第34話 霧の中にあるもの
——巣山、三日目の早朝
まだ暗い、静寂の時間帯。
半分開いたテントで眠るリゼアノートの肌から、温もりが去った。
「おい、何してる」
「いたっ!いたいいたい!離してぇー!」
「んっ……?」
私は声に反応して目を覚ました。
ぼんやりとした目だがすぐに身を起こし、座り姿勢のままテントから出る。
するとテントのすぐ外で、ギィロがキノちゃんの腕を持ち、引っぱり上げていた。
「キノちゃん?!ねぇ痛がってるよ!離してあげて!」
「いつ入り込んだ?」
ギィロは腕を離さず険しい顔で言う。
「やーめーてー!」
抵抗もできないキノちゃんは顔を歪めている。
「ギィロ!」
「……チッ、わかったよ」
ギィロは一瞬だけ睨むようにキノちゃんを見て、手を離した。
解放されるとキノちゃんはすぐにしがみついてきた。
「え~んリゼぇ〜……」
「はいはいよしよし」
キノちゃんが落ち着くまでしばらく腕の中で撫でた。
ギィロは黙ってそれを見ている。
「ギィロ、乱暴にすることないでしょ?」
優しく抱き、撫でながら言う。
「ここに居るのが悪いだろ」
ギィロは真下を指さす。
私は胸に埋もれるキノちゃんの頭を見る。
「そうだとしても」
確かにいつの間に入ってきたのかはわからなかった。
でも小さな女の子を力でねじ伏せるような真似だけは反対だった。
ギィロを睨みつける。
「わかったわかった、悪かったよ」
ギィロは心のこもってない感じで、反抗することをやめたという仕草をする。
不満の残る態度ではあったけど、私はそれ以上突っ込むようなことはしなかった。
「でも驚いた、どうして居るの?」
優しく聞いてみると、キノちゃんは顔を上げて言う。
「リゼとギィロみたいに一緒に寝たら、仲良くなれると思って……」
「一緒になんて寝てないけど?」
私は目を瞬いた。
するとキノちゃんは自信のある目で答える。
「うそ、川の前の村で見たよ、ぴったりくっついて寝てた」
「あ……」
あまり思い出したくない朝が思い出された。
キノちゃんは楽しそうに続ける。
「私と同じでギィロもリゼが好きなんでしょ?羨ましかったの」
「なにを……」
ギィロの眉がひくりと動く。
キノちゃんが指を折りながら思い出すようにする。
「だってね、リゼの顔を覗いてて……」
ギィロの腕がキノちゃんに向けて少し伸びたが、キノちゃんは私の腕の中という安全圏にいる。
ギィロは腕を引っ込める他なかった。
「腕回してから布団かけてあげてた」
視線をゆっくりギィロへ向け、私の目はじわじわ薄くなっていく。
「……ギィロ?何もしてないんじゃなかったっけ?」
低い声が出た。
「……いや別に、特に何もしてはいないだろ……」
ギィロは視線を逸らす。
「だめなの?でもリゼの方からくっついてたよ?」
うっ……
無邪気の刃が私にも突き刺さる。
「リゼはすごく幸せそうな顔だったよ。リゼもギィロのことが好きなんだって思った」
「ちがっ……喜んでたのはギィロの方でしょ……」
慌てて否定した。
キノちゃんは私たちを見比べて首を傾げる。
「今も、二人とも仲良しの香りがする」
「そんなこと……!」
「どんなだよ……!」
声が重なり視線を交わすが、すぐに逸らした。
「……私のことも、好きになってほしい」
少しだけしょんぼりした顔になる。
一瞬の沈黙と、落ち着かせるような深呼吸がふたつ。
「龍を呼んでくれれば、好きになるかもな」
ギィロは話題から逃げるように腕を組む。
「またそれぇ?やだよっ!」
即座に首を振って胸に顔を隠す。
「これ食べてくれるなら」
キノちゃんは胸に顔を埋めながら、片目だけでギィロを見て、腕を突きだした。
返り実が乗っている。
「なら無理そうだ」
ギィロはあっさり言った。
「私はキノちゃんが好きだよお?」
「えへへ」
私は味方を増やし、ギィロだけが引きつった険しい顔だ。
