11話
騒ぎが起きたのだと報告をしてくれたのはエドワルドだった。執務室、大きめの窓の柱に寄りかかりながらアルヴィスはその報告を聞いていたのだが、エドワルドは終始不機嫌なのを隠さない。
「エド」
「……わかっています。ただ、不遜な態度ももちろんですが、あのような言動……手を出さなかったことすら悔やみそうです」
「文官とはいえ、お前が手を出しては駄目だろうに」
「自制はしましたが、それでも私はこの怒りが収まりません」
サリージュの元婚約者。婚約を破棄されたことに納得していないという話を聞き、それを挑発するような真似をした。実際には白紙扱いなのだけれど、マルスは一方的に破棄されたと考えている。公王の指示とはいえ、婚約が無くなった間接的な原因がアルヴィスにもあった。
だがそれはウェーバー公国の血を遺すために、公王が画策したもの。サリージュの意志でもなければ、公王がマルスを気に入らなかったわけでも、アルヴィスが気に入っているというわけでもない。どちらかというと、恩着せがましいことだと公王も考えていた。王として、血を遺さなければならない。ただそれだけのために、サリージュはアルヴィスの下へと遣わされたのだ。
「公女も伝えたとは言っていたが、罪悪感から強く言えなかったのだろうな。ならば多少の助長は有り得ることだ」
「それにも限度があります。公女殿下がお輿入れすることはないとはいえ、ここでのやり取りは国家で行われているものです。彼には何をすることもできません。異を唱えることさえ分不相応です」
「それはその通りなんだが、お前も見たことはあるだろう? そういう者たちを」
国家間の決めごと、貴族間の決めごと。規模は違えど、その約定は個人の意思では変えられるものではない。それを変えようとした連中がどうなったのか。エドワルドも知っている。その結果がどうなったのかも。
「確かに……どの国にもそういう輩はいるということですか。嘆かわしいことですが」
「どれだけ考えを叩きこまれようとも、その個人がどう考えるまでは制限できないし、各々の考え方があるのは当たり前だ。だがそれでも、貴族である以上は私情より先に優先しなければならないことがある」
「はい、そうですね」
「ビーレント殿には、直ぐにでも監視をつけた上でウェーバー公国へと送り返す。公女も了承済みだ。あまり取りたくない手ではあるが……」
護衛騎士の中にはマルスに賛同していた者もいるようなので、合わせてウェーバー公国へと帰還してもらう。結果的に公女の護衛騎士は女性を残して、ほぼ全員が帰ってしまうことになるのだが、サリージュはそれでもかまわないと。
「アルヴィス様?」
「……できればウェーバー公国が失われる前にどうにかしたいとは思っている。でも俺ができることはそう多くない」
サリージュの話でも、公都からの避難は大分進んでいるようだった。公王が避難するのは最後になる。どこまで瘴気が広がっているのか。これからどれだけ広がってしまうのか。ウェーバー公国と隣接するザーナ帝国への影響はあるのか。元マラーナ王国の状況は……。
「俺が守るべきはルベリア王国であり、この国に住む民たちだ。それを疎かにして、他国まで手を伸ばすことはできない。だがそれでも、黙って見過ごすこともできないんだ……」
寄りかかっていた柱から身体を起こし、窓の前に立つ。そこから見上げる空は青色のまま。時折、霧がかかったように見える闇色は、まだアルヴィスの眼にしか映っていない。けれど、ウェーバー公国ではそれが現実の光景としてあるのだろう。大聖堂で、墓所で、アルヴィスはかつてルシオラらがいた時代の光景を視ている。その時の人々が絶望する姿も。それを知っていて、何もすることはできない。
「何を、なさるつもりなのですか?」
「……さあな」
エドワルドに明言はできない。否、それは違うのだろう。言葉にしたくなかった。指示する立場でありながら、それを躊躇う。主君としては持ってはならない感情だ。
アルヴィスの意図がわからず、不満気なままでエドワルドは執務室を出ていった。サリージュへの連絡を頼んだので、さほど時間もかからずに戻ってくるだろう。その前に、アルヴィスは命令を出さなければならない。
「アンナ、いるか?」
「……ここに」
視線を空から変えることなく、アルヴィスが呼べばどこからか侍女服姿でアンナが現れる。アルヴィスの専属侍女の一人でありながら、もう一つの顔を持つ者。
「影をウェーバー公国に遣わせたい」
「……数人で宜しいですか?」
「あぁ」
頷きながら、アルヴィスは顔を下に向け目を閉じた。言わなくてはならない。拳を握りしめ、深呼吸をしてからアルヴィスは跪いているアンナへと身体を向ける。
「ウェーバー公国の瘴気を、これで中和……完全浄化できるかを試してもらいたいんだ」
懐から小瓶を取り出し、アンナへと差し出す。淡い紫色を模した霊水を。
「承知しました」
「数日以内にマルスを含めた数人をウェーバー公国へ帰還させる。それに潜り込む形で頼む」
「なるほど、それでは侍女姿では差し障りがありますか」
「そう、だな」
騎士が多いところに紛れるともなれば、確かに侍女として紛れることはできないだろう。国境まではルベリア王国の騎士団も同行するが、その先は同行しない。
「では監視役をこちらにお任せください。その方が表だって動きやすいので。残りは影として徹します」
「わかった。話は通しておく」
「お願いします」
「アンナ」
話は終わりだと去ろうとしたアンナを呼び止めた。立ち上がりアルヴィスと視線を合わせたアンナは不敵に笑う。そうして右手を上げて、アルヴィスの頬にそれを添えた。
「そのような顔をなさらずともいいのです。我々は影。国王陛下の手足となるべく存在します」
「……ウェーバー公国の状況によっては、無事ではすまないかもしれない。すまない……」
「だからこそ我らが行くのです。ただ……そうして俺たちを案じてくれる主であること、俺は嬉しいですよ、陛下」
任せてくれとばかりに笑顔を向けてから、アンナはその場を去っていった。
ウェーバー公国の件でルベリア王国は手を貸さない。表向きはその通りだ。他国まで面倒など見ていられない。わかっていても、素知らぬふりはできなかった。これがただの他国の問題というのであれば、いくらでも捨て置いた。しかし、それが瘴気ともなればそういうわけにもいかない。
『君は僕が殺すよ』
瘴気とアルティウム。この二つがどうしても無関係とは思えなかったから。
それでもアルヴィスが出向くことはできない。騎士を動かすこともできない。ならば取れる選択肢は一つしかなかった。国王の指示に従う力、影の者たちを使うしか。
アルヴィスの指示の先に、どれだけの危険があったとしても彼らは従うだろう。そこで、その命を落とすことになったとしても。
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