猪少女 アンネローゼ・ケスティング#2
「さて、アンネローゼさん座ってくださって構いませんよ」
「はい、では、ありませんわっー!」
「立ったままでも構いませんが、どうせですからお茶をお出ししますので」
「では無くて、私はナンシー・アドメラですわ!」
ふむ、一応先程呼び出す際にアンネさんと言った筈だが、もしかして聞き流されたかと慶司は思ったが、現実は残念なアンネローゼが緊張と興奮の余りに聞き逃していただけ。事実とは時に残酷だった。
「大丈夫ですよ、この部屋の音は外に聞こえないようにしていますし」
「でも、いえ、いいえ違いますですことよ!」
「うーむ、ここは先程アンネさんと呼んだのですが理解して来られた訳ではないのですね」
「そうですわ、エリミアドなんて知らないですわ!」
「因みにまだ何処のアンネローゼさんとも言ってないのですが」
「否ですわ!私帰りませんことですわよー!」
「まずは落ち着いてくださいね、別に貴女がアンネローゼ・ケスティングだろうとなかろうと、入学した生徒を問題も起こしていないのに退学させるとか、強制的に帰国させようとは思っていません」
「ハァハァ、ふぇ?」
とりあえず納得したのか、諦めてソファーに腰掛けた彼女はジーっと慶司を見つめる。憧れであり尊敬の対象の慶司が目の前にいるのだ緊張もしよう。そしてアンネローゼと慶司がこうして正式に言葉を交わしたのは訓練の時を含めても今日が始めてであり秘密を知られている相手と相対して彼女も緊張していた。この男性は果たして味方足りえるかどうか、第一王女でもある彼女の身は言わば今後のエリミアドを左右する存在とも言える、彼女なりの考えがあって学院に単独で隠れて入学はしているが、正体が露見したともなればこれまでとは別問題である事を理解するだけの判断は、即座に本来は優秀な、蜘蛛の巣が張られた頭脳でも答えが弾き出されていた。
「では、ナンシーさんとしてお話をしましょうか」
これはアンネローゼの判断を待つと時間のみが過ぎるし、考える時間とこちらの対応を告げておかないと不味いだろうと判断した慶司が、アンネローゼを一時的にナンシーとして扱うから時間を作りますよと提案したのである。
本来は聡明な頭脳を持つアンネローゼだ、慶司の差し出した手を頷きで掴んでいた。そもそも彼女をどうにかするだけの戦闘力ぐらい慶司にとって容易い事ぐらいはアンネローゼは理解していた。唯単に驚きの余りに大声を上げて天に不幸を嘆きたくなっただけだった、まさしく吃驚仰天という状態に陥っていただけだった。
「はい、それでお願いいたしますわ」
「まあ、どこかの王女殿下の事は置いておいて、ナンシーさんの目指す物、必要とする物は何でしょうか」
「己の力量を伸ばす事、私は冒険者学院で、私の目指す物に必要な力を手に入れるには貴方の元で学ばせて頂く事こそが近道であると考えたのですわ」
「ナンシーさんの目指す物に必要な物、それは武力なのでしょか」
「……強く成りたいと思っている事は否定いたしませんわ」
これには応えざるを得なかった、それこそがアンネローゼの目標であってこの数年に亘る信念であったからだ。
「若干座学に問題がありますが、剣術には目を瞠る物がありますね、他の実技も悪くない。そこで特待生として放課後の訓練に参加しないかというお話だったのですが」
「それは名誉な事だと思います」
「ふむ、だが此処で貴方が何の為に強くなろうとしているのか、私から追求はしませんが何れ教えて頂ける事になれば良いとだけお伝えしておきましょう。貴方に正義があるのならば、私が助力する事も吝かではありません。それと強さは剣のみに非ず、座学についても勉強して下さい、それはきっと貴方を本当に強くする事に必要な事となるはずです」
「強さは力ではないと校長はお考えですか」
「ええ、少し違いますが、力だけを強さや正義だとするのは間違いですね」
「…………」
