貴方に伝えたい事がある
「えーと、」
「………何も言わずに、付き合ってはくれないか」
「う、うん」
目の前に立つジルに促されるがままに、私は彼に示された一つの椅子に座ることにした。
何やらとても高そうな質感なので、恐る恐る腰は浅めに腰かける。目の前に居るジルは、少し困ったように私を見つめ、すぐに背を向けると本棚を物色し始めた。
静かな部屋に、ジルが出したり入れたりする本の音だけが響く。
なに、この状況。
現在所在地は城の一室。見る限り小さな書庫といった所だろう。
窓と扉を除くすべての壁に所狭しと並べられた本棚と、その中にこれでもかというほど押し詰められた本達。
部屋の真ん中に備え付けられている革で出来た立派な一人掛けの椅子が二つ向き合うように並んでいて、その間には小さなコーヒーテーブル。
ちなみに部屋の外から鍵を掛けられているので、ここから出ることは出来ない。
何故こんな事になったかといえば。
実は私もあまりよくわかっていなかったりする。
偶々廊下を歩いていたら、前から歩いてきたセリムにジルを見かけたかと声を掛けられた。見かけていないと答えれば、彼を探しているが中々見つからないと溜息をつかれてしまい、もし見つければ連絡すると答えれば、目が潰れるようなキラキラした笑みを見せつけられた。
ならば話は早い手伝ってくれてありがとう、なんて言葉と共にジルが居そうな場所を幾つか教えられて、暇だった私はその場所を渡り歩くことにした。一緒に居たブライアンは、またしても突然現れたエメに連行され、結局一人で探し羽目になり、そうしてこの部屋を通り過ぎようとした刹那、部屋から飛び出て来た腕に引きずり込まれたのである。
驚いてみれば、口を開けたり閉じたりするジルが居て。
丁度いいのでセリムが探していると声を掛けようと近づいた途端、背後で部屋の扉が閉まってしまい、ついでに何故か鍵がかかってしまったようで外に出られなくなり。
困ったと扉の前で右往左往している私とはっとした顔のジル。
状況が瞬時に理解したであろう彼に促され、今に至るわけである。
うん、回想してみてもさっぱりわけがわからない。
とりあえず、王様であるジルがのんびりしているので、そこまで危機が迫っているわけではないらしい。
エメから解放されたブライアンもすぐ気が付いてくれるだろうし、それまで大人しく待つことにしよう。
ジルの左右に動く背中を見つめるのも飽きたので、目の前のテーブルに積み重ねられた薄目の本を手にとり、パラパラと捲ってみる。
本を読むのは正直苦手だ。
村での生活において、とにかく話すことと聞く事に重点を置いて学んだ結果、書く読むに対してかなり苦手意識を持ってしまったっていうのもある。
仕事でも、数字を使う事が多かったのし、相手はまだ小さい子供達だったので、そんなに難しい文章と接することもなかった。
だけど。
あ、これ無理。
薄い本をとったはずなのに、中に並んだ文字の羅列の威圧感が半端なかった。
黙って閉じて本を戻す。
「………言葉が、うまくなったな」
「あ、え?」
意識を本と文字に持っていかれていたため、ジルの言葉にすぐには反応できなかった。本をテーブルに戻すために腕を伸ばしたままの体勢で、顔だけを上げる。
すると、本棚に背を向け私を見つめる彼と目があった。あれ、本を探していたにしては何も手に持ってないみたいだけど。
「うん、まぁね。十年もあれば、上手になるよ」
初代言語教師に褒められた。はにかんだまま腕を引っ込め椅子に座り直す。
「十年、か」
ジルの言葉が途切れ、ただひたすらに私を見つめてくる。
その力強い視線に、まるで催眠術を掛けられたかのように身体が絡めとられた。動きたくても動けない。
気まずくて堪らないのに、視線を逸らせない。
無意識の内に息を止めていた。
まるで、ここ初めて来た時のように緊張に呼吸を忘れてしまった。
「っ!」
