第2話 それもう好きと一緒だよ
その女の子は3階の介護士で、ときどき患者を連れて1階の放射線科へ下りてきていた。
彼女の存在を知ったのは、俺が病院で働き始めた1999年9月。
第一印象は、学生時代の友人(男)にどことなく似てるな。それくらいだった。
制服の名札には「西野」と書いてあった。
1999年12月。
病院全体の忘年会。
円卓テーブルの一席に、一人の女の子がいた。
黒髪のショートヘアと真っ白なセーターのコントラストに、思わず目が止まった。
西野さんだった。
仕事のときとは違う雰囲気と、どこか儚げな美しさが強く印象に残った。
それ以来、彼女が放射線科に来るたびに、あのときの子だと思い、自然と目で追うようになっていた。
ただ、会話らしい会話をしたことはなかった。
2000年秋。
高木さんには亜衣ちゃんという彼女がいた。
亜衣ちゃんは同じ系列の病院の介護士で、高木さんと付き合う前から俺も何度か一緒に遊んだことがあった。
真っ直ぐな性格の亜衣ちゃんと、それを優しく受け止める高木さんはお似合いだと思っていた。
高木さんと亜衣ちゃんは、いつもひとりでご飯を食べている俺を気にかけてくれて、たまに夕食に招いてくれた。
その日も高木さん、亜衣ちゃん、俺の三人でご飯を食べていた。
「佐伯くんは好きな人いないの?」
亜衣ちゃんが突然聞いてきた。
「えっ……、好きな人はいないけど、気になる子はいるよ」
「えっ、誰!誰!誰!」
亜衣ちゃんは身を乗り出して聞いてきた。
「うん……。3階にいる西野さんっていう介護士さんだよ」
濁しても無駄だと思い、素直に答えた。
「えーっ!あの子、私と小中高同じで一個下だよ。そっかー、西野さんねー」
亜衣ちゃんは何故か嬉しそうに笑った。
亜衣ちゃんは俺と同い年。つまり西野さんは、俺の一個下だとわかった。
「まあ、話したこともないし。気になってるだけだよ」
「いやいや、話したこともないのに気になるって、それもう好きと一緒だよ」
亜衣ちゃんは笑った。
……まあ、確かに。
亜衣ちゃんに言われるまで、気がついていなかった。
一度そう思うと、西野さんの存在は一気に大きくなっていった。
今日は見かけた、見かけなかった。
そんなことばかりを考えていた。
気がつくと、彼女に会えるかどうかだけを楽しみに仕事をしていた。
でも、いざ彼女が放射線科に来ても、結局何もできずにいた。
そんな俺を見かねたのか、亜衣ちゃんがある日こう言った。
「私も西野さんの電話番号は知らないけど、知り合いを通して佐伯くんに教えていいか聞くことはできるよ」
少し悩んだが、その気持ちだけ受け取ることにした。
人を頼るのは、正直あまり好きではない。
それよりも——
「電話番号は教えたくない」
その一言で終わってしまうことが怖かった。
何も行動しないまま終わるのだけは、避けたかった。
西野さんに何か行動を起こす前に、自分にできることを考えた。
俺が住んでいたところは、田舎なのでほとんどの人の移動手段は車だった。
当時、一人暮らししていたマンションから職場もスーパーも近くにあったので、車の必要性を感じていなかった。
もしデートに誘えたとして、22歳の社会人が自転車で迎えに行くわけにはいかない。
そう思い、車を買うことにした。
後日、中古の黒いカローラレビンが納車された。
正直、車種にこだわりはなかった。
そこそこの値段で、見た目も悪くない。
それで十分だった。
これで、いつでもデートに行ける。
まだ問題はあった。
以前、飲み会で親しくなった内藤さんは3階の看護師で、西野さんの携帯はドコモだと教えてくれた。
俺はcdmaOneだった。当時は携帯会社が違うと、メールできないこともあった。
俺はcdmaOneを解約し、新たにドコモと契約した。
電話番号は変わってしまったが、いつでも連絡先を交換できる準備だけは整った。
あとは、西野さんに声をかけるだけだった。
仕事中に声をかけて、連絡先を聞く。
それだけのことが、できなかった。
西野さんに会えるのは、患者を放射線科に連れてくるときだけだった。
歩ける患者なら、来てもすぐに病棟へ戻ってしまう。
ストレッチャーで来る場合は、二人体制なので声をかける隙はなかった。
この年の病院の忘年会で彼女と話すきっかけを探したが、結局声をかけられなかった。
忘年会のラーメン早食い競争で、放射線科の先輩たちの予想をあざ笑うように優勝した。
俺の勇姿は西野さんに届いたのだろうか。
「佐伯くん、かっこいい!」
おどけてスタン・ハンセンのポーズをしながら席に戻る俺に、内藤さんがさり気なく言ってくれたのもありがたかった。
何も進展がないまま2001年を迎え、1月の終わりが近づいていた。
やっぱり、亜衣ちゃんに頼むしかないのか——
そう思い始めていた。
チャンスは不意に訪れた。
その日、病棟の人手が足りなかったのか、西野さんがストレッチャーの患者を一人で放射線科まで迎えに来た。
俺は、突然のチャンスに喜んだ。
――いや、戸惑った。
自分から女性に何かをしたことがない男が、スマートに動けるはずもなかった。
ここで声をかけなければ、二度目はない。
そう思った瞬間、声より先に体が動いていた。
西野さんが一人でストレッチャーを動かそうとしたとき、俺は反対側に回り込んだ。
「手伝いますよ」
そう言って、ストレッチャーの手すりを握った。
彼女と向かい合い、暗い廊下を進んだ。
それだけで胸が高鳴った。
でも、エレベーターが近づくにつれて、それどころではなくなっていた。
エレベーターに乗り込むと、扉がゆっくりと閉まった。
ストレッチャーの患者は眠っていた。
ここまで来たら、もう連絡先を交換するしかない。
そう思った瞬間、気がついた。
彼女にかける言葉を、何ひとつ考えていなかった。
思わず口をついて出たのは――
「今度、映画観に行かない?」
本当は、まず連絡先を交換して、それから映画に誘うつもりだった。
それなのに、順番をすっ飛ばしてしまった。
エレベーターは、ゆっくりと3階へ向けて動いていた。




