表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/30

30

 朝から降り続いていた雨が止み、午後になって日が差し始めた頃。ヨーリック城の執務室にいたフォルカーは待ちわびていた報せを受け取った。


 ――無事タジェスに着いた。何も問題はない。


 簡潔な言葉でまとめられた文章を眺めていたフォルカーの口から、小さな一言が吐き出される。


「……そうか」


 予想通りとはいえ、それでもじわりと胸の奥から滲み出て来る安堵と寂寥感に彼は一瞬だけ瞳を閉じた。

 正直今でもまだ、日々眠る時間すら惜しいほどの忙しさが続いている。だが、そんな中でも無視できないほどに、伝えられたその情報は重要なものだった。

 公的な立場としては勿論、フォルカー一個人としても。


 あの夜、十一王子ヴィクトルの擁立を狙ったマクファーレン侯爵の企てた内乱が、フォルカーと城内の騎士たちによって制圧されてから半月が経過していた。

 侯爵が起こした事態もその規模もあまりにも大きなものだったので、取り調べですら終わる目処が立っていない。

 それでも、すでに捕らえられているマクファーレン侯と彼に賛同した貴族の門閥、そして彼らの麾下にあった兵たちはその罪状に応じた罰を受けることになるだろうが。

 けれどもそれらを下すのは、一通りの事情を確認してからの話だ。

 そしてそれ以外にもフォルカーには無視できない仕事が山と控えていた。


「……………………………………………」


 ちらりと視線を横に向けると、そこには彼の決済を待つ書類が山積みとなっている。

 改めてその光景を目にしたとたんに、どっと疲労が押し寄せて来た。

 思わず深い息を吐くフォルカーに、声をかけてきたのはエドガーだ。


「ロウェンは何だって?」


 その問いに、フォルカーは一枚の紙を彼に手渡しながら言う。


「そこにある通りだ。何も問題はないと」


 万が一他の人間の目に触れても支障のないよう、余計なことは一切書かなかったのだろう。

 ロウェンのその配慮はよく分かるし、そして同時に、これだけで充分伝わるとも彼は判断したのだ。

 それなりに親しい付き合いなので、それくらいは分かる。

 だが、微かな苦さを覚えてしまうのはどうしようもなかったが。


(問題ない、か)


 実際、その言葉通りなのだろう。

 あの友人は、一度決めたことはやり通す。

 そしてあの男が、自身の命の恩人である相手を一人放っておくわけがないのだ。

 彼が彼女の傍にいる上で問題ないと言うのであれば、疑う余地などない。


「良かった、といえば良かったな」


 エドガーが呆れと安心の入り交じったような声音で呟く。

 フォルカーが視線を向けると、彼は何とも複雑そうな表情を面に浮かべていた。


「どういう意味だ?」

「だって、おまえも安心しただろ」


 それが何を意味しての言葉なのか、自分も彼も口には出さない。

 人払いをし、ここにいるのは二人だけとはいえ、どこで第三者の耳に入るかも分からないのだ。

 決して、知られるわけにはいかない。

 ――彼女が、生きていることは。


 半月前に起こった内乱はさほどの被害もなく鎮静されたが、さすがにその事実は隠し通せるものではない。

 曖昧にしてはむしろ余計な不安を招くと、王城より正式に公表された。

 この騒動に国内外から注目が集まったのは当然のことだが、それと共に公表された一件はある意味でそれ以上に国民を動揺させた。


 それは、新たな王妃と目されていた当代『聖女』の死亡である。


 あの日は突然の侵入者たちと前触れも無く崩壊を始めた塔による混乱とで、ヨーリック城内はほとんど恐慌状態だった。

 あれほどの騒動の最中だ、城内で『聖女』の動向を知る者は非常に限られていたから、彼女が事故に巻き込まれて亡くなったと主張しても否定できる材料はないだろう。


 それに、代々死去した『聖女』がどのように処理されていたのは王城でも一部の者しか知らない極秘事項であるがゆえ、彼女の遺体が人目に触れなくてもおかしなことではない。

 ゆえに、かなり強引ではあるが、フォルカーはそう主張することを決めた。


 彼女が――キリが今後自分たちに協力する気がないことは知っているし、そうかと言って『聖女』の身柄が王城にないと知られれば反感を抱く者たちが出て来るのは確実だ。


 キリのことだ、自らの正体を公にすることはないだろう。

 それに、どう考えても、彼女がかつての『紅の聖女』のような報復をするとも思えない。

 こちらから余計な働きかけを行わない限り、何も手出しはしない筈だ。


(虎の尾を踏んで兄上の二の舞を演じるようなことになれば、それこそ目も当てられないしな)


