【武漢の激震】
『南魏紀伝【第二巻】』を既にお読みの方向けの作品です。
『南魏志魯雲伝』に曰く――
文武官において特筆すべきものの第三位は、童顔の美男子たる魯雲公なり。その智謀、文武官にして是を凌ぐ者なく、文官にして是を凌ぐ者寡し。その弓術夏侯勝に比肩し、是を凌ぐ者、呂恬公などの武官を除けば稀代の名将朱麗玉公のみ。
是なる叡俊、兵法を恒勝侯郭俊に師事し、内政を永安侯韋脩に師事す。両公、是なる男子の才を高く評す。しかれど魯公、情深きゆえに、その外交手腕、同僚皆是を懸念す。
第一章
劉一族の乗った馬車は賈良に先導され、何日かの旅の後、いよいよ武漢が見える地点にまで到達した。劉備の子孫たちが武漢に来ることは公にはされていないから歓迎する者は特にいなかったが、賈良の前に槍を持った一騎の武将が現れた。
「ん?あ…あれは、あの老将軍か?」
劉一族を連れて武漢のすぐそこまで到達した賈良は目を見張った。彼の前には馬に乗った猛将黄援将軍が槍をかまえて待っていたのである。
(どうやら私を歓迎しに来たわけではなさそうだな)
部下を引き連れていない単騎とは言え、深刻そうな表情で賈良に対峙する黄援の様子を見て、賈良は不穏な雰囲気を感じ取った。おそらく誰かの密命で、劉一族を周越陛下の御前に連れてくることは阻止するようにと言われたのだろう。だが、まずは事情を話すのが道理だとも思ったので、賈良は口を開いた。
「そこにおわすは歴戦の勇者黄援将軍とお見受けいたす。どなたかから私を止める様に命じられたのかもしれないが、私はかの高名な蜀漢の劉備どののご子孫をお連れして宮廷に登殿するべき立場である。このことは郭俊さまのみならず武漢の高官であらせられる魯真さまもご承知だ。私を止める権限は貴殿には無いはずだ」
だが黄援は毅然と応じた。
「賈良どの、貴殿の意向は知っている。だが、儂は丞相閣下の密命を帯びてこの場にいる。騒ぎにならぬようそなたを捕らえ、劉一族を隠密裏に延漢に帰すようにというのが丞相閣下のご意向だ」
丞相である張豊の意向となれば軽視は出来ない。だが賈良もただでは引き下がらない。たとえ丞相の密命といえども南魏王の意向次第では覆せるからだ。そこで賈良は尋ねた。
「その密命とは、周越陛下の密命という意味か?」
「それは分からぬ。張豊閣下ご自身による密命かもしれぬ」
「ならば必ずしも陛下のご意向が閣下のご意向と同じとは限らないではないか。まずは陛下に事情をご説明申し上げ、そのうえで陛下のご判断を賜りたい。邪魔だては貴殿といえども認めないぞ」
賈良の意志の強さをしめすこの発言に黄援は少し躊躇した。それは「あること」が気になっているからだ。
「賈良どの、劉一族のことは諦めてくれ。劉一族を陛下に会わせないために丞相閣下から密命を受けたとは言え、かつてあの張蓋から儂を救ってくれた貴殿に、儂は借りがあるではないか。それゆえ正直に言うと貴公とは対立したくない。儂の言うとおりにしてくれ」
契丹随一の猛将である張蓋から、賈良によって助けられた恩義を黄援は忘れていない。とは言えそのことを理由に丞相からの密命を軽視するわけにはいかない。板挟みになっている黄援に賈良は言い放った。
「かつて貴殿をお助けしたのは南魏のため。今回こうして劉一族を王都に連れてきたのも南魏のため。しかし貴殿がもし張豊閣下の密命通り劉一族を帰すのが南魏のためになると思うのなら交渉の余地は無い。貴公が南魏のためと思うなら自らの目的のために、実力で私を止めてみよ。かつて私に助けられたことなど気にするな!堂々と全力で勝負せよ!」
ここに至って賈良はついに槍をかまえ、練達の勇将たる黄援老将軍との対決を決意した。対する黄援も賈良との対決を避けられないと悟り、槍を持ったまま馬を駆り、賈良の間近にやって来た。
「遠慮はいらん。どちらが正しいかは、武人らしく武芸で決めようではないか」
賈良が言うと
「かしこまった。貴公に対するかつての恩義はあえて忘れ、この黄援、全力でお相手つかまつる」
お互いに馬を駆って近づいてきたところに、さらなる馬蹄の音が響いた。何事かと思って紅寧城の方角を見た二人の前に、馬に乗った二名がやって来る姿が見えた。それは魯真と韋脩だった。
「賈良将軍!何としても劉一族を我が国にとどめなければならない!絶対に勝ってくれ!」
と魯真が叫ぶと、韋脩も負けじと
「黄援将軍!劉一族を我が国にとどめれば我が国は人道に反する国家となる!絶対に勝ってくれ!」
この言葉に賈良と黄援各々頭を下げ、そして再度お互いに向き合い、正面から戦いを挑んだ。
賈良は凄烈なる槍の乱舞を繰り広げ、黄援の腕や足、さらには黄援が乗る馬へと幾度も槍を振るった。黄援はそれを自らの槍でなぎ払い、さらには槍を大きく振り回して賈良の側頭部を打とうとした。だが賈良もその動きを事前に察していたかのように黄援の槍を自らの槍で受け止め、二人の猛将は全く互角の技の攻防を繰り返した。
双方相手に致命傷を負わせるつもりはない。しかしお互いに「自らの価値観こそが南魏の国益にかなう」という信念があった。だがその一方、自らが今敵対している相手は、その相手なりに国益を考えている事も理解していた。それゆえお互いに殺したくはない。賈良は黄援が南魏の国益のために戦っていると知っており、また黄援も賈良が南魏の国益のために戦っていることを知っている。お互いに相手と同じ気持ちでありながら、その気持ちが目指す先が相対するからこそ起きる対立。その対立は第三者から見れば悲劇でもありうるし、また喜劇でもありうる。そんな複雑な状況で、十合、さらにもう十合と、幾度も干戈を交えながら、二人の猛将は文字通りしのぎを削った。
