閑話 スーベニア聖国へ
エリナ側のお話になります。
港に船が接岸し、落ち着いてからエリナはフィラリータたちと甲板に立った。船を降りる前に見ておきたかったからだ。聖国と呼ばれる地を。
「ここが、スーベニア聖国なのね」
「はい。島国ではありますが、人の往来は少なくありません。むしろ活発といってもいいかもしれませんが」
スーベニア聖国。大神ゼリウムを主と崇める国だが、ルシオラら創世神話に登場する神々たち全員に対し敬意を払っているという。フィラリータの言う通り、往来する人々の数は少なくない。けれどザーナ帝国、ルベリア王国を見てきたエリナからは違和感を抱かずにはいられなかった。
「……これだけの人々がいるというのに、あまり賑わいを感じられないのね」
「スーベニア聖国では、市場というものが存在しませんの」
「ハーバラ様?」
そこへやってきたのは落ち着いた色合いの外套を羽織ったハーバラだった。その手に水色の外套を持ち、エリナの方まで近づくと、それを羽織らせてくれる。
「ありがとうございます」
「うふふ、やはり陛下の色がエリナ様にはよくお似合いですわね」
水色。アルヴィスの瞳の色。この色はエリナを落ち着かせてくれる色でもある。それを選んでくれたハーバラにエリナは改めて感謝の言葉を告げた。商人として、エリナの補佐として同行しているハーバラ。その視線は既にスーベニア聖国の街へと向けられている。
「この国はすべてが女王陛下の御許で行われております」
「……皆が同じように。その信仰心の元では、誰もが同じだという考えですね」
「信仰心さえあれば、どのような身分であっても、どこの国の者であっても救いの手を差し伸べてくださいます。そうすれば、この国で飢えることはありません。華やかな生活ではありませんが、それでも人としてそれが幸福だと言える暮らしができるのだそうですわ」
この街も人も、すべて女王陛下のもの。住む場所も生きるために必要なものも、すべて国が用意してくれる。誰もが同じように生活をしていける。そのことに感謝をし、女王に仕えたいと望む者も多いという。それ以上を望むのであればこの国から去らなければならない。
「……私にはそれが幸せであるのか判断がつきませんでしたわ」
「そう、かもしれません」
ここから見える人々の表情は穏やかである。誰もが同じように微笑み、落ち着いているように見えた。そう、誰もがだ。その表情に違いが見られない。その人個人の感情が見えないといったらいいのだろうか。
「王妃殿下、スーベニア聖国女王陛下の部下の方々が到着しました」
「……えぇ、今行きます」
王宮から迎えが着いた。ここからエリナはルベリア王国の王妃として振舞わなければならない。エリナがやらなければならないこと。それはまず知る事だ。この世界に起きている事、そのために出来る事、そしてアルヴィスが抱えているものを知る事。
「ハーバラ様、行きましょう」
「ご一緒いたしますわ」
一人で抱えきれずとも、エリナにはハーバラが付いている。友人としてこれほど心強い存在はいない。フィラリータ、ミューゼ。サラたち侍女も共にいる。エリナは甲板から移動する前に、今一度海の方へと身体を向けた。ルベリア王国は随分と遠くにある。当然、ここからその場所を見ることは叶わない。それでも……。
「アルヴィス様、行ってまいります。どうか私に力をお貸しくださいませ」
その国がある方向へと深々と頭を下げる。傍にはいないけれど、それでもその心はいつだってお互いを想っていると。
船を降りた先には馬車が待っていた。大きさだけはあるものの、華美な装飾などはない。だがとても綺麗に手入れされていることはわかる。スーベニア聖国らしいと言ってしまえばそれまでだけれど。
その馬車の前に甲冑を纏った騎士が並んでいた。一人だけ前に出ると、その場で膝を降り首を垂れる。
「ルベリア王国王妃殿下、スーベニア聖国へようこそいらっしゃいました。女王陛下直属騎士、セランと申します。御身を宮殿まで案内せよとのご命令を受けております」
「ご丁寧にありがとうございます。ルベリア王国王妃、エリナ・ルベリア・リトアードです。道中よろしくお願いいたします」
「はっ」
エリナとハーバラが同じ馬車へと乗り込んだ。他にも馬車を用意してくれたらしく、サラたち侍女はそちらに乗っている。護衛であるフィラリータらは、エリナが乗る馬車の真横に位置取っていた。
「エリナ様、セラン殿は女王陛下に最も近い騎士だったはずですわ」
「……やはりあの時いらっしゃった方でしたのね」
「覚えていらっしゃるのですか?」
「アルヴィス様が立太子されてから開かれた建国祭。その時、シスレティア陛下の傍にいらした方だと思います。その声色も動きも同じでしたから」
あの時は甲冑姿でなかった。だがシスレティアと離れすぎず、そしてその言動を常に見守るようにして近くにいた。声を直接交わしたわけではない。シスレティアからの問いかけに返事をしていたくらいだった。けれど、女性でありながらもどこか騎士然とした雰囲気を感じて、印象に残っていたのだ。
「さすがエリナ様ですわね。そのような細かいことまで覚えていらしているのですから」
「癖のようなものですね」
誰がどのように、誰と会話をしているのか。その内容はどうだったのか。全てを覚えているわけではないけれど、断片的な内容は覚えている。次に会う機会があった時のためにと。それでなくてもセランはシスレティアの傍にいたということもあって、記憶に残りやすかったのかもしれない。
「きっとアルヴィス様の方がよく覚えていらっしゃいます。あの方にとっても当たり前なのかもしれませんけれど。その代わり、ご自身のことは忘れてしまわれるのですが」
「陛下らしいですわね。ご自身に無頓着なところは」
「うふふ、そうですね」
かつては一人で背負わなければと思っていたけれど、アルヴィスが共にいるならばと、エリナもそこまで無理をする必要はなくなった。ミスをする真似はしたくないけれど、傍にいてくれるだけで心強かったものだ。だが今回はそのアルヴィスはいない。身を引き締めなければならないだろう。
馬車が進む道の先に見えるのは白い宮殿。大きな白亜の塔が中央にあり、これまでの街並みとは雰囲気が全く異なるものだった。
「あれが、創世時代からあると言われているスーベニア聖国の宮殿ですね」
「はい……大神ゼリウムに守られているという宮殿ですわ。朽ちることもなく、その姿を現世に留めているという遺構の一つでもありますけれど」