慶司の助力を得る事が出来るかもしれない、それはアンネローゼが舞い上がる以上に意味のある事だ。一騎当千の将を得た気持ち、いや、万の兵、を得たような心地がしたが、実際に慶司が助力をすれば万どころか百万の軍勢を得たと云って良い。だが彼女は舞い上がっているし、失踪からこれまで情報という判断基準が失われている彼女の現状では正確な想像が出来なかった。
私に正義があるのならば……私に正義はある、否、あらねばならない……筈だ。アンネローゼは己に疑問が生まれている事に気が付く。それが何かはまだ判らないが、校長であり憧れの対象である慶司が力はだけが強いという事ではないと云った事が影響したのかもと考えた。だが、自らがその答えを見つけた後に慶司の助力が得られたら最高だろうなとも考えている。
どこまでも己を鍛え国の為に生きるしか無い。それが私の生きる意味。愚直にただそれだけを目標にしていた彼女の心に少しだけ、おそらく微かな楔を慶司は打ち込む事が出来た。
『力だけを強さや正義とするのは間違いですね』この言葉が彼女の心に突き刺さったのは短い期間であるが学園生活を過ごしてきた事も大きく影響していた。
今までの愚直なブブーベ思考だったアンネローゼが考えるという行動に出た記念すべき日であったと後に彼女は述べている。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
その日の午後からアンネローゼは訓練に加わる事になった。名前はそのままナンシー・アドメラと言うことで押し通すと決定している。その書類処理に関しては理事長権限で特別処理となっている。
入学者は全員その書類を在学中に精査されて竜の支配地域出身ならば地元へ、国外からの入学者には其の土地の冒険者ギルドに委託して身元の確認がなされるからだ。
「そうそう、身分証の冒険者ギルド発行の物ですが、こちらの住所で再発行になりますから」
「なっ、では以前のカードはどうなるのですか」
「あれは処分して下さいね、でないと発覚した際にいらない苦労を背負いますよ、ナンシーさん」
それは勿論そのカードから足が付いてエリミアド王国で調査が入り王国への問い合わせの過程で修行の旅が発覚しますよという意味合いである。
「は、発覚などするものではありませんが、古いものが新しくなるのは歓迎ですことですわ!」
「冒険者カードは身分の保証にもなりますが、絶対の物ではありません、特にこの学院に入学して卒業すれば支払いの義務がありますから、そこでカードを捨てて借金から逃れる生徒がいる可能性などを考慮すれば身元を調べる必要があったりすると思いませんか?」
「ぐ、それはありえますことね」
「でしょ、ですからあなたのカードはこちらで再発行したものです、それと特待生ですから訓練に参加することについてのレポートを提出したり、学院から指定の依頼が出ます。それで買い物をするだけの費用は捻出できると思いますよ」
「これから参加する訓練がなにか特殊なのですか」
「そういえば、訓練の見学はされていないとか」
「ええ、トップクラスの実力者の方のみでされているとか聞いておりましたし、あの校長先生の特別授業の内容ならばさらに参加しなくても授業に参加しているので自分の自主練習の時間の方がと思いましたので」
「成るほど、まああの授業の内容をさらに濃くしたというか、新しい訓練用の機材のテスト導入や試験を手伝って貰ってたりします」
「それでレポートを提出して金銭的な価値があると言うことですのね」
「そうです、まあ彼らはそれ以外にも座学なども優秀ですし、勉強会を開いていますから一緒に取り組んでみるといいですよ」
「座学………剣を振るうだけが力では無いですか」
「まあ、知識というものは一見無価値に見えてしまうものもありますが、知らないよりは知っている方がいい物もありますし、まあ論ずるよりは自分で体験するほうがナンシーさんにはあっているでしょう」
「そうですわね、私実戦派ですので、その方が向いています」
「できれば実践であって欲しいとは思いますが……」
「なんですか?」
「いえ、まあ百聞は一見に如かず、見たことを信じて貰うのが一番ですね」
「ええ、仰る通りですわ」