「それより、俺が寝れないんだが?」
「じゃあ一緒に寝る?」
「寝ない」
キノちゃんがぱっと顔を上げるが、ギィロは間髪入れず断った。
「えー、ギィロにも好きになってほしいのに」
キノちゃんは言葉に大きな抑揚をつけて言った。
「じゃああっちで一緒に見張りしてようか?」
私はキノちゃんの肩を持ち、少し離して言った。
「うん!」
「お、や、す、み、ギィロ」
手を取り外へと向かう去り際、
私は言葉を空間に残した。
「あ、うん……はぁ……」
ギィロは頭を掻き、ため息をついた。
・
——屋外——
リゼアノートは、希少な毛で編まれた薄くても暖かいブランケットで、自分とキノを包みこんで座る。
キノは自分だけの特別な要塞に満足して喜んだ。
後ろから伸びてくるリゼアノートの腕をつかみ、揺れる炎を眺めて小さく歌う。
私は訂正しなければならないと考えていた。
「キノちゃん、ほんとに村で覗いてたの?」
「うん」
「あれはなんでもないからね?寝ぼけてただけなの」
「恥ずかしいの?そんな匂いする」
キノちゃんが背中を預けてくる。
私はその言葉に少し驚く。
「うん、ちょっと……私の失敗だったし……」
「んー?じゃあギィロを責めちゃダメなんだよ?」
「え……?あー……うん、そうかも、ごめんなさい」
キノちゃんの言葉に目を開き、気付かされる。
冷静に考えると人のせいにして、自分に甘かったと思った。
「ギィロに謝るんだよ?」
「う〜ん……はい」
誤魔化すように苦笑いをした。
それより気になることがあった。
「ねえ?もしかして匂いで気持ちがわかるの?」
「うんなんとなく」
「え、じゃあギィロが……」
言いかけて、聞きたいと聞きたくないがぶつかって言葉を詰まらせた。
キノちゃんの顔にはハテナが浮かんでいる。
「ううん、なんでもない。そういえばニナちゃんは見つかったの?」
「あーえっと……リゼと寝ようと思って戻ってきちゃった。まだ探しに行ってない」
私は一度目を大きく開いたが、小さく首を傾げて問いへと変えた。
「見つけられそう?」
「うん、たぶん大丈夫だよ」
キノちゃんはぱっと立ち上がり、ブランケットから飛び出た。
「いまから行ってくるね」
「えっ?今から?暗いよ?」
「平気だよ」
全く問題なさげに言うキノちゃんのことが、本当に山の子なんだと思わせる。
「じゃあ、待ってるね」
キノちゃんは夜の闇の中、山へと軽い足取りで消えていった。
リゼアノートは見張りの役割など忘れて、じっと炎を見つめていた。
・
早朝、起こしに行くまでもなくギィロはひとりでに起きてきた。
「おはよう」
「うん」
簡素な挨拶を交わす。
「あいつは?」
キノちゃんの所在を聞かれ、ニナちゃんを探しに行ったことを報告した。
するとため息をつかれた。
キノちゃんからは謝れと言われたのに、面と向かって相手の態度を見ると、簡単なことではなかった。
ギィロはそのままキョロキョロしながら砦の外へ出ていった。
顔を洗いに行ったか何かだと思った。
戻ってきたら予定を話すついでに軽くでいいから謝ろう。そう改めて決意したが、なかなか戻ってこない。
様子を伺いに柵のない門から顔を覗かせると、ギィロは落とし穴の跡を掘り返していた。
「何してるの?」
「穴を掘ってる」
「見ればわかるけど……」
砦の入り口から少し離れたところに、小さな堀のような形で掘られている。
覗いてみると大人がすっぽり入るくらいの深さだ。
穴だけで致命的な罠ではない。
「あの子が落ちたらどうするの?」
「そのために掘ってる。かかれば龍を呼ぶかもしれない」
ギィロは視線を地面から外さずに、悪びれることもなく、何の相談もなしに、協力してくれてるキノちゃんを罠にはめるということを平然と言った。
腹が立った。
「ニナちゃんを探しに行ってくれてるのにひどくない?どうして信じれないの?」
