第32話 随子
——巣山初日
「龍を呼べ」
「仲良くしてくれなきゃ、やだ」
花の少女はムスッとし、スススっと私に近寄るとその温かい手で私の手を取る。
「リゼぇ、怖い」
わざとらしくも、敵意のない顔でそう言われると思わず守ってやりたくなる。
けど私は握られた手を、冷静に反対の手で優しく離した。
「呼んでくれると助かるんだけど?」
膝に手を置き目線を低く、子どもに言う時のように優しく声をかけた。
「食べてくれたら考えるけどねっ!」
差し伸べられた小さな手には返り実が握られている。
「でもやだよ!あははっ!」
花の少女はくるりと背を向け、崖に作られた歩道を駆けて行く。
「まて!」
ギィロが声をかけると、花の少女は両腕をふらふらと、ふざけて挑発するような仕草をし、薄い霧の中を身軽に走り去って行った。
ギィロはため息をつき、追うように歩を進めた。
・
崖に作られた歩道を登り、なだらかな山道にでる。
砦までの山道はところどころ欠けた木の板が張られている。
板の道を外れれば、踏み固められていない短い草が生い茂り、そのすき間を枯れた葉が覆っている。
足を踏み入れれば湿った音が立った。
風が通ると枝葉が擦れ、どこからか水の落ちる音が耳に入る。
湿った土の匂いがする。
巣山の歴史は深い。
寂しい祠や崩れた石段、よく分からない像などが、時折木々の間に顔を出す。
人が出入りしていた頃の名残なのだろうが、今ではどれも半ば土や苔、這う枝に埋もれている。
山は低いが隆起した岩壁は視界を遮り、山を半ば迷路のように変える。
木々はまばらではあるが、奥ほど幹が重なり視界を遮るし、霧があれば遠くまでは見通せない。
ギィロは立ち止まり山の中腹を指さす。
木々の隙間から石造りの砦が見えた。
私たちが砦を目指し進み始めると、山道はすぐに荒れ始めた。
木々の間から、岩壁の上から、足元から、歩を進めるたびに巣山のケモノ、"随子"が姿を表し襲いかかってくる。
次々と随子たちを木片へと変えていくが、いくら倒そうとも気配は消えない。
「全然おとなしくないんだけど?!」
「なんでだよっ!リゼお前、また変な匂いのやつ付けてるんじゃないのか?!」
「はあ?!何にも付けてないし付けてなくてもいい匂いなんですけど!」
随子は襲ってこないと聞いていたのに話が違った。
それに狙われているのは私ばかりだ。
随子はあまりにも多かった。
着実に歩みを進めながら、立て続けの戦闘がいつまで続くのかと気が滅入ってきた頃、森が少し開けた。
苔に覆われた石壁が現れる。
崩れた塔、半ば倒れた柵。
砦の跡だった。
狭い入り口に門はもう残っていない。
石の壁だけが口を開けている。
ウマを乗り付けることを考えていない人間用の砦に見える。
「疲れた……」
数時間、警戒し剣を振りながら進んでいたから自然と言葉が漏れた。
砦につくやいなや座り込み、荷をおろした。
「冗談じゃないぞ……」
ギィロも同様だ。
"ケモノの巣山"と呼ばれるほど多くのケモノが跋扈する場所で、遭遇するすべてのケモノを相手にする予定などなかった。
先行きが思いやられる。
私たちは一息ついたあと重い腰を上げ、手分けして砦の周囲と中を一周し状態を確かめた。
「ケモノは巣食っていないし、塔以外は問題ない」
「水も流れがあったよ」
塔がなくとも小高い場所に作られた砦は見晴らしが良く、水もあれば湯まで沸いている。
なぜここに砦が建てられたか、容易に理解できた。
時折開拓者が訪れはするため、内部にはキャンプ跡が見られる。
未使用の薪もあれば、落とし穴を埋めた跡もあった。
私たちは罠はかけず、交代で見張ることにした。
ギィロが先で私が後だ。
テントを砦の屋内に設置し外に焚き火が起こされる頃には、空はすっかり暗くなっていた。
炎に手をかざすと石壁に揺れる影を映す。
「明日からまたぁ……?」
今日は無事だったが、明日もまた随子の相手をし続けると思うと嫌になる。
「想定外すぎるんだよ……おいちょっと嗅がせろ」
「だからその変態みたいなのやめてよバカ」
ギィロは木の枝を火にくべ、私と同時にため息をついた。
「龍はどこにいるかわからないけど、ニナの方向はだいたいわかる、ニナさえ見つければ何とかなると思う」