そばにいる魯真と韋脩も単なる観客でもなければ私情で応援している訳でもない。南魏の国益を賭けたこの一騎打ちに、全力をもって双方を応援した。
「黄援将軍!油断めされるな!この一戦は南魏全体にかかわる大勝負だ!」
と韋脩が叫べば、魯真も負けじと
「賈良将軍!貴殿なら必ず勝てる!そもそも天命は我らにこそあるのだ!」
と叫び、双方の士気を鼓舞した。
その声に励まされるかのように、賈良も黄援も、その持てる限りの武芸を尽くし、打っては守り、守っては打つ、互角の勝負を繰り広げた。とは言えお互いに相手を殺傷するつもりは無く、手を狙ったり足を狙ったり、あるいは振り回した槍で側頭部を打って落馬させようとしたりという、殺意はないが、しかしお互いに妙技の限りを尽くした。しかし両者の技量はまったく互角で、伯仲する実力ゆえに韋脩と魯真がかたずをのみ、息を殺して、目を凝らしながら勝負の行方を見守る、という緊迫した時間が流れた、激しい攻防が半刻続き、さらには一刻を過ぎた直後、蹄の音が激しく響いた。
「待て!両名とも待て!この勝負はおあずけだ!」
彭蒙の大音声が辺りに響いた。帯刀しながら武器と盾を手に持ち、早馬を駆って二人を止めに来たのだ。
彭蒙は叫びながら必死に嘆願した。
「早く互いに武器を捨ててくれ両将軍!このままではどちらかが大怪我してしまう!貴殿たちはどっちも傷つくべき人間じゃない!二人とも南魏にとって必要なんだ!」
だが黄援は
「止めてくれるな彭将軍!儂は南魏のためにこそ戦っているのだ!」
と、毅然とした口調で答え、賈良も
「そうだ彭蒙!お前はおそらく魯雲の差し金だろう!あいつが争いを好まないのは知っている!だが南魏のために、この戦いにオレは勝たねばならんのだ!」
と、黄援同様に毅然と答えた。そして再び打ち合う二人。
彭蒙は賈良に向かって
「賈良!たしかにオレは魯雲の差し金だ!だが、魯雲が言ってることは正しいぞ!お前も黄将軍も、南魏の重要人物だ!二人とも怪我をしちゃいけねえ!」
と叫ぶと、遮天偃月と盾を持ったまま二人に割って入り、両将軍の槍を自らの盾と遮天偃月で押し返した。歴戦の勇士たる賈良も黄援も、南魏随一の猛将彭蒙にはかなわない。言葉では納得しない賈良と黄援を、彭蒙は膂力で見事に制した。
その直後、さらにその場に馬を駆ってやって来る者があった。
「彭蒙どのの言う通りだ!賈良どの、黄援どの、双方とも槍を収めよ!これ以上の戦闘行為は法の名のもとに許さない!」
凛としたその声の主は陸正だった。陸正は劉明の素性を知ると「劉明とその子どもたちの処遇は周越陛下に直接ご判断いただかないとならない難問だ」と直感し、王都武漢に向かったのだ。そして、丞相の張豊を通してどうにか南魏王周越と謁見し、「劉明とその家族を南魏にとどめるべきと思う者も延漢に帰すべきと思う者も、ともに矛を収め、陛下の裁可を待つように」と命じるための勅許をもらったのだ。陸正は勅許を記した書状をかかげながら
「両将軍とも括目せよ!これは周越陛下の勅許の書状だ!これ以上戦うのなら、それは周越陛下のご意向に背くことになるぞ!」
と言い放ち、賈良および黄援に対峙した。その表情には、二人の猛将を相手にしても一歩も譲るまい、という固い決意がにじみ出ていた。
ここに至って賈良と黄援は、各々ついに槍を下ろし、お互いに距離を取って戦闘行為を断念した。こうして、稀代の二人の勇将による信念を賭けた一騎討は引き分けに終わり、劉明とその子どもたちの身柄は周越の管理下に置かれ、その処遇は「劉一族を南魏にとどめるべき」と思う者と「劉一族を延漢に帰すべき」と思う者、双方の意見を聞いたうえで周越が重臣と協議して決める事となった。
第二章
歴戦の強者たちによる王都武漢での一騎討ち、しかも謀反を企てているわけではなく、ともに南魏を思う忠臣という、味方同士の一騎打ち。この前代未聞の一大事は彭蒙と陸正によって収束した。だが、そこからが大変だった。事態の重さゆえに朝廷は他の諸問題を後回しにして、劉一族の処遇に対する周越の裁可を仰ぐための舌戦を政務の最優先事項とした。
賈良と黄援を止めた彭蒙。その彭蒙を派遣した魯雲は、遅ればせながらようやく武漢に着いた。
魯雲が彭蒙を急がせた理由は、当初は彭蒙が賈良と黄援を止めるためではなかった。もちろん魯雲はそんな仲間割れを望んでいない。ただ、魯雲はそもそも劉明とその子ども達を延漢に帰すべきだと考えている。郭俊の命令で自らが調合した痺れ薬を郭俊に渡し、さらにはその薬を彭蒙にも託した魯雲であったが、郭俊が劉一族を保護してもその後は劉明とその子ども達を延漢に帰すつもりだろうと思っていた。単に、拓跋一族が劉一族を殺してしまう危険性を察知した郭俊が拓跋一族を生け捕りにした上で劉一族を延漢王李荘のもとに届けるつもりだろうと思っており、それゆえ彭蒙が拓跋一族を蔡単のもとに連れて行った際に劉明とその子ども達は賈良たちが武漢に連れて行ったと知って魯雲は驚いたのだ。
そこで魯雲はすぐに
(郭俊さまに利用された!)
と感じた。つまり魯雲が調合した痺れ薬を「劉備の子孫を南魏に連れて行き政治利用するため」という、魯雲が望まない行為のために使う。そのために魯雲には真意を伝えずに痺れ薬を提供させた、と感じた。何故なら魯雲は
(劉明さまもその子ども達は延漢が擁していたのだし、劉明さまとその子ども達が延漢に居続けたいなら南魏に連れて行くべきではない)
と考えているからだ。しかしその直後には
(郭俊さまはひょっとして、僕が「劉明様とその子ども達を南魏が奪うべきではない」と思っていることを知らないんじゃないか?)