すぐに脳が酸素を必要としたので、窒息死は免れたけれど、思わず喉を抑えて咳き込む。
驚いたジルが慌てたように駆け寄ってきて、背中を摩ってくれる。
触れた場所がとても熱いと脳裏に信号が届いたと同時に、堪らず零れた言葉があった。
「会いたかったよ」
すぐ隣に立つジルを見上げれば、意表を突かれたような顔で何も言わずに瞬きを繰り返す彼が居て、摩ってくれていた手は動きを止めていた。
「十年間、あなたのことを、忘れたことなんてなかった」
「………すまなかったっっ!」
確かにあった少しの無言の間の後、椅子の隣に立ち私を見下ろした状態のジルの引き結ばれた口元から、絞り出した声で謝罪の言葉が聞こえてくる。それと同時に彼は床に膝立ちの状態で崩れ落ちた。
感情を押し殺そうとして失敗してしまったそれは、悲痛な叫びにも似ている。
「十年もの間お前達を見つけられず。お、俺は、お前を殺そうとした。俺は、お前が分からなかったんだ。あれだけ、あれだけっ」
背中を摩ってくれていた彼の手はすでになく、膝の上にある私の手を強く握ってくる彼の両手が見えた。胸が締め付けられるような悲鳴のような言葉と同調するように、その手は震えている。
「お、れは。………俺は、どうやってお前に償えばいいっ!」
泣いているのではないかと思うほど取り乱したジルは、私の手を包み込んだままの自分の拳に己の額を押し付けるように、上半身を私の膝に預けてきた。
身体の震えを隠す様なそれはまるで、息子が母に許しを請うような姿にさえ見えた。
「十年ぶりの再会だったもの。あなたは私を死んだ者と考えていたから、分からないのもしょうがない。………それに、名乗り出なかった私が悪いの」
私の手は拘束されて動かすことができないため、首を振った。
「だが、俺は見誤った。言い訳はしない。あと一歩の所で、お前を永遠に失う所だったんだ」
「それだけ、あなたが私やパトリシアの事を想ってくれてたってことでしょう?私は無事だし、誤解も解けた。終わりよければすべてよし、っていうじゃない」
「そんなに簡単に許してくれるなっ。それでは、俺が、どうすればいいかわからなくなるっ」
大人の余裕を見せれば、何故か逆に責められた。
ちょっと理不尽じゃないかな。
一度、小さくだけど喉を鳴らして背筋を伸ばす。気分はさながらこれから授業を行う心理学の教授のよう。
心から愛した人に裏切られ、心に傷を負ったまままったく違う世界に飛ばされ、死にもの狂いで一人娘を育てあげた、見た目は大人中身はもっと大人、な私を見くびらないでもらおう。
そんなに懐の小さな女ではないのだよ。
「所詮物事なんて結果論でしかないのよ。確かに、私はジルの思い込みだけで牢に繋がれ、処刑されかけた。確かに、あなたはとんでもないことをしでかしたわ。だけど、自分が芽衣子であることを言いださなかった私にも非がある。………あなたは、私が言わなかったことを許せない?」
「そんなこと!」
急に質問に切り替えた私の言葉に、ジルは慌てて否定の言葉を差し出す。
不意に上げた顔と目が合った。
「それと同じ。私がいいって言ってるんだから、それを受け止めてほしいよ。じゃあ、これからもあなたはあの時の事を思い詰めて生きていくの?あなたが自分を許せないから、私もあなたを許しちゃいけないの?」
それはとても疲れることだし、その連鎖を、一体どこで止めればいい。
「………あの時こうしてれば、ああしてれば、っていいだしたらキリがないでしょう。ぶつかって、後悔して、赦し合って。そういう積み重ねが、人生ってやつじゃない。それを止めてしまったら、何が残るの?」
私の事を甘い人間だと責める人もいるだろう。ジルを酷い奴だと罵る人もいるだろう。自分の婚約破棄を経て、もう結婚はしないと誓った私が何を言うのかと疑問に思う人もいるかもしれない。
でも、人は、前に進むしか生きる方法はないのだ。