 そう内心で呟きながらフォルカーが遠いタジェスへと思いを馳せていると、エドガーの声がした。


「それで、おまえはいいのか」


 しんと静かなそれが、二人きりの執務室に響く。

 フォルカーが無言で見返すと、見透かすような灰色の瞳とぶつかった。

 わずかに言葉に詰まったが、フォルカーは何もないように答えを返す。


「……いいも何も」


 自分には、そんな資格は最初からなかったのだから。


 そう、心の中で独白する。


 召喚といえば聞こえはいいが、呼び出された異世界人は所詮人身御供だ。

 その事実を理解しつつもこの国のためにひと一人の人生を犠牲にしようとした王族に、そしてそれを後悔していない己には思うことすら許されない。

 フォルカーはもう二度と見えることも叶わないかもしれない少女のことを思い浮かべた。

 ロウェンの前では、自分には決して見せたことのない顔をしていた彼女の姿を。











 そうして、ロウェンからの連絡がフォルカーの元へと届いたまさにその日。


 真奈は一人、冷たい風が吹き抜ける遺跡の中で佇んでいた。

 寒々しい青灰色の空を見上げていると、強風にあおられた長い黒髪が空へと舞い上がる。真奈はとっさに腕を上げ、さらわれそうになった己の髪を押さえた。


(北方の冬は早いって聞いてたけど)


 それでも、自分が初めてこの地を踏んでからさほど時間は経っていないというのに驚きだ。

 しかし真奈の感想に関わらず、実際にこの冷え切った空気はまざまざと訪れつつある冬の気配を告げている。


「できれば雪が降る前にって思ったんだけど、さすがに無理か」

「当たり前だろう。こっちの冬を甘くみるな」


 独り言ちると、後ろから低く落ち着いた声がした。

 静かな靴音とともに歩み寄って来る気配に、真奈は半身を返して振り向く。


「ロウェン」


 呼び掛けた声は決して大きくはなかったというのに、自分と彼以外に人の気配のないこの場所ではそれはとても明瞭に響いた。


「何で、私がここにいるって分かったのよ?」


 出掛けるとは言っておいても、その行き先は告げなかった筈だが。

 真奈が疑問を口にすると、ロウェンは己の腰に提げた剣に軽く手を当てて答えた。


「これが反応してたからな。何となく方向くらいは分かった」

「……は?」


 言葉を失う真奈にロウェンは何てことも無いように言葉を続ける。


「というかおまえも、その腕輪で分かるんじゃないのか」

「はあっ!?」


 いきなりの爆弾発言に、真奈は勢いよく自らの手首に視線を落とした。


(どういうことよ!?)


 声に出さず驚愕していると、ロウェンは種明かし――というにはあんまりな事実を話してきた。


「この間古い時代の覚書を読んでいて発見したんだが、どうやらその腕輪とこの剣は作り手が同じせいか、元々引き合う性質があるらしい」

「何なのよ、それはっ!」


 確かに、最近のロウェンが随分昔の古書やら手記などに目を通していることは聞いていたが。

 だが、そんなのは寝耳に水もいいところである。


 真奈は複雑な表情で手首につけている腕輪を見た。

 魔法陣を破壊したあの日、真奈は確かにこれが真実自身の物となったことを自覚した。

 同時にキニスによる余計な仕掛けも全部綺麗に壊したから、今はこれを身につけていることに特に苛立ちはないものの――。


「作った人が同じって……」


 そろそろと真奈が尋ねると、ロウェンが何かを思い出すように言った。


「先日おまえが入って調べてた蔵。あそこに絵があっただろ、うちの先祖の」


 銀髪の女性の絵姿を思い浮かべながら、真奈は黙って頷く。


「歴代当主の日記や書簡を調べてたら、彼女について書かれた記載があってな。関連してその腕輪についても色々と書かれてた。それで、改めて絵を眺めてたら気がついた」


 目敏い男に、真奈は零れそうになった溜め息をどうにか堪える。


「その腕輪、絵にあったのと同じだよな」

「……そう、みたいね。何がどうなってそんな絵を残したのかは不思議だけど」


 真奈の素直な疑問に、ロウェンは複雑そうに言う。


「どうやら、初代の『聖女』から受け取ったらしいな。元の世界に還る直前に渡されたらしい。形身のつもりだったのか」


 多分、それもあっただろう。

 けれど、おそらくはそれ以外の理由もあったのではないかと、真奈は思う。

 それくらい、この腕輪は重要な物だったのだ。下手な相手には渡せないほどに。

 呆れと感嘆まじりに、真奈は内心で独白する。


(まさかこの腕輪に、エルアイオンの魔術書の情報が全て残されてただなんてね)