と思った。つまり魯雲を利用したのではなく「劉明とその子ども達を南魏が奪うことには反対しないだろう。それが南魏の国益にかなうだろうから」というのが郭俊の意図かも知れない、と魯雲は考え直した。ただ、仮に郭俊がそう考えたのだとしても、実際には魯雲は劉一族を延漢から奪うべきではないと思っている。そうした混乱の後、劉一族を連れて行った賈良を止め、劉明とその子ども達を延漢に帰して欲しいと魯雲は頼んでいた。
他方、陸正は独自の判断で動いていた。
(南魏が劉一族を私物化することには南魏が天命を受けたと喧伝できる強みもあるが、他国からの信頼を失う危険性もある。だから劉明とその子ども達の扱いは周越陛下に決めていただくべきだ)
そう考えた陸正は、馬車を疾駆させ、急いで王都武漢に向かっていたのだ。その行動は冷静ながらも「周越陛下のご裁決に従うべきだ」という、強い意志が裏付けとなっていた。
劉一族に対しては、南魏国内でもそうした様々な意見を持つ者がいる。そのような様々な意見の持ち主たちがいる中迎えられた劉明たちは、南魏の政治に大きな影響を与えることになるのだった。
第三章
劉一族の南魏への護送を最も強く提案したのは魯雲の兄の魯真であった。劉一族ほど政治的に利用価値のある人々は他にいない。南魏の版図拡大に利用できるであろう劉一族を、魯真は何としても南魏にとって最大限利用したいと思っていた。
魯真は王都武漢の高官の一人である。その魯真の意向に従い劉一族を連れてきた賈良や、逆に劉一族は南魏が勝手に奪って良い存在ではなく延漢に帰すべきと考える魯雲の意向は丞相張豊の意向に合致している。そんな両者は各々が魯真および張豊の許可を得て、劉一族と面会することが出来た。
賈良は約束通り、甘く煮た蓮の実を持って面会に来た。劉盛も緑翡もその美味しさを味わい、楽しいひと時を過ごした。
「あま~い!」
「おいし~い!」
蓮の実のお菓子を喜んで食べる子どもたちを、賈良は満面の笑みを浮かべながら見つめていた。
後日、そのことを知った魯真は尋ねた。
「賈良どの、貴殿は都尉としての俸禄があるとはいえ、わざわざあの子どもたちにお菓子を買って持ってくる義理は無いはず。如何なる意図であるか?」
この問いに賈良は明確に答えた。
「魯真どの、これはいわば投資ですよ。あの子たちがもし南魏にとどまってくれれば最善。しかしあの子たちが仮に延漢に帰るとしても、南魏に対して良い印象を持ってくれれば将来は延漢が南魏に敵対しないために何か働きかけてくれるでしょう。要は国益に役立つ人物には身銭を切ってでも尽くすのが道理だということです」
賈良のこの発言に魯真は深々と頭を下げた。
「賈都尉。まことに貴殿のおっしゃる通りだ。しかし私は武漢の高官である。都尉である貴殿よりは高い俸禄を頂いている以上、今度は別の食べ物……例えばエビの入った粽でも魚のつみれでも、私の身銭を切ってあの子たちに持ってくるぞ。貴殿にばかり負担をかける訳にはいかないからな」
「お気遣い感謝いたします、魯真どの」
賈良も魯真に頭を下げ、後日実際に魯真は子ども達のためにエビ入りの粽を買って持ってきた。子どもたちはそれも気に入り、喜んで食べた。
その後、劉明の子どもたちと面会することになった魯雲は、その各々の願いを聞いた。十歳にも満たない幼い息子は以下の様に言った。
「たしかにあの賈良さんとか魯真さんがくれたお菓子や料理はおいしかった。南魏は良いところだと思います。ただ、長く住むのはやっぱり故郷が良いです。故郷の延漢に帰りたいです。他に望みはありません」
ほぼ同い年の娘も同意見だった。
「私も同じ意見です。お菓子や料理をくれたことには感謝します。南魏の人は優しいと思います。でもやっぱり延漢に帰りたいです」
魯雲は彼らの意見を聞いて深くうなずいた。
「かしこまりました。ご子息さまとご息女さまのご意見、かならずや陛下にお伝えいたします」
その後魯雲は、劉明自身の意見も聞いてみた。だが、魯雲が
「劉明さま、私は劉明さまのご意見を尊重したいと考えております魯雲と申します。劉明さまご自身は、今後どうなさりたいのですか?私は陛下に対して、劉明さまのお子さま達だけでなく劉明さまご自身のご希望もお伝えいたしますので、何なりとおっしゃってくだされば幸いに存じます」
と尋ねると、劉明は深刻な表情をして告げた。
「魯雲どの、実は私にはやりたいことがあるのだ。貴殿が周越陛下に謁見できるのなら、是非とも伝えて欲しいことがある。他の者に聞かれたくないので、耳打ちさせていただきたい」
劉明のただならぬ様子から「何か重大な頼みごとがあるのだろう」と理解した魯雲は劉明に顔を近づけた。そして劉明が魯雲の耳元でひそひそと話す内容を聞いて驚愕した。
「劉明さま、貴方さまはそんな凄いことを考えていらっしゃるのですか!?」
「どうだろう?実現できないだろうか?」
この願いを何としても叶えたい、という劉明の真剣な顔つきに魯雲はしばし沈思黙考したが、逡巡しながら口を開いた。
「劉明さま、それはとても素晴らしいことだと存じます。是非とも実現して欲しいことでございます。ただ……」
「ただ……何でしょうか?」
魯雲の意図が分からず劉明が尋ねると、魯雲は自らの気持を述べた。
「ただ、何となく実現は難しいような気がいたします。仮に実現すれば素晴らしいことではありますが、しかし何故か僕には、それを実現しようとすると何か困難に突き当たるような気がするのです」
「そうですか…私の望みは実現不可能でしょうか……」
「あ…いえ、決して不可能とは申しません。ただ、劉明さまのご意向を私がそのまま陛下にお伝え申し上げてもうまくいかない気がするのです。しかし何か方法があるかもしれません。相談したい人物がおりますので、貴方さまのご希望をその人物にお伝えいたします」
「かしこまりました。魯雲どの、よろしくお願いいたします」
劉明は魯雲に深々と頭を下げ、魯雲もまた劉明に深々と頭を下げた。
その後魯雲は韋脩のもとを訪ねた。
思い詰めたような魯雲の表情を見た韋脩は、魯雲が何か深刻な悩みをかかえているのだろうと察した。
「魯雲君、何か相談があるようだな。遠慮なく私に相談しなさい」
