【第15話】
食事の後、未由は桜台の駅まで谷脇に送ってもらった。
家まで送ると言われたが、駅に自転車を置いていると言って、降ろしてもらった。
その夜、彼女はまったく眠れなかった。
出窓のカーテンを開けて、ベッドの中から月明かりの夜空を眺めていた。
辰彦をはねた犯人が見つかるかも知れないと言う希望と、それが敦かも知れないという絶望に挟まれた未由の思考は、もはやパンク寸前だった。
翌日、彼女は長谷部に付き合ってもらい、谷脇に聞いた塗装工場へと出かけた。
「未由、学校はいいのか?」
「今日は風邪で休むって連絡したわ」
2人は長谷部のバイクで塗装工場に来ていた。
環七沿いを走って、十条の辺りで路地を入った所に、その工場はあった。
車両専用の塗装工場らしく、国産から外車まで色々な車が敷地に並んでいた。おそらくそれらは作業待ちの車両なのだろう。
「おおっ、フェラーリじゃん」
長谷部が敷地の片隅を見て言った。
その間にも、未由は事務所に向かってズンズン歩いて行った。
「すみません。ちょっとお伺いしたい事があって来たんですけど」
受付のカウンターには女性がいた。
「なんでしょうか?」
意外に愛想が良かったので、気負っていた未由は少しだけ拍子抜けした。
「あの、谷脇秀隆さんに聞いてきたんですけど、お知り合いの方っています?」
受付の女性は少々怪訝な表情で、後ろのオフィスを見渡した。
「工場長じゃねぇの」
奥にいた誰かが言った。
「少々お待ちください」
そう言って、受付の女性が、事務所の裏を回って工場に行ったのが見えた。
未由は後で突っ立っているだけの長谷部に視線を向けると、彼は無言で肩をすくめた。
「私に用事と言う方は……」
痩せっぽちでやたらと低姿勢の男が後から声を掛けて来た。
彼は作業場から外を回って来たのだ。
「あのう、谷脇さんの車の色を塗り替えたとか」
「ああ、そうですよ。ここでやりました」
その男は作業服の胸のポケットから名刺を取り出すと
「あなたも全塗装をご希望ですか?」
そう言って、腰を低くしながら名刺を差し出すと「私、斉藤といいます」
渡された名刺には斉藤聡史と記されていた。
「あ、いえ、あの……」
未由がどう話を切り出すか戸惑っていると
「ええ、どんな感じで仕上げるのか気になって見に来たんです」
長谷部が割り込んで言った。
未由は思わず、助かった。と言うように、ただ笑顔を作った。
斉藤は敷地に置いてある、塗装が仕上がったばかりの車を見せてくれた。
「あの…… 谷脇さんの車は最初白だったんですよね」
「ああ、そうだよ。元がどんな色でも大丈夫ですよ」
斉藤は綺麗なパールの入った白い車を指差して
「あれは、黒いのを白く塗り替えたんです」
「あのう、修理とかもするんですか?」
未由は様子を伺いながら訊いた。
「修理は板金ていどならウチでやりますけど、本格的な修理は系列の修理工場へ回します。と言っても、通りを一本越えた直ぐそこなんですけどね」
斉藤はそう言って笑った。
「谷脇さんの車も修理しました?」
「えっ?谷脇の車は塗装だけでしたね」
斉藤はそう言った後
「ただ、フロントの部品が一部新しかったから、アレは前向きに何処かへ刺さったのかも知れませんね……あ、これ谷脇には内緒だよ」
「谷脇さんは知らないんですか?」
「バンパーを擦られて修理したって言われたらしいけど、そんなレベルじゃないね。ラジエーターとかも真新しかったし」
「ラジエーター……ですか?」
「車のフロント部分に入っている、エンジンの冷却装置だよ」
長谷部が言った。
「あの車自体古くはなかったから、パッと見は目立たないけどね。僕らには目につくよ。ああ、これフロントやっちゃってるって」
斉藤はひと通り敷地をあるいて自然に事務所へ足を向けていた。
未由と長谷部もついて歩きながら話をしていたので、気が付くと事務所の前まで来ていた。
「ずいぶん、谷脇の車を気にするんだね」
「あ、俺の車が谷脇さんのと同じで……」
横長谷部が言った。
「谷脇さんの車の修理って、何処でやったか判ります?」
長谷部が続けて「俺のもあちこち直したくて」
「アイツのは、前のオーナーが修理したんだろうからね。キミのはウチの工場で見てあげるよ」
「あ、じゃぁ今度おじゃまします。今日はバイクなので」
長谷部がそういいながら頭をかいた。
夕日は完全に落ちて、明るい夜空に環七の街路灯が浮び上っていた。
連なる赤いテールランプに溶け込むように、長谷部の大型スクーターは二人を乗せて走っていた。
決定的な情報は得られなかった。
ただ、谷脇に車を譲った敦が、車を大きく破損させる何かをしたことは確かだ。
ただの自存事故かもしれないし、普通の衝突事故かもしれない。それが辰彦をひき逃げしたと言う証しにはならないのだ。
「ねぇ、何処かで夕飯食べていかない?」
信号待ちで停車した時、未由は長谷部にヘルメットをくっ付けて言った。