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幸せの愛言葉を探して  作者: あかり
革命編
62/77

彼が死んだ日 (第三者視点)


「………」

 

 誰も居なくなったその部屋で、ジルベルトは背もたれに深く背中を凭れさせ一つ息をついた。

 ふと横を見れば、火の燈った蝋燭と、その奥に見えるガラスの窓。外の暗さと中の光が相まって、窓に男の顔が浮かび上がった。


 自分はこんな顔をしていたかと、不意に思う。

 

 こんなに疲れ切って空っぽな、年齢にそぐわない老いた表情だったかと。


 

 ゆらりゆらり。

 揺れる蝋燭の火を見つめる己と窓越しに顔を見合せる。

 

 ジルベルトはその明かりに導かれるように、いつの間にか、遠い昔に思いを馳せていた―――。




✿  ✿  ✿




 十年前のあの日、芽衣子とパトリシアと共に城の外へと逃がしたあの日から数日後、ジルベルトは兄に呼び出されていた。


 誰よりも苦手意識の強い第一王子からの呼び出し。


 部屋に入ってすぐに、厭らしい笑みを浮かべた兄を見つけた。

 仕来りに従って、兄の前に片膝を付いて頭を下げる。

 呼び出される理由がまったく思いつかないまま頭を下げていた彼だったが、すぐに理解することになった。


 しかも、最悪な形で。


「メイ、といったな。あの女」

「!」

 兄の不意に発したその名前に、表情の見えない弟の肩が強張ったようだった。

「可哀想に。パトリシアを押し付けられ、お前に懐かれたが故に迎えた哀しき末路、か。これがなにかわかるか?」


 そう言って第一王子が何かをジルベルトの傍へ投げ寄越した。それは、一房の長い髪と小さな鉛容器。明るい茶色に少しウェーブかかったその髪に、ジルは見覚えがあった。


「こ、これは」

 息を詰めたのは、その一房にこびり付く、血の色を見つけたから。


 顔を白くさせるジルベルトを見て、第一王子は薄暗い笑みを深める。


 彼はこの美しい弟の顔が歪むのを見るのが昔から好きだった。

 王族でありながら、人々の心を引き付けることのできる気品に満ちた美しい顔を持つ者は限られており、それは他の王族達の嫉妬心を煽った。


 第二王子のヨハンに、第五王子のジル。そして、赤ん坊の第三王女のパトリシアも、その素質は十二分にあった。

 けれどヨハンはすでに神殿に守られていたし、何より彼の母が先代王の姪。おいそれと手を出すことはできない。


 だが、一番下の兄妹は違う。

 母の身分の低さから、彼らは他の兄弟達の恰好の獲物だったのだ。


「皆までいう事もないだろう。見たままだ」

 ジルベルトはただ愕然と目の前にある物を見つめていた。震える手を叱咤して、容器をあける。


 その中に入っていたのは、腐敗前の臓器のようなもの。掌に収まるであろう小振りなそれは、入れ物の中に無造作に置かれているだけで、すでに色は少しずつ変色を始めていた。


「まぁ、心配するな。お前の妹は生かしておいてある。王女にしてあの器量。殺すにはあまりに惜しい娘だからな。………とはいえ、メイという女に用はない。素性の知れぬ女一人ぐらい、幾らでも代えは利くだろう」


 ジルベルトは、目を見開いたまま何も言葉に出来ずに、ただ髪と容器を手に握りしめその肩を震わしていた。


「なぁ、ジルベルト」


 そんな弟を見下ろして、醜いガマガエルを思い起こさせる気持ちの悪い笑みを浮かべた第一王子は言い放った。 

「お前、この城にお前の居場所があったとでも思ってたか?護衛達が、お前の命を聞くとでも本当に思っていたのか?………この混乱時に、娘と赤子を城の外で放りだした浅はかさが招いた悲劇だ。精々馬鹿な自分を恨むことだな」


 ジルベルトは愕然とした。


 この男は、ただ自分を痛めつけ絶望に濡れた顔を見たいがためだけに、関係のない二人の人間を巻き込んだのだ。


 昔から、彼は他の兄妹の嫉妬と八つ当たりの的だったから。

 父であるはずの王は、美しい母にしか興味はなく、息子である自分にはまったく興味を示すことなかった。だからこそ、妹のパトリシアも、ただ息をするだけの生き物として、まともな乳母すら与えられずあの部屋に居た。


 彼らは兄妹揃って、見放された存在であった。

 

 芽衣子という人物が、やってくるまでは。



 だというのに、自分の絶望した顔が見たいというだけで行ってきた愚業を、この目の前の男は意味もなく繰り返している。

 今回のこれも、その延長線でしかない。


 今は、そんな事をしている場合ではないというのに。


 椅子に反り返って座る兄王子には、この革命の嵐が見えてはいないのだ。


 女一人殺してどうなるのか。

 妹である王女一人誘拐した所でどうなるというのか。今、劣勢を強いられているのは城側であるという事も、彼らにはわからないのか。


 民が牙を向いたこの国に、王族など必要ない。

 そして王さえも。


 それがわからないというのか。


 これが、この国の王族が愚者だと囁かれる謂れだった。目先の事、私利私欲に忠実で、考えることをしない。少し考えれば分かることなのに、それすらも放棄した馬鹿な一族。


 何時まで経っても顔を上げない弟に飽きたのか、言いたい事だけ言って弟の反応を楽しんだ兄は、最後にジルベルトの目の前に唾を吐き捨て、笑い声と共に去って行った。隠しきれない身体の震えを眺めただけでも、少しは気持ちが晴れたのだろう。


 残されたジルは絶望に顔を引き攣られ、床に這いつくばった。

 息がうまく吸い込めず、まるで地上に引き上げられた魚のように見っともなく口をはくはくとさせる。心臓が何者かに容赦なく握り潰されているかのように痛い。

 

 いっその事、殺してくれと、縋りたくなるほどの苦しさだった。

 この痛みが果たして肉体からくるものなのか、精神からくるものなのか、そんな事は、今はもうどうでもいい。



 己の中に、あの兄らと同じ血が流れているという事実が悍ましい。それ以上に、こんな事に芽衣子と妹を巻き込んでしまった愚かな自分が憎らしく、そんな一族を王に据えた国に怒りを覚えた。




 残された髪と心の臓を胸に抱き、若干十一歳の少年は奈落の底へと突き落され咽び泣いた。







メイコを間一髪に所で助けたアリシアに脅されたあの護衛は途方に暮れつつも城に戻りました。そこで第一王子の側近に事情を説明したところ、王子が計画失敗を知って発狂するのを恐れた彼らは、色々偽造工作をした、というわけです。


でも、第一王子は馬鹿なので詳しいところまでは考えてません。ただジルベルトを苛めたかっただけなのでした。


なんていう裏話。


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