「ありがとうございます韋脩さま。実は相談したい事はあるのですが、くれぐれもご内密にしていただきたいのです。なのでお人払いをお願いいたします」
「承知した」
韋脩は側にいた従者に席を外すように伝え、魯雲と二人きりになった。魯雲はようやく安心して劉明から言われたことを韋脩に伝えた。韋脩は一瞬だけ驚いたが、やがてあご髭をしごきながら余裕をもって笑みを浮かべた。
「魯雲君、それはとても重大な話だ。是非とも周越陛下にお伝えする。しかし他の人に聞かれては困る内容だ。その事は軽々しく言ってはならない。陛下には私からお伝えしよう」
「かしこまりました。ご高配ありがとうございます」
魯雲は深々と頭を下げ、意味深長な微笑みを浮かべる韋脩のもとを去った。
その後魯雲は、兄である魯真との舌戦に備え、どんな内容をどのような言い方で伝えるべきか、南魏王周越ならどんな主張を聞き入れてくれるかについていろいろ想定しながら、舌戦に向けた準備をした。
第四章
そしていよいよ魯真と魯雲の舌戦の日がやって来た。だが、その日の朝に彭蒙は不安そうな表情をしながら麗玉に尋ねた。
「なあ、麗玉。魯雲はどこだ?」
「え?…さあ、知らないわ。厠かしらね?」
彭蒙の焦ったような表情に対して、「何故そこまで焦っているの?」と言わんばかりの怪訝な顔つきで麗玉は答えたが、彭蒙は言った。
「いや、それがな…厠にもいなかったんだよ」
彭蒙の様子に何か不穏なものを感じた陸正が尋ねる。
「彭蒙どの、魯雲どのがどうかしたのですか?」
「陸正どの、実は魯雲が見当たらないのだ。厠にもいなかったんだよ」
「何!?それは一大事ではないか!」
「そうだ!まさに一大事だ!」
「う~ん、何か不穏な雰囲気を感じるわね」
彭蒙の焦りの意味が分かった麗玉が感想を述べると
「不穏な雰囲気?……」
陸正は眉間にしわを寄せて考え込んだが、やがて口を開いた。
「もしかしたら、何かの謀略かも?……」
「謀略ですか?それは穏やかではないですね……でも誰が?」
麗玉も陸正と同じく何らかの危険を察知したようだ。しかしまだ詳細は分からない。だが陸正は言った。
「耶律玄賽どのがあやしい!」
「耶律玄賽どのが?何故ですか?」
彭蒙が尋ねる。だが陸正は
「分かりません。あくまでも直感です。でも、魯雲どのの居場所について、何となく耶律玄賽どのが何か知っているような気がします」
具体的な根拠が無いとはいえ、優秀な文官であり年長者でもある陸正の発言である。麗玉と彭蒙は陸正の直感に従い、耶律玄賽の居場所に向かった。
「耶律玄賽どの!単刀直入にお尋ね申す!貴公は魯雲どのの所在について何か知らないか?」
せっぱ詰まった表情の麗玉が開口一番尋ねた。その雰囲気には「うそをついたら絶対に許さない」という強い決意がにじみ出ていた。その剣幕に気圧された耶律玄賽は
「知っては…いる。だが詳細を言うわけにはいかない」
と正直に答えてしまった。
「どういうことだ?!何故言ってくれない?!」
焦りながら問い詰める彭蒙に耶律玄賽は
「言えないものは言えない!オレの息子の命がかかっているからな!」
「何?!」
麗玉が驚く。そこで陸正が落ち着いた様子で口をはさんだ。
「耶律玄賽どの、我々は貴公を批判したいのではない。何か事情があるのは察する。だが、我々を信用して欲しい。どんな事情があるとしても、魯雲どのは陛下の御前での舌戦に必要な人物だ。魯雲どのが御前に来てくれなければ戦が起きて多くの人が死ぬことになるだろう。貴公の困りごとは我々で解決する。だから本当のことを話してくだされ」
陸正の落ち着いた口調と「あくまでも道理を通す」という雰囲気に、ついに耶律玄賽は真相を語り始めた。それは今から数刻前の事であった――
「魯雲どの。悪いがオレに従っていただこう」
「おお、耶律玄賽どの。いかがなされた?」
かつては敵だったとはいえ今は耶律玄賽を含む契丹の将兵を共に戦う仲間と考えている魯雲の無邪気な様子に、耶律玄賽は当初予定していた力ずくでの連行をする気にはなれず、ついつい事情を話してしまった。
「実は魯雲どの、貴殿の兄上の魯真どのが、貴殿の身柄を所望している。周越陛下の御前での舌戦に貴殿を参加させるわけにはいかない」
「何?それは一体どういうことですか?」
あまりに意外な耶律玄賽の発言に戸惑う魯雲。耶律玄賽は静かに伝えた。
「貴殿の兄上の魯真どのは、陛下の御前での舌戦に貴殿を欠席させるおつもりだ。貴殿を怪我させずに捕縛して牢屋に入れる様に命じられた。この命令に従わなければ我が息子が殺される。おとなしく牢屋に来ていただこう」
「!?……」
魯雲はしばし逡巡した。だが、数秒後には答えた。
「耶律玄賽どの、我が兄の非道を深くお詫び申し上げる。しかし本日の舌戦は、南魏の運命がかかっている。兄の言う通りの選択を陛下がなされば、南魏は戦を避けられなくなる!戦になれば多くの人が死ぬのだ!止めないでくれ!」
しかし耶律玄賽も引き下がるわけにはいかない。
「魯雲どの、貴殿が謝罪する必要は無い。しかし貴殿を投獄しないと某の息子が殺されるのだ。妥協は出来ない」
「……」
しばらく逡巡する魯雲。戦になれば多くの人が死ぬことになるだろう。それにそもそも、戦以前に劉明の息子と娘が故郷に帰りたいと泣いていたことだけでも魯雲にとっては劉一族を延漢に帰してあげたい動機になっているのだ。ただ、そうは言っても御前での舌戦に参加すると耶律玄賽の子どもが殺される。しばらく迷った魯雲だったが、最終的には
「承知した。耶律玄賽どののおっしゃる通り、僕は牢獄に行く。今から貴公に同行する」
と言った。耶律玄賽は魯雲に向かって申し訳なさそうに頭を下げた。
「かたじけない……」
こうした会話の後、魯雲は耶律玄賽とともに牢獄に行き、その中に閉じ込められることを自ら望んだのだ。魯雲が入れられた牢獄の向かいには、耶律玄賽の息子が投獄されていた。その姿を見た魯雲は思った。
(この子どもの命を僕の判断が救ったことになるのか。しかし戦になれば多くの人が死ぬ。仮に戦にならなくても劉明さまやそのお二人のお子さま達は故郷に帰れなくなってしまう。それもまた不憫だな……)
魯雲の心境は複雑だったが、そうした経緯を他の人が知ってくれるとは期待していなかった。