「本気で言ってるのかよ、自分が何してるのか分かってるのか」
ギィロは妙に周囲を気にしながら話している。
「は?わかってるよ、ギィロを手伝いに来てるんでしょ」「そうじゃなくて……付きまとわれて危ないのは俺じゃない、リゼの方なんだぞ?」
「危なくなんてないんですけど!」
穴を掘って守ってやってるとでも言いたいのか、私はそれ以上聞きたくなくてその場を離れた。
「どこに行く?!」
「水っ!」
全然うまくいかなかった。
ドカドカと音が鳴りそうな足取りで水場へと向かう。
水場に用などなかったが、とにかく離れたかった。
絶対に協力した方が良い。
そう確信しているのに、どうして仲良くできないのか、どうしてこんなにも考え方が違うのか。
分かってもらえない悔しさに下唇を噛む。
用のない水場で、冷たい水に手をつける。
いくらギィロが自分勝手であっても、ギィロのキノちゃんに対する態度は異常だ。自分とは対応が真逆すぎる。
直接的な攻撃はしていないものの、そのうちやりかねない。そんな気すらしてくる。
こんなことではまともに探索などやっていけるわけがない。そう感じていた。
「リゼぇ〜!」
キノちゃんの声がした。
声の方向へ目を凝らすと、手を振っているキノちゃんがいた。
「みぃつけーたよー!」
キノちゃんは「行こう」と手招きをする。
今まさに目の前で笑顔をくれているこの子が"悪い存在"とは思えないし思いたくもなかった。
私は見返してやるつもりで、ひとりでキノちゃんについていくことにした。
・
倒れた木の橋を渡り、平らな岩がごろついていてあまり通りたくない道を行く。
崩れて苔に覆われた祠。
その横で岩の上に不自然に乗る岩。
岩の表面には薄く土が乗り、多肉植物が根を張り巡らせ紫の花を咲かせている。
こんな時と場所じゃなければ綺麗だと思いそうで、人の手が入っていたことを感じさせる。
「近寄れなかったんだけど、たぶん合ってると思う」
キノちゃんは足元を見ながら、岩から岩へぴょこぴょこと飛び移る。
「近寄れなかった?」
「大人が二人うろちょろして守ってたの。元々群れだったりすると一緒に居るから、群れだと思うよ」
「大人が二人?ニナちゃんの両親かな……群れっていうか家族かも。随子を除ける時みたいに出来ないの?」
「人のかたちをしてるやつは難しいの。あの人たちはできない、仲良しすぎるよ」
「仲良し……そっか、きっと娘を守ってるんだね……」
もし襲ってこられても、私が勝手に斬り捨てるなんてできなさそうだ。
「家族だと仲良し?」
「うん、そうだね」
「私も家族になりたいなあ……」
キノちゃんは寂しそうな顔をした。
三股の木を境に岩場を抜けると、草木の生い茂る斜面に出た。
霧が高い場所から溢れるように流れている不思議な場所だ。
「ギィロ居ないけどいいの?」
「うんいいの。私たちでニナちゃんを確認して見返してやろう?見つければきっとギィロも喜ぶよ」
「好きになってくれるかも?」
「そうだね」
冷たい態度をとるギィロのことを怖がることもなく、仲良くなろうとするひたむきさはどこから来るのだろうか。とか考えた。
・
歩みは霧の内側へと向かった。
すぐに周囲は、雲のなかにいるかのような濃い霧に変わる。
このあたりは常に濃いと話すキノちゃんの、警戒などしていないような足取りを追う。
「あそこ」
キノちゃんは足を止め声を落とし、霧に見え隠れする地表に出た大きな樹の根を指した。
ここからはキノちゃんを連れていては危険だと判断し、私はキノちゃんに霧の外で待つよう指示した。
キノちゃんは「うん」と、来た方向へ戻っていく。
私は霧の一部になったつもりで、ゆっくりと、一歩ずつ慎重に歩を進めた。
だんだんと、地をうねる様に這う根がはっきりと見えてくる。
すると根が岩を掴むように張った樹の下に、居た。
