19話
癒しを!
ベッドに身体を預けたままでアルヴィスはゆっくりと深呼吸をした。何度かそれを繰り返して、上半身を起こす。先ほどよりも気怠さが消えているのがわかった。両手を後ろ手で突いて身体を支えながらアルヴィスはアルティウムの言葉を思い出す。
「浸食している、と言っていたな」
何を侵食しているのだろうか。そのまま受け入れるのであればアルヴィスを、と考えるのが自然だ。それとも今現在のウェーバー公国に起きていることを示しているのか。
ルベリア王国内に於いては瘴気の発生源が増えたという報告は現時点では来ていない。以前、王都近郊に近衛隊と遠征に向かった時、突如として瘴気が発生したことはある。同じようにベルフィアス公爵領でも変質した魔物と遭遇した。楽観的に構えてはいられないのかもしれない。逸る気持ちはあるが、今のアルヴィスに何ができるのかと冷静に頭が訴えてくる。
国王の立場では王城を気軽に空けるわけにもいかない。何より今はエリナが不在でもある。ならば今は黙って待つべき時。そう考えたアルヴィスは頭を切り替えた。いずれにしても、その時はいずれやってくる。彼と対峙する時が。どれだけ望むまいとしてもだ。時が来た時に後悔しないように準備をする。それが今のアルヴィスがやるべきことだと。
「とはいえ今日は流石に手を出すことはやめておくか」
特師医から安静を言い渡されている身だ。執務をしようものなら、エドワルド辺りに何を言われるかわからない。しかしただ寝ているだけでは暇を持て余すだけでもある。ならばと、アルヴィスは軽く腕を回しながらベッドから降り、身支度を始めた。執務をする時のような堅苦しい服装ではなく、以前の王太子時代に纏っていた軽装だ。
着替えてから私室を出ると、そこにいたエドワルドとディンが慌てたように駆けつけてくる。
「陛下」
「アルヴィス様、いかがされましたか?」
「別に仕事をしようってわけじゃないから、そんな顔をするなエド」
「今日は安静にと言われた当人が顔を出せば誰だって焦りますよ」
その手にはいつくかの資料を抱えている。それを置かずして駆けつけてきたことが、何よりもエドワルドの焦りを物語っていた。ディンは顔色こそ変えていないものの、その早い動きが焦っている証拠だ。
「後宮に顔を出して来ようと思っただけだ」
「王子殿下のところでしょうか?」
「あぁ」
何かしているようならば遠目から顔を見るだけでも十分だ。エリナが不在中に出来るだけ顔を見せようとは思っているが、本当に顔見世だけになってしまっているのが実情だった。
「ではお供いたします」
「わかった。エドは留守を頼む」
「承知しました」
アルヴィスが執務を休んでいても、誰も執務室に出入りしてこないわけではない。何かしら連絡が来るとも限らないからだ。エドワルドならばその辺りも上手く回してくれるだろう。よほどの急を要することがない限り、呼びに来ることもない。
日中に顔をみせたアルヴィスに対し、後宮にいたナリスやイースラからは何かあったのかと心配されてしまった。伝えるつもりはなかったが、ディンが体調不良で休みを言い渡されたのだと素直に答えてしまったので、より一層心配させてしまうことになったのだが。
「王子殿下はあちらです、アルヴィス様」
「……」
今日は中庭にいるわけではなく、サロンで遊んでいる幼き子たちが見えた。リングと一緒にいるルトヴィスの姿は見慣れたものだ。まだ座ることができないので、這うようにして何かを手に持っているのがわかる。
「体つきもしっかりしてきましたし、寝返りを打つこともできるようになりました。あちこち動きまわってはリング様と楽しそうに声をあげていらっしゃいます」
「そうか」
傍にはミントが控えている。アルヴィスはあまり近くには寄らずにいようと思ったが、先にミントが気づいてしまい、仕方なく三人がいるソファーまで近づいた。
「お疲れ様でございます、陛下」
「義姉上も、いつもありがとうございます」
「いえ、可愛らしい子たちと共にいられるのであれば私もとても嬉しいですから」
ミントと挨拶を交わすと、声に気づいたのかリングとルトヴィスもこちらを見た。既に歩くことが出来るリングはゆっくりとアルヴィスの足元まで歩いてくる。
「へいか」
「⁉」
「おちゃま」
舌ったらずの声でも、ちゃんとアルヴィスには届いた。きっとミントの真似をしたのだろう。言いたいことは伝わる。アルヴィスは目元を和らげてリングの頭にポンと手を乗せた。
「元気そうだな、リング」
「あい」
名を呼ばれたからか、元気よく返事をするリング。ルトヴィスよりも年上ではあるものの、まだはっきりと名を呼ばれたことも会話をしたこともなかった。練習でもしていたのだろうか。そう思っていると、ルトヴィスにも動きがあった。
「あー……あう」
「ルト?」
一生懸命に両手と膝を使って、アルヴィスの下へ向かおうとしているらしい。思わずアルヴィスが立ち上がると、ミントから制止が入った。
「義姉上?」
「陛下、今は黙って待っていてあげてください」
這っていると言った方が正しいだろう。まだうまく使うことはできない。前に進んでいるようではあるけれど、それは酷く遅い。それでも待ってあげて欲しいとミントに言われてしまえば、アルヴィスは従う他なかった。だが上手く進めず、次第にルトヴィスは大きな声を上げて泣き始めてしまう。
「陛下、もう大丈夫ですよ。抱きしめてあげてください」
「あ、あぁ」
ほとんど進んでいないけれども、泣き出してしまったルトヴィスの傍まで近づき、アルヴィスは両手をその脇に入れて抱き上げた。
「ルト」
「うわぁぁぁん」
「わかった……わかったから」
声ではなくそのマナで知らせてくれる。ルトヴィスはただついていきたかった。リングと同じようにしたかったのだろう。いままで遊んでくれていたのに、傍にいたのに動いたから真似をしたかった。どうしてそうしたかったのかなど、赤ん坊であるルトヴィスにはわからない。そうして次にはアルヴィスに対しての非難の声にそれが変わってしまった。
「ごめん、ルト」
「うっ……すん」
顔をアルヴィスの胸に押し付けて、服をぎゅっと握りしめる。もうリングの真似をしたことなど消え去っていた。顔を見ても、傍に近寄ることは少ない。こうして抱きしめてしまえば、離れがたくなってしまうから。きっとそれはルトヴィスも同じだろう。エリナが傍にいない所為で、声には出さずとも寂しいと感じることはあるはずだから。
「ると」
「あぁ、大丈夫だ。ありがとう、リング」
我が子を片腕で抱きながら、頼もしい甥にもアルヴィスは手を伸ばした。




