閑話 己のすべきこと
「エリナ様、少しお休みになられますか? ハーバラ様がお戻りになられるまでまだ時間もございます」
「いいえ、大丈夫よ……ただ少し混乱しているだけだから」
レンティアースのところから滞在している部屋へと戻ったエリナは、ソファーへと深く腰かけると己の身体を抱きしめるようにして両腕を回す。身体が震えているのはきっと気のせいではない。レンティアースから与えられた事実は、想像していた以上のものだった。
『瘴気の完全なる浄化はどれだけのマナがあろうとも困難と言わざるを得ません。だからこそ必要となるのが彼ら、異質なる魂を持つ少女か女神の血族たる贖いの呪いをかけられた者たち。いずれにしても、かつての女神にできなかったことをその代わりに担うことを運命づけられた存在という点は同じ。女神が目的を果たすための贄、それが彼らの本質です』
神となった者が世界に干渉することはできない。それが理だという。けれどルシオラは女神でありながらも世界に干渉し続ける。瘴気を浄化するために。だが干渉し続けるためにはその媒介となる存在が必要となる。その存在というのがリリアンであり、アルヴィスであるとレンティアースは告げてきた。
『役割を果たしたら、アルヴィス様はどうなるのですか?』
『それは私にもわかりません。ただ貴方には伝えておきます。瘴気の浄化、世界の人々の為、そんな言葉に着飾られてはいますが、ルシオラがやりたいことはただの自己満足に過ぎません。私たちがやりきれなかった尻拭いを子孫にさせているだけです』
私たち、そう告げたレンティアースがどこか悲し気に微笑んでいて、エリナはそれ以上を尋ねることはできなかった。否、今はこれ以上の情報を与えられても困惑することしかできないと言う方が正しいだろう。テルミナとレンティアース、この二人から与えられた情報をきちんと頭の中で整理しなければならない。それなのに、身体の震えが止まらなかった。
「エリナ様、失礼いたします」
「フィラリータ?」
震えるエリナの身体をフィラリータが毛布で覆いながら、更に背中から抱きしめてくる。驚きの行動にエリナは顔だけで振り返り、フィラリータを見た。
「大丈夫です。こう言っては不快かもしれませんが、あの方はいつだって涼しい顔で何でもやってのけるんですよ。こっちがやきもきするだけ無駄です。どんな難題だってあの方に解決できないことなんてありません」
優しい顔をしたフィラリータ。懐かしいものを思い出すような表情は、かつて学園時代で過ごしたことを思い返しているのだろう。フィラリータとアルヴィスは同級生だった。同じ学び舎で過ごし、順位を争った間柄だ。そして同じ幹部学生でもあった。エリナとは違う関係性を築いていたフィラリータから出る言葉たち。いつだってフィラリータはアルヴィスに対して好意的な言動はしてこなかったけれど、今は違った。
「王太子となっても国王となっても、あの方の本質は変わらないはずです。その役目を放棄したりはしませんし、自分だけで済むならとその身体を犠牲にすることもあるかもしれません。贄と言われても、きっと動揺したりはしないでしょう」
「……そうかもしれないわね」
むしろ王族自体も似たようなものだと考えていそうだ。アルヴィスにとっては重要なのはそこではないとエリナも思う。レンティアースが話した内容だって既に知っている可能性の方が高いのだから。
「それでも変わりました。あの方も」
「え?」
「あの方を変えたのはエリナ様です。エリナ様が悲しむようなこと、あの方はしません。だから大丈夫です。軽々と役目なんて終わらせて、飄々とした顔で戻ってきますよ。学生時代からそういう人でしたから。こちらの期待を裏切ったことなんて一度……いえ、私からしてみれば何度もありましたけど、それでもまぁ大体はなかったはずです」
フィラリータが元気づけようとしてくれているのが痛いほどわかった。それでもどこかでアルヴィスに対する扱いが残ってしまうのか、彼を褒めたたえ続けることは難しいらしい。悪態を吐くのが当たり前、それがフィラリータだ。言葉にはしないけれど、フィラリータもアルヴィスに惹かれていたのだろうとエリナは確信している。今はそんな感情はなくとも、過去にはそういうこともあったのだろうと。
「……ふふふ」
「申し訳ありません。ついその……」
「いいのよ。ありがとう、フィラリータ」
いつの間にか震えは治まっていた。フィラリータの腕を解き、エリナは立ち上がる。窓際まで歩くと、そこから海の向こうへと視線を向けた。このずっと先にルベリア王国がある。アルヴィスがいる。
「テルミナ様にレンティアース様は仰ったわ。ルシオラ様を手にかけられるかと。レンティアース様は世界を浄化させたいと考えているルシオラ様を否定はなさらないけれど、浄化ができなくとも浄化ができたとしても、きっともうこんなことは終わりにしたいと考えているのでしょうね」
「それはつまりどういうことでしょうか?」
「まだわからないけれど、だからこそグレイズ皇太子殿下の言葉が鍵になるのかもしれないわ。大神ゼリウム様……この方について情報を集めてみようと思うの」
「大神ゼリウム様……」
「ルシオラ様がルベリア王国の祖だというのであれば、ルシオラ様の子がいるはず。でもそんなことは聞いたこともない。ルシオラ様の行為が自己満足だというのであれば、それに至る根拠を知らなければならないわ。ならば真っ先に考えるのは身内、家族のことじゃないかしら」
世界のためでも、見ず知らずの誰かでもない。自分が大切に思う存在のため。もしそうならば知らなければならない。女神ルシオラが大切にしていたであろう彼女の家族のことを。