 本当に、灯台下暗しもいいところだ。


 幾重にも術が上書きされていたために完全に覆い隠されていたが、しかしこれは単なる結果だ。

 ただ、とてつもなく皮肉だとも思うが。


 元々この腕輪は『聖女』の力を補助するためのものだった。しかし数多の人間の作為によって、徐々に本来の役割とは異なる『聖女』を縛り操る為の鎖と変化させられていったのだ。


 けれども自分の場合は幸運にも、名前によって結ばれていた契約そのものが無効になるというイレギュラーが生じた。

 そうして完全にその枷から解放されたがゆえに、腕輪の正しい在り方に気づけたとも言える。

 まあ、召喚を行った者にとってはこんな展開は思いもしなかっただろうが。


 とはいえ、帰還の術式が判明しても、それだけではまだ不十分なのだけれども。


 密かにそんなことを考えていると、ロウェンが聞いて来た。


「それで、おまえはこれからどうするんだ? 探しものは見つかったみたいだが」


 完全な不意打ちに、真奈は硬直する。


(……え)


 そんな真奈に、ロウェンは呆れたように言った。


「それくらい、おまえの様子を見てたら分かる。還る目処が立ったんだろ? ただ、すぐにそうしないのは――、まだ後何か必要なものがあるからってところか?」


 確信したように言い切られ、真奈は観念した。


「そういうこと。王城にある魔法陣は壊したけど、ここの遺跡はまだどうにか使えるし。ただ、修復しないと無理だけど」

「けど、どれくらいかかるんだ? さすがに一日や二日では終わらないだろ」


 それでなくとも山における冬の訪れは早いからすぐに雪で埋まるぞ、とロウェンは続ける。


「…………………………………………」


 その発言を受けて真奈は無言になった。そろりと視線を横に逸らす仕草は、完全に気まずそうな子供のそれだ。

 そして、ロウェンはその沈黙が答えだと察したらしい。


「……じゃあ、決定だな」

「は?」

「おまえの滞在。その顔だと春までなんて生易しい話じゃないんだろ。一体何ヶ月かかるかは知らんが、無事に帰れるまではここにいろ」

「はあっ!? 何言ってるの! んな迷惑な真似できるわけないでしょうが!」


 それでなくとも最近ではすでに客などをとおりこして居候と化しつつあるというのに。


 だが、真奈がいくらぎゃあぎゃあと噛みつこうとも、ロウェンはどこ吹く風だ。

 それから延々、真奈は彼と話し合いという名の攻防を続けたが、生憎決着はつかなかった。


 そうこうしているうちに、真奈は結局いつものようにロウェンにレーヴァの館へと連れ戻された。

 そしてその後は、ここしばらくずっと滞在させてもらっている客室まで送り届けられる。


 部屋から出て行くロウェンの背中を見送ると、真奈は深い溜息をついて椅子の上に座り込んだ。


「あーっ、もう!」


 両手で頭を抱え込み、真奈はふてくされる。

 元の世界に帰りたいのはそうだけれど、それは間違いないけれど――。


 それでも真奈は、自分の中の感情を否定できなかった。


(だって――)


 だって、この場所は居心地がいいのだ。


 三年間、ずっと付き纏うようにあった冷たい寂しさなど感じられないくらいに。


 そうして暖かく静かな部屋にいるうちに、外の寒さで冷え切った体も温まってきたようだ。


 ゆるゆると滲み出て来た穏やかな疲労感に、真奈は目の前にある机の上に、ことりと頬を預ける。


(でもまあ、これくらいなら、いいのかな)


 ……少しだけ。後、もう少しだけだから――。


 胸の奥でそう呟き、真奈はふと重くなってきた瞼を閉じた。











 まどろみの向こうで、不意に何かの気配を感じた。

 目を開けようとしたが、眠りに沈んだ体は重くて、なかなか思うように動かない。

 こつり、こつりと足音が近づいて、頭の上にふわりと誰かの手がのせられた。


「――マナ?」


 囁くように呼びかけられた名に、真奈は微かな笑みを浮かべた。



ここで、お話は一区切りとなります。

続きというか後日談については考え中なのですが、もし書けたら番外編のような形であげるかもしれません。

読んでくださった方がちょっとでもお楽しみいただけたなら幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