてしまいそうなほど弱々しくて、風に消えてしまいそうなほど淡くて。
でも、その言葉は刃だった。
僕の胸の奥に、確かに突き刺さった。
ちがう。
そうじゃない。
そんなこと、一度も思ったことない。
むしろ君は、初めて僕を「見て」くれた人なのに――。
けど、それでも言えなかった。
やっぱり、声は出なかった。
沈黙の裏にある感情が、どうしてこんなにも伝えられないんだろう。
僕は、こわかったんだ。
自分の声が、誰かを遠ざけるのが。
知らないうちに誰かを傷つけてしまうのが。
だから黙ることしかできなかった。
沈黙だけが、僕を守っていた。
……いや、本当は。
君の優しさを、壊したくなかった。
そんな僕に、彼女はまっすぐ言った。
「……あなたの歌声が、私は好き」
その一言が、胸の奥を強く打った。
凍りついていた心が、少しずつ、ひび割れていくのがわかった。
熱がこみ上げてきて、息をするのも苦しかった。
こんなふうに……
僕の声を肯定してくれた人なんて、今までいなかった。
救われた――
たった一言で、こんなにも心が動くなんて。
ありがとう。
ただ、その言葉だけが心の中にあった。
けれど、口にはできなかった。
やっぱり僕は、まだ声を出すのがこわい。
それでも――
あの瞬間、たしかに心のどこかにある扉が、すこしだけ揺れた。
この世界に、自分の居場所があるかもしれないって。
まだ遠くて、まだこわくて、でも……
彼女の言葉が、そっと僕の中に芽を落とした。
それは、小さくて頼りない種だったけど、確かにぬくもりを持っていた。
気づけば、空が少しだけやわらかくなっていた。