だが、実際には陸正の直感に従って耶律玄賽を問いただした麗玉と彭蒙によって、魯雲が行方不明になった経緯は明らかになった。耶律玄賽から事情を聞いた麗玉と彭蒙そして陸正は、魯真の居場所に急行した。
「魯真どの!貴殿のたくらみは露呈した!おとなしく我々に従っていただこう!」
麗玉が魯真を問い詰めた。魯真は激しく動揺したが、その直後にすべてを理解した。
「そうか。劉一族を南魏が庇護し、その威光をもって延漢を討つことが南魏にとって最善だと私は思っている。だからこそ耶律玄賽どのを脅したのだが、謀略が露呈した以上今さらじたばたしない。私を殺すなりさばきにかけるなり、好きにすれば良かろう」
すべてを悟って死ぬ覚悟をした魯真。だがその魯真に麗玉は言った。
「魯真どの。我々は貴殿を殺すつもりもさばきにかけるつもりもない!貴殿の考えが真に南魏のためになると思うのなら、魯雲どのとの舌戦に堂々と応じられよ!今すぐ我々とともに牢獄に向かい、牢獄の番人に命じて魯雲どのを釈放し、耶律玄賽どののご子息を殺さないように命じてくだされ!」
「!?……」
予想外の麗玉の発言に戸惑った魯真だったが、すぐに真意を理解した。麗玉は馬を駆り、彭蒙は御者となって魯真を馬車に乗せ、魯雲が投獄されている牢獄に向かった。陸正は一足先に宮廷に向かい、本日の舌戦が少し遅れるかもしれないがお待ちいただきたいと周越や朝廷の高官たちに頼む役割を担った。
その後魯雲のいる牢獄に、麗玉の凛とした声が響いた。
「魯雲!魯雲はどこ?アタシよ!麗玉よ!アンタの兄上の魯真どのはアンタを解放し、耶律玄賽どののご子息の処刑も取りやめるご意向よ!」
「え?!……こ、この声は朱さん!?本当に朱さんの声!?」
魯雲は激しく戸惑ったが、その直前に魯真が牢獄の番人に魯雲の解放と耶律玄賽の子どもの処刑取りやめを命じたことはすぐに理解した。そして再会を祝う間もなく、「とにかく急いでアタシの馬に乗って!」とせかす麗玉の求めるままに、麗玉が駆る馬に乗った。
こうして魯真は彭蒙の駆る馬車で、魯雲は麗玉が駆る馬の後ろで、各々運ばれながら南魏王周越の居城である紅寧城に向かった。
「朱さん、苦労をかけて申し訳ない……」
心底申し訳なさそうに謝る魯雲。だが麗玉は
「気にしないで魯雲。アンタの性格だから、どうせ耶律玄賽どのの子どもが処刑されると思ったら自ら進んで投獄されたんでしょ?そんなところもふくめてアタシはアンタを認めてやってるんだから、恩に着ることは無いよ。それにこの舌戦には南魏全体の命運がかかってるんだから、そもそもアンタ個人の問題じゃないよ!」
少し突き放すような、それでいて魯雲を認めるような麗玉の口ぶりに、魯雲は嬉しいやら情けないやらで複雑な気持ちになり、思わず泣きそうになりながら、麗玉が駆る馬の後ろに乗ったまま宮殿に連れて行ってもらうことになった。
第五章
その頃、南魏王周越の居城である紅寧城では、陸正が必死に朝廷の高官たちの説得にあたっていた。周越の御前での舌戦を間近に控えながら、魯真も魯雲も紅寧城に現れない。それゆえ高官の中には「陛下の御前での舌戦という重圧に耐えきれず逃亡した」と言う者もあれば、「そもそも朝廷をないがしろにする不届きな奴らだ」とさえ評する者もあった。陸正は必死に
「魯真どのも魯雲どのも怖気づいたのでもなければ朝廷をないがしろにしているわけでもない。体調がすぐれなくて少し休んでいるだけだ。もしどうしても本日の舌戦までに体調が回復しなければ、陛下や丞相閣下そして高官の皆さまのご都合が良い日を選んでいただき、舌戦を後日に延期していただきたい」
と説得していた。だが韋脩は何か不穏な動きを感じていたし、丞相の張豊も南魏王周越も陸正の説明は言い訳のように感じていた。
そうこうしている間にも舌戦を開始すべき時は刻一刻と迫っている。あと一刻どころか半刻もない。陸正が「もはや既定の時刻には間に合わないか」とあきらめたその瞬間――
ダダダッ!
という激しい音が周越や陸正や高官たちのいる広間に響いた。
「お待たせしました!皆さま申し訳ありません!」
息を切らせながら叫ぶ麗玉の声に続き
「ご心配をおかけしました!舌戦は予定通り行います!」
という彭蒙の声も響いた。二人は既定の時刻の半刻どころか数分前になってようやく、舌戦がおこなわれる広間に現れたのだ。そしてその二人に続き、二人を連れてこられた魯真と魯雲も息を切らせて広間に駆け込んだ。
安堵する陸正のそばで丞相の張豊が周越に話しかけた。
「陛下。両名とも時刻には間に合いました。このまま定刻通り舌戦を開始すべきでしょう」
しかし周越は微笑みながら、魯真と魯雲に向かって言った。
「両名とも、無事時刻に間に合ったことは素晴らしい。どんな事情があってこれほどまでに予定の時刻に近い登殿になったのか、その事情を余は問わない。しかし舌戦は予定より半刻遅らせよう。その間に厠に行き、水か茶でも飲んでのどを潤すが良い。双方とも懸命に走って来たようであるし、早馬に乗せられてでもいたのだろう。まずは体調を整えてから舌戦に臨むが良い」
周越のこの気遣いに高官たちも感じ入り、魯真と魯雲は感謝のあまり深々と頭を下げた。
そして半刻が過ぎた時、いよいよ魯家の兄弟は南魏王周越の御前で対峙した。周囲には周越も張豊も韋脩も陸正も麗玉も彭蒙もいる。そして朝廷の高官たちも多数いる。重要人物達が見守る紅寧城の広間で、魯真と魯雲の舌戦がいよいよ開始した。
第六章
南魏を支える多くの要人がかたずをのんでいる中、口火を切ったのは魯真の以下の発言だった。
「陛下。そもそも蜀漢の劉玄徳の子孫たる劉明公、そしてその御子息とご息女が、我らが南魏に来られたこと自体が天命でございます。しかも青燕のみならず北方の靺鞨までもが我が国の劉氏確保を支持し、延漢を挟撃する姿勢でございます。これはすなわち我が国こそが中原の覇者たる正統性を持つ国の証であり天が与えた好機、陛下の御威光の賜物でございます。このような状況下で、まだ延漢との盟約に固執なさって、版図拡大をせずに延漢に劉明公を帰すなど、国家の百年を誤る愚策でございます!」
これに対して魯雲は以下の様に応じた。