「そうだといいけど……」
ギィロは無計画に山を殺すと言ったわけではない。
ギィロの妹であるニナちゃんは、他の人型の随子と違い話せるらしく、かつてギィロが巣山に入った時、ニナちゃんは山の心臓の方向を示したという。
心臓とは植物系のケモノに現れる弱点だ。
昔のギィロでは見つけられなかったが、ニナちゃんが山を破壊するための道標となる。
私は膝を抱えたまま焚き火に枯れ枝を差し込む。
炎が揺れ、火の粉がふわりと夜へ浮かんだ。
「あの子はなんなんだろうね?」
かすかに花の香りが鼻をかすめ、思い出したように口を開いた。
「わからないな、龍を呼べることだけは事実だ」
炎がぱちりと弾ける。
「とにかく龍と妹を見つける」
「うん、わかった」
「うん、わかった」
すぐそばで同じ調子の声がした。
反射的に腰を浮かせ、手は自然に剣の柄へ伸びた。
声のした方へ視線を泳がせる。
いつのまにか、花の少女が炎を覗き込むようにして膝を抱え、楽しそうに見ていた。
花の少女は気にする様子もなく、ゆらゆらと体を揺らしている。
頭の花は閉じていた。
息を吐き、座っているのがあの子だと認識すると、柄にかざした手を離した。
楽しそうな笑顔からは危害を加えてくる様子は感じられず、私はゆっくり元の場所に座り直した。
「……いつからいたの?」
「ちょっと前だよ」
焚き火の明かりが頬を照らす。
いつ入ってきて、いつそこへ座ったのか、普通こんなに近くにいて気づかないわけないのに。
ギィロは警戒したまま立っていた。
「リゼが来てくれて嬉しい。ギィロも」
顔をつき出しにこりと笑うと可愛らしさを感じる。
「あなたは誰なの?どうしてここにいるの?」
「誰だろう?わかんない。仲良くしてほしいだけ、だよ。リゼ好きぃ」
スリスリと近寄り、そのまま腕に頬をこすりつけるようにして手を取ってくる。
小さく温かい手だ。
私は困った笑顔を返した。
「ギィロもなんだか安心する香りがして好き」
「名前は?」
ギィロは投げかけられた言葉を無視し、枝にかけた手を離さず少女に向かって言う。
「ないよ、つけてくれたら嬉しいよ?」
花の少女はぱちぱちと瞬きをして、少し身を乗り出す。
「いや……」
「えー」
不満そうに唇を尖らせる。
その様子にギィロは目を細め、私はただ観察していた。
「なんで龍と妹を探してるの?」
裏などない、明るくて純真さを感じる声音で問われる。
「教えるな」
口を開きかけた私を制止するようにギィロが言うと花の少女はぴょこんと立ち上がる。
「むっ、私、詳しいよ?探してあげられるかも」
「自分たちでできる。お前には龍を呼んでほしい」
「仲良くしてくれたら、ね?」
少女の伸ばした手には、どこから取り出したのか返り実が握られていた。
「無理だ」
「じゃあ……やーだよー」
悪戯な笑顔で「んふふ」と駆け、砦の入り口まで移動する。
「まて!」
「隠れるの、得意だよ?」
少女は壁の陰に体を隠し、顔だけ出してくすっと笑い姿を消した。
花の少女は存在感が極めて薄い。
場に溶け込み隠れるのが得意な盗賊の技能に似ているが、それを遥かに凌駕しており、視界から消えると本当に見つけられなくなる。
しばらくしても戻ってこなかった。たぶん……
「見られてるつもりで行動するぞ」
砦の外を見渡したギィロは、目のあたりを一度もんでから戻った。
「なんかかわいい子だよね?」
ギィロを目で追いながら言う。
「どこがだ……」
ギィロは信じられないという顔で短く答え、どかっと座った。
「でも幽霊ってことないよね……?」
ふと思い、少し身体が緊張した。
「アンデッドは気配が濃いって聞いたことがある」
アンデッドのつもりで言った訳ではなかったけど、濃いという少女の様子とは真逆の答えに肩の力を緩める。
「やっぱり、穴掘るか……?」
夜の闇に火の粉が舞う。
少女がまだ近くにいるのかどうかはわからなかった。
リゼアノートはテントで眠り、ギィロは火の傍らに腰を下ろす。
しばらくしてギィロは壁の上によじ登り山を見渡した。
周囲は夜の闇と夜の香り、風と水の音が支配している。
山のすべてが二人を監視しているようだった。