うなだれるような格好で片腕が根に繋がれ、地上から半身のみが"生えている"灰色の髪の少女。
ギィロから聞いていた特徴と一致する。
間違いなかったが、聞くのと見るのとでは違う。
その異様な姿に、思わず口を抑えて動揺する。
恐る恐る近寄ると、少女はギリギリ私を視認できるくらいの角度までゆっくりと顔を上げた。
「ニナちゃん……?」
「……ぁ……きて」
ゆっくりと口を開いたニナちゃんは一言だけつぶやく。
周囲を確認し、腕を伸ばしてもまだ少し届かないくらいの距離まで近寄った。
するとさらにゆっくりと顔を上げ、人が通常行うような速度ではない遅さで首を傾げる。
軋んだ扉ならギギギと音が鳴りそうな動きだ。
「ニナちゃんだよね……?」
「……いい匂いが、する」
ニナちゃんはキノちゃんと同じことを言った。
それは、目の前の存在が人ではなく随子であるということを明確に示しているようで、胸が締め付けられた。
「ギィロの妹のニナちゃんでしょう?」
気を取り直してもう一度聞く。
「……ニナ、おにいちゃん……」
すると片方の手を、久しぶりに動かしたのだろうか、やはりぎこちなく伸ばし、掴もうとする動きを見せた。
「そう、ギィロと一緒にあなたを探していたの」
「食べる……?」
伸ばされた手が握られ、開かれると、掌には返り実が乗っていた。
そっと受け取る。
「山のことがわかるって聞いたよ」
問いに反応はない。
ニナちゃんは返り実をじっと見つめて答えない。
私は注意を集めてしまっている返り実を背中に隠した。
するとニナちゃんは手で地面を掻きはじめる。
こっちに来ようとしている?
その様子を見たらいたたまれない気持ちになり、近寄って手を取った。
が、ニナちゃんはすぐに大口を開けた。
私は手を引っ込めざるを得なかった。
ほんの一刻ニナちゃんを見つめて思う。
話にならない。
ギィロは「妹は話せる」と言っていた。
他の人型の随子とは違うと。
でも目の前のニナちゃんは"話せる"の範疇に入れていいとは思えない反応だった。
食べられるところだった。
話せないのは自分の体質、匂いが問題なのだろう。
ギィロを連れてこないといけない。
私は、見つけるという目的は果たしたと思い、立ち上がって一歩下がった。
「あー、た、食べたい」
片腕と首を目いっぱい伸ばしてくる。
「行かないで……」
さらに一歩下がり、ニナちゃんがそう言った直後の二歩目だった。
——さびしい——
同じ声が前と後ろから重なり響く。
人の気配がした途端、さっきまで自分の居た場所に短い刃物が突き刺さる。だが気配はこれではない。
霧の中に影がいる。
咄嗟に後方に飛び退くと地面が斬り裂かれた。
男性の随子が、地面に突き刺さる剣を手に、顔だけを私に向けている。
ブラウンの髪に動きやすそうな装備。
刀身が紺色の剣。
ラジールさんだと思われた。
私はこれ以上留まっても良いことはないと判断し、急いで霧の中から去った。
「キノちゃん!行くよっ!」
離れたところで待機していたキノちゃんと合流し、素早くその場から離れ、帰路についた。
「居たでしょ?」
「うん居た。でもギィロを連れてこないとダメそう」
きっと喜ぶと、はしゃいで歌うキノちゃんを横目に歩き、思い出す。
斬り掛かってきたラジールさんとギィロが出会ったらどうなってしまうのかと、私の心は不安に支配された。
「ギィロもあの子に会いたいんだよね?」
私の心の内など無関係に明るく聞かれる。
「ギィロにとっては妹だからね、"家族"だよ」
群れではないことを教えないといけないと思って、家族という部分を強調した。
でも群れと家族の違いは何だろうかとか思ってしまって、言葉は続かず解釈を任せる形になった。
「ふーん、好きってこと?」
「うん、好きってこと」
それだ、と思って同意した。
「いいなあ……」
キノは誰にも聞こえないくらい、小さくぽつりとこぼした。