「陛下。劉氏一族を今まで庇護してきましたのは延漢王と、その延漢王の命を受けた拓跋一族でございます。そうした他国の守ってきた要人である劉一族を南魏が奪えば、南魏の威信はさながら漢の逆臣董卓の命運のごとく凋落することでしょう。延漢は我が国に使者を送り、我が国の援軍に対して陛下に金品をもって礼を尽くしたではありませんか。信義に基づく外交を継続している延漢を敵に回せば、我が南魏は不忠不義の賊として諸国の信頼を失います」
これに対して魯真は、魯雲が大義という文言を使ったことを取り上げて応じた。
「陛下。大義など戦に勝った暁にはいかようにでも唱えられます。かつて覇王項羽が范増の謀をかえりみず高祖劉邦を鴻門の会で討ちそこねたのは、平身低頭した劉邦を討つのは義にもとる、という甘い考えをしたからです。大義名分に固執なさっていては南魏の国力増大は見込めません。青燕や靺鞨と組んで延漢を討ち、我が国の版図を拡大すべきです」
項羽に関して魯雲にとって納得の出来ない評価を下した実兄の魯真に魯雲は憤りを感じながらも、どうにか冷静を保とうとして一呼吸置いた。そして再度話を切り出した。
「陛下。謬見に騙されてはいけません。西楚の覇王が天下を統一できなかったのは咸陽に至る行程で降伏した将兵まで殺し、秦王子嬰や楚の懐王まで殺して大義を失ったからです。延漢は今まで南魏との盟約を守り、劉氏を擁しながらもその威光を利用せず、このたびは匈奴の脅威に対抗するためにやむを得ず劉氏を庇護してきたことを匈奴に伝えようとしたのです。延漢は匈奴に対する牽制のために苦慮した結果、劉氏の力を借りようとしたにすぎません。その劉氏を我ら南魏が奪って延漢を攻撃するのであれば、南魏はまさに項羽と同じ運命をたどり、天下は永嘉の乱の直後のような大乱の世になるでしょう」
魯雲のこの言葉に、周越は思わずうなずいた。だが、その周越のうなずきの意味を魯真は瞬時に理解した。たとえ実際に項羽が天下を取り損ねたのは鴻門の会で劉邦を殺さなかったことが最大の原因だとしても、そもそも義にもとる行為や大乱の世を周越は嫌うのだ。長年王都武漢で文官として勤務し、周越の価値観を知っている魯真は、魯雲が出した論点のうち、永嘉の乱の話題は避けて義について論じようと方針を変えた。
「陛下。義と言えばそもそも、劉明どのおよびそのお子さま方を延漢に帰すことこそ義にもとる行為でございます。彼らは昭烈帝劉備の直系の子孫でありながら、延漢では拓跋氏に守られてはいるものの、不自由な暮らしをしていた事は明らかです。陛下の広き度量でもって彼らを南魏において厚遇なされば、秦王子嬰の降伏を受け入れた高祖劉邦のごとく、天下万民の支持を勝ち取ることでしょう」
これに対して魯雲も負けじと応じた。
「陛下。兄の申している事は間違っております。私は劉明どののお子さま方から直接お話をうかがいました。高い地位など望まない、ただ故郷の延漢に帰りたいだけだ、と。劉明さまのお子さま方のお気持ちを大切になさることこそが、義を重んじる行為でございます」
周越は再びうなずいた。周越のその態度を見て魯真は焦った。だが、まだ逆転の可能性はある。劉明とその子どもたちを延漢に帰せば南魏が危機に陥ると周越に思ってもらえさえすれば、民草を安んじたいと願っている周越の心に響くはずだ。魯真はそう考えた。
「陛下。もし延漢を討たねば青燕や靺鞨が南魏に対してどの様な態度をとるでしょうか。今こそ延漢を討とうとして意気軒昂な青燕や靺鞨は、南魏が延漢を討たないとなれば逆に自分たちが討たれると考えて猜疑心におちいり、南魏の領土を蹂躙するかもしれません。南魏の民草を守るためにも、是非とも延漢を討つべきでございます」
この言葉に対して魯雲は具体的に応じた。
「陛下。青燕は以前、法純さまが率いる淳恵泉どのや呂平どのなどに討たれました。しかも現在も法純さまは青燕に睨みを利かせていらっしゃいます。更に契丹との戦が終わった今、延漢から帰国した若手の猛将呂恬将軍のみならず、かつて契丹と戦った甘成どのや馬典どのや楊達どのや于桓どのをあてる事も出来、さらには戦場で私の命を救ってくださった紀覧将軍たちのいる樊順党も健在です。知恵者としては法純さまのみならず郭俊さまや韋脩さま、そしてその韋脩さまのご子息の韋丹さまもご健在です。外交に関しては酈陽さまのみならず徐明琶どのや夏侯勝どのもご活躍なさっています。かつて契丹や青燕の軍勢から我が国への侵攻を食い止めた諸将や知恵者たちがおります故、青燕に国土を蹂躙される心配はございません」
魯雲は、他にも幼馴染の彭蒙や、武官試験に第八位で合格して実力を認められている孟幹や、孟幹にはおよばないとはいえ魯雲の故郷の成申ではその膂力で名をはせた高裕など、同郷の士を挙げようとも思ったが、私情に駆られて故郷自慢をしていると思われる事を恐れて、同郷出身の猛者たちの名前はあえて挙げなかった。そして同郷ではないが同期や親しい存在である麗玉と賈良と陸正そして銀月の名もあえて挙げなかった。そうした身内びいきを避けた魯雲の発言の説得力に焦った魯真は、あえて魯雲の主張を認めるという戦法をとった。
「陛下。弟が申した通り猛将や知恵者がいるのであれば、その者たちを延漢との戦いに活用するべきです。有能な武将や知恵者がいれば永嘉の乱直後の様な大乱の世にはならず、戦は短期間で南魏の勝利に終わるでしょう。青燕は南魏が攻めてくるという疑心暗鬼に陥らなければ、靺鞨とともに延漢を攻撃する意向です。是非とも有能な武将や知恵者を最大限ご活用なさって南魏の版図を広げてくださいませ」
だが魯雲は、この提案に対して、魯真が知らないであろう情報を出した。
「陛下。青燕が延漢を討つことに固執しているのは、青燕の丞相の意向に過ぎません。青燕の丞相の公孫瑞閣下は、遼東の公孫淵の末裔です」
「何?!それはまことか?!」
魯真と魯雲双方の言い分を聞いて最終的な判断まではなるべく発言を控えようとしていた周越だったが、この発言には思わず身を乗り出して尋ねた。魯雲は続けた。
「はい。法純さまとその部下の方たちがお調べなさったことですから間違いありません。しかも延漢の丞相司馬徴閣下は司馬仲達の末裔です。公孫淵は司馬仲達に降伏を申し出たが認められず、司馬仲達が率いる軍に処刑された上に司馬仲達の命により官吏数千人のみならず城内の男子約七千人もの首がはねられたことは、史書が示す通りでございます。公孫瑞閣下は司馬仲達に対する恨みから青燕王の宋謙陛下をたきつけ、司馬徴閣下を討とうとしているのです」