「ではこちらへ、皆に紹介しましょう」
慶司の新作特訓機材の隔離の為に用意された特別訓練施設、後に登竜門と呼ばれるその入り口を潜り抜けて室内に入ったアンネローゼは思わず目を瞠った。授業での訓練の数倍の速度で落下しながら紙の標的を払いのけるホメロウ、何か周囲から打ち出される紙を一本の剣で弾いたり躱たりと動き回っている生徒、他にある設備も授業では取り入れていないものや性能が明らかに上の物ばかりだった。アレぐらいの授業なんとかなると慢心していたが、甘かったようだと気が付いた。生徒を集めて軽く自己紹介を終わった後で慶司がそういえばと、人差し指を掲げて思い出したという仕草を取った。
「伝え忘れていましたが、こちらの機材の設定などこの特別訓練時は精霊が担当していますので」
「え?」
「新しい特待生の方ですね、担当の精霊シルフィです。宜しくお願いしますね」
「え、はい、って精霊!?」
「やはり、ルーサー君以上に驚きましたか」
「ひどいな先生、俺も驚いたよ、まあ先生だからっていう納得はすぐにしたけどね」
「いえ、私だからと云って納得するのがおかしいのですよ、よく考えればナンシーさんの反応が当然でした」
「精霊、精霊、精霊様?」
「はい、まあ様だなんて付けられると困りますが」
「校長先生?」
「なんですか」
「なんですかではありませんですわー、精霊様がいらっしゃるのですことですわー」
「はい、落ち着きなさい、彼女は私の契約精霊ですよ」
「でも先生森人でもハーフでもありませんですわよね」
「ええ、違いますよ」
「精霊は森人の方しか、あれ、え、契約?」
「ちなみにアタシもだぞ」「うちも」「私もですわ」「オレもだぜ」「なのだ」
「え……皆様、精霊なのですか?」
「全員契約した精霊ということだ」
「あ、アハハハハ、そんな馬鹿な、ウフフフフ」
暫くの間アンネローゼが正気に戻るのに時間が必要だったのだが、元に戻った所で別方向からの追撃が加えられる。
(ご主人様、我々の紹介は大丈夫ですか)
「そうそう、この子達は言葉がわかる仲間だからねー、ナンシーちゃんも仲良くするの」
「え?」
にゃふーとモッフモフのウラヌスに抱きつきながらソフィアが何でも無い事のように紹介してしまう。
一応学院の番犬というか放し飼い出来る利口なピレードとして一般生徒は知っているが、マラソン訓練もあって学院のマスコット的存在になっているウラヌス達。現状で獣型の特訓装置の調整が間に合わないので訓練に付き添っていることから、特待生なら問題が無いだろうと喋れる事を明かしている。なのでウラヌス達は現在特待生から師のような扱いを受けている。
(紹介を受けたウラヌスと申します)
「ピレードが喋っただとぅぅぅ……」
「おっと」
「あら倒れちゃったの」
「自分の常識が悉く覆された結果として精神が耐え切れなくなって一時的に気を失ったのだろう」
「意外に繊細な子のようね」
「拙者達はともかくルーサーが平気だったので問題ないとは思ったのですが」
「だ、大丈夫です、此れしきの事で倒れる訳には参りません」
「ふむ、まあそういう事だから慣れれば問題はないと云うことで、これからナンシーの事を宜しく頼む」
「「「はーい」」」
「今日は初日だから見学するといい」
「わかりました」
「カミュ例の装置は試してみてくれた」
「はい、試しました」
「どうかな」
「私達なら問題はないですが、想像以上に難しいですね」
「うーんやっぱりそうか」
「校長、何か問題が」
「いや、新しい装置があるんだが、弓の訓練になると思って導入した装置があるんだがちょっと難易度が高かったらしい」
「その装置、試してみて宜しいでしょうか」
「まあ別にいいよ」
「本当ですか」
「でも大変かもしれないから気をつけてね」
「わかりました」
何故この装置を作ったのか、体幹や重心を鍛え同時に遊び心を満足させられないかという意図はあった。実際に効果もそれなりにあるのだが、凶悪な機械かもしれない。目の前に現れた装置を見上げてアンネローゼが驚きを顕にしていた。