「……」
「……」
魯雲のこの発言には周越のみならず魯真も黙り込んでしまった。その話が間違いなら反論の余地もあるだろうが、法純およびその部下の調べであれば間違いあるまい。ならば青燕が延漢を討ちたいのは国対国の対立ではなく、司馬一族に対する公孫一族の恨みが主たる原因と言わざるを得ない。そうした理由であれば青燕王宋謙が丞相公孫瑞の意向を無視さえすれば延漢に対する青燕の敵意を削ぐことは可能だ。
「分かった。魯真、魯雲、ともにこれ以上話すことは無いか?無ければ余は今までの話を聞いて重臣たちと相談し、考えをまとめ次第決断を下したい」
周越のこの言葉には、魯雲のみならず魯真も
「この件についてこれ以上お話しすべきことはございません」
と、頭を下げながら言うしかなかった。
第七章
双方が全力をかけた舌戦の直後、魯雲は舌戦を聞いていた韋脩のもとに駆け寄った。
「韋脩さま、先日申し上げた劉明さまのご希望については、陛下にお話しくださいましたでしょうか?」
「大丈夫だ。既にお話申し上げている。そして私も丞相閣下や他の重臣たちとともに、陛下とともに内密の評議に参加する。どの様な結果になるとしても、魯君が私に伝えてくれた情報は陛下に充分吟味していただく」
「ありがとうございます」
余裕のある韋脩の表情を見た魯雲は、嬉しそうに頭を下げて感謝の意を述べた。
数日後、重臣たちとの話を終えた周越は決定を下した。その場には魯真も魯雲も呼ばれ、今度は二人とも時間に余裕を持って登殿した。周越は厳かな口調で語り始めた。
「並みいる諸賢たちよ。先日は劉明公とそのご子息およびご息女をめぐる魯真と魯雲双方の意見を聞いたであろう。余は両者の意見を聞き、さらに重臣たちとも協議を重ねた結果、以下のような結論に達した」
その場にいる全員がかたずをのんで、周越の次の言葉を待った。周越は続けた。
「結論として劉一族は延漢にお帰しする。ただ、しばらくの間はこの南魏にご滞在いただき、賓客としてあつかうこととする。くれぐれも失礼なきように注意せよ。南魏が目指すべきは覇道ではない。信義を重んじる王道である。以上だ」
この決定に魯雲たちはよろこび魯真たちは落胆した。だが、しばらくは南魏に滞在してもらえるという事なので、その間はなるべく南魏に対して良い印象を持ってもらえるように歓待しよう、そうすれば後日延漢に帰ってからも劉一族から評判を聞いた延漢の人々によって南魏は他国の要人である劉一族つまり漢室を重んじる国であり、ひいては天命を重んじる国という評判を得るだろう、とも魯真は思った。
後日、魯雲は再度韋脩のもとを訪れた。
「韋脩さま、ご協力ありがとうございました」
深々と頭を下げる魯雲に韋脩は微笑みながら言葉をつなげた。
「いやいや魯君、私の方こそ君に礼を言うよ。私は確かに陛下に私なりの最適な案を伝えたが、それもそもそも魯君が劉明さまのご意向を尋ねてくれたおかげだ。劉明さまのご希望通りになれば、魯君こそが最大の功労者だ。とは言え、私も魯君も、そして周越陛下や酈陽どのも今回の功労者とは周囲から呼ばれないだろうな。あくまでも隠密裏に事を進めねばならないからな」
「周越陛下や酈陽さまがどうなさったのですか?」
魯雲は韋脩の発言の意図が分からずキョトンとした。韋脩は核心をぼかしながらも説明を続けた。
「いや、まあな。……劉明さまのご希望を、そのまま劉明さまのご希望として延漢王の李荘陛下にご採用いただくことには危険がある。だから周越陛下や酈陽どのとも協力する必要があるのだ。まあ、魯君は安心してくれ。悪いようにはならないはずだ」
「かしこまりました……」
魯雲は韋脩の発言の意味が分からなかったが、「悪いようにはならないはずだ」との韋脩の言葉を信じ、疑問が残ったままであるとはいえ不安はぬぐえた心境で帰路についた。
その後、韋脩の話を聞いた南魏王周越は、丞相張豊を交えて検討した結果、劉明の提案に応じるには、外交の第一人者たる酈陽を延漢に派遣するのが最善だと判断し、酈陽に王命を下した。
第八章
後日、周越から使命を託された酈陽は、周越からの書簡を持って延漢王李荘のもとを訪れた。酈陽が延漢王李荘に伝えたところは以下の通りだった。
南魏王周越としては劉明さまとそのお子さま方を南魏に強奪するつもりはない。ただ、一部の部下たちが劉一族を南魏が擁した方が南魏の国益になると考えて、そうした部下たちのせいで劉一族が南魏に来訪なさる形になったのは事実だ、と認め、部下の非礼を詫びた。そのうえで、李荘陛下にお願いしたき議があるとのことだった。その「お願い」とは何なのかを尋ねた李荘に、酈陽は周越からの密書を渡すという形で答えた。
その密書を読んだ李荘は驚愕した。だが、その直後に「これは素晴らしい案だ!」と微笑みながら言った。酈陽は微笑みながら、恭しく頭を下げた。
その後、劉一族を帰してくれれば南魏王周越からの望み通りにするとの書簡を酈陽に託した李荘は、丞相の司馬徴に相談して、大急ぎで外交のための準備に取り掛かった。酈陽は李荘からの書簡を周越に渡し、周越は丞相の張豊など、部下に命じて劉一族をいつでも延漢に帰せるようにする準備をした。
しばらくの後、ついに劉一族は南魏の王都武漢を離れて延漢の王都洛陽に向かうことになった。その直前、劉明と劉盛と劉緑翡は、南魏からの歓待に感謝を述べ、特に魯雲に対して礼を言った。
劉明は
「南魏の皆さま、特に魯雲どのにはお気遣いいただきありがとうございます。延漢に帰国しても南魏の皆さまのご恩は忘れません」
と言いながら頭を下げ、それにならって劉盛は
「僕も同じ気持ちです。おいしいものを食べさせてくれてありがたいです。南魏の人たちにはお世話になりました」
すると緑翡も
「アタシも南魏の人たちには感謝しています。アタシたちを気遣ってくれてありがとうございました!」
とお礼を述べた。魯雲は
「劉家の皆さまに喜んでいただけて光栄です。皆さまからのありがたいお言葉、必ずお伝えいたします」
と述べて頭を下げた。そして実際に賈良や魯真に劉一族からの感謝の言葉を伝え、賈良や魯真は大いに喜んだ。と言うのも、劉一族から高い評価を得たという事は、賈良や魯真そのものに対する利益と言うより南魏全体の利益になるからだ。劉一族がいつかは延漢に帰国するのは残念だが、彼らが南魏に好印象を持ってくれたのであれば、将来延漢と南魏が対立しても、劉一族の意向でその対立が先鋭化しないで済むかもしれない。賈良と魯真にはそうした読みがあった。
南魏の王都武漢の要人たちが劉一族からの評価を喜んでいた頃、酈陽は延漢の王都洛陽にある王の居城である翠安城にやって来た。静まり返る城内の広間にて、酈陽は南魏の外交特使として、劉明の子ども達の本心が書かれた書状をそっと机に置き、延漢王李荘を見上げながら言った。
「延漢王李荘陛下。この度、我が南魏の者たちが、陛下の許可なく劉明さまとそのお子さま方を連れて来てしまいましたこと、我が主の周越陛下は君主として誠に申し訳ない、と深く心を痛めておいでです。蔡単どのの動きに不安があったとはいえ越境しての強行は非礼の極み。まずは南魏を代表して、深くお詫び申し上げます」
酈陽は慇懃に頭を下げた。李荘の傍らに立つ軍功第一位の軍師である荀慶は、腕を組みながら冷ややかな視線を送っていた。
(ふん、南魏王周越め。劉一族を延漢に帰すしかなくなって、慌てて体裁を取り繕いに来たか)
だが延漢王李荘は穏やかに首を振った。
「いや酈陽どの、面を上げられよ。蔡単の独断が劉一族を脅かしていたのは事実。むしろ、彼らを無傷で保護してくれた南魏の郭俊殿や賈良殿の機転には、感謝しておるのだ。……して、お子たちの本心は?」
李荘からのこの問いに酈陽は落ち着いた声で答えた。
「はい。お子さま方は故郷の延漢で平和に暮らしたいと、それだけを涙ながらに望んでおります。劉明殿ご自身も、これ以上の争いを望まず、自ら匈奴の単于の義弟となり、延漢と匈奴の和睦を支える懸け橋になりたい、と仰っております。……そこで、我が主の周越陛下より、李荘陛下へ一つのご提案がございます」
周越からの提案と聞いて、李荘は興味深そうに尋ねた。
「ほう、周越陛下からの提案、とな?」
酈陽は貫禄のある笑みを浮かべて言葉を紡いだ。
「はい。このたび、匈奴と貴国延漢との和睦に際して、李荘陛下が劉明さまを延漢の光禄大夫に任命なさり、さらに匈奴の朱那郁単于を兄として劉明さまを弟とする義兄弟の契りを結ばせるよう、ご提案くださいませ。その際には是非とも匈奴の要人たちを呼ぶのみならず、靺鞨の長たる可汗や外交責任者もお呼びになり、李荘陛下の発案として匈奴と靺鞨の間の不可侵条約締結もご提案なさると良いでしょう。これが周越陛下のご意向でございます」
光禄大夫とは名誉職であり、実権が無い役職である。つまり建前上は劉明に高い地位を与えて、それでいながら実権が無いから謀反を起こすこともなければ謀反を起こそうと疑われる可能性もない。劉明を匈奴と延漢の和睦のために一定の地位を与えながら、劉明が謀反を起こそうとしていると疑われる余地をなくする提案だった。
酈陽のこの発言を聞いた丞相の司馬徴や軍功第一の軍師である荀慶さらには軍功第二位の軍師である蔡単は激しく動揺した。
そして李荘もまた驚き、思わず身を乗り出した。
「待たれよ酈陽どの。実際に和平のためにこの素晴らしい構想を組み立てたのは南魏ではないか。それを、すべて余の発案ということにして余の業績であるかのように喧伝してしまっては、南魏王の面目が立たぬ。我が国がその手柄を独り占めにするわけにはいかん」
これに対して酈陽は、誠実な笑みを浮かべながら首を振った。
「滅相もございません。我が周越陛下は、領土の拡大も、天下に名声を轟かせることも、初めから一切望んでおいでではないのです。何より、南魏が劉一族を一時的にせよ囲い込んだことで、延漢や青燕に対して、天下統一の野心があるのかと無用な疑いをかけさせてしまったことを申し訳なく思っております。周越陛下は、その誤解を解き、陛下との変わらぬ友誼を示すことこそを、何よりも望んでおられるのです。どうか、遠慮なく李荘陛下のご英断となさってくださいませ」
周越の徹底した無私無欲と配慮。その器の大きさに、李荘はしばらく呆然としたあと、深く息を吐き、心からの敬意を込めて笑った。
「……南魏王の器の大きさには、いつもながら敬服せざるを得ない。分かった。天下の平穏のため、表向きは余からの提案として匈奴や靺鞨に諮ることにしよう。……だが、酈陽どの」
李荘は声を一段と潜め、酈陽の目を真っ直ぐに見つめた。
「公式の場である外交では余の手柄とするが……余は今から周越陛下に宛ててお礼の手紙をしたためる。延漢王李荘、南魏王の尊き御心と友誼に、深く、深く感謝いたします、とな。その手紙を秘密裏に周越陛下へ伝えておいていただきたい」
酈陽は目元を和ませ、李荘に対して一礼した。
かくして、二人の王の信頼が、使者や手紙を通して完璧に結ばれることになった。
延漢王李荘は、絹製の白い巻物を部下に用意させ、酈陽に託すべく南魏王周越に宛てた手紙を書いた。その文面に曰く――
南魏王周越陛下
この度、劉明さまとその一族を無傷で我がもとへ遠く届けてくださった高誼、深く感謝いたします。
陛下は我が国への非礼を案じ、この和平の栄誉をすべて余の業績とせよとおっしゃったとのこと。その無私無欲なる御心と、海よりも深きご配慮に、余はただただ感服するばかりでございます。
公式の場においては、陛下の尊き志を汲み、余の発案として匈奴との和睦を進めます。しかし、余の胸中にある周越陛下への尽きぬ敬意は、外交上の如何なる建前をもってしても隠せるものではありません。
この延漢王李荘、周越陛下の高潔なる友誼に、生涯をかけて感謝いたします。我らが両国の絆が、大空を往く鳥の如く、永遠に健やかで平穏なる未来へ羽ばたくことを、心より願っております。
この手紙を受け取った酈陽は李荘に深々と頭を下げ、
「このありがたい手紙を必ず周越陛下にお届けします」
と確約した。その後南魏に帰国して王都武漢に到達した酈陽から件の手紙を受け取った周越は大いに感激し「延漢王李荘陛下の御心に、南魏王周越大いに感謝いたす。我ら両国の友好関係が永続することをともに願おう」との手紙をしたため、使者を通して李荘に渡され、その手紙を読んだ李荘は大いに感激した。
今回はここまでです。次回の投稿が何カ月後になるかは未定です。高評価と感想を下されば幸いです。




