閑話 燻る想い
ルベリア王国の王都。王城の中、門からほど近いところにある騎士団の詰め所にマルスは来ていた。ルベリア王国に滞在している間、ウェーバー公国の第一公女の警護として来ているマルスらに鍛錬する場をあたえてくれるつもりらしい。無論、騎士としては有難い機会だ。ルベリア王国の騎士らの実力も確認できる。
「マルス・フォン・ビーレント卿」
「ヘクター騎士団長殿」
ルベリア王国騎士団をまとめる団長。ここ鍛錬の場で最も良く耳にする声だ。その多くが怒鳴り声に近いもので、若い騎士の中には萎縮してしまっている者たちもいる。マルスからすれば、ぬるま湯につかっているだけの臆病者でしかない。それはこのヘクターに至っても同じだ。穏やかな国でのうのうと平和を享受しているだけの連中に、マルスは内心に燻る苛立ちを抑えるのに必死だった。
「鍛錬に身が入らないのであれば、ここにいる必要はない」
「……そういうつもりは」
ないと言ったところで、恐らくヘクターには見抜かれている。剣呑な瞳がそれを雄弁に語っていた。口数は少ない代わりに、ヘクターはその態度で示す。少ない日数の中ではあるが、マルスもそれを感じ取っていた。だがそれを素直に認めるつもりもない。気に入らないのだ。マルスはここにいる誰も彼もが。
「わかりました。それでは私は失礼します」
「……」
頭を下げてからマルスはヘクターの視線から逃れるようにして、足早に鍛錬場を去った。
来賓区画へ向かうにあたって、マルスは回廊を歩かなければならない。そこから差す明るい光、鳥のさえずりや緑の木々たち。それを見るたびに、マルスは更に苛立ってしまう。ウェーバー公国ではそれが既に失われつつあるからだ。自分らの大切な故郷で失われたものが、ルベリア王国にはある。どうして、何故、そんな疑問が頭から離れない。
「僕たちが一体何をしたというんだ……っ」
どうしてルベリア王国はこのように平和なのに、ウェーバー公国はあのような姿に変わってしまったのか。変わらなければならなかったのか。同じ大陸にある国だというのに、何故こうも違ってしまうのか。どうしてマルスはサリージュとの婚約を破棄されてしまったのか。アルヴィスと婚約させるためだと言われて、なおさら納得がいかなかった。どうしてだ。マルスがただの子爵家の人間だったからなのか。そう言われぬようにと必死に努力を重ねてきたと言うのに。その全てが無駄だったというのか。
「ビーレント卿、このような場所で何をしておられるのですか?」
「っ⁉ ……ハスワーク殿」
いつの間にか足を止めていたところを、エドワルドに声を掛けられてしまった。エドワルドは国王の側近の一人。マルスら護衛騎士たちを案内する役目を担っているようで、こうして時折声を掛けてくる。それも高頻度で。まるで監視されているようなタイミングだった。
「護衛騎士の皆様は鍛錬の時間のはずですが、何をされているのです?」
「……貴方には関係がないでしょう」
「そういうわけにはまいりません。貴方は公国からの来賓でもあります。事が起きてからでは遅いですから」
エドワルドの示す来賓という言葉。マルスは護衛だ。来賓であるのはウェーバー公国第一公女であるサリージュのみ。マルスは来賓には含まれない。
「私はただの護衛騎士に過ぎません」
「護衛であろうと公国からおいでになられた方であることに変わりはありません。それに護衛騎士だからこそ、貴殿の行動が公女殿下にも影響を及ぼすことはお分かりになられるとは思いますが?」
「っ……」
エドワルドは淡々と話している。だがそれが余計にマルスの感情を逆撫でした。来賓という言葉をそのまま受け止めたマルスに対し、エドワルドは明言はしていないものの、やんわりと勘違いを諭してきた。否、エドワルドにそのつもりはないのかもしれない。だがマルスはそう受け取った。ただの護衛騎士であろうとも、その行動はすべてサリージュが責任を持つのだと。それさえもわからないのかと。
「私を馬鹿にしておられるのか!」
「そのように感じさせてしまったのであれば申し訳ありません。ただ、ウェーバー公国に対する我らの気持ちはあまり芳しくありませんから、その上でむやみやたらと王城内をお一人で歩くことはなさいませんようお願い申し上げます」
「な……」
「仮にも公女殿下に近しいお立場であったのであれば、それ相応の振る舞いをしてしかるべきだと」
その口調に棘はなかった。だがそれが余計にエドワルドの怒気を表しているようだ。ウェーバー公国に対するルベリア王国が抱く感情。マルスはウェーバー公国を立つ前にサリージュに告げられた言葉を思い出していた。
『私たちは決して許されないことをした側の人間です。それをルベリア王国の温情に頼り、加えて厚かましい申し出をするのです。決してかの国の方々に無礼を働いてはなりません。そのようなことをしたものは即刻帰国していただきます』
暗殺未遂に手を貸した。意図的にではないにしても、実行に移したのは事実だと。だが既にそれは当事者であるアルヴィスによって許されている。ならばここで改めて蒸し返す必要はないのではないか。マルスからしてみれば、既に過去の出来事という認識だった。サリージュがそこまでルベリア王国を畏れる理由の方が理解できない。既に終わったことだし、アルヴィスは生きているのだから。
今はそれよりも危機に瀕しているウェーバー公国の方がマルスにとっては大事だった。それが原因でマルスは婚約を破棄されてしまったのだから余計に。自分らの方が危機的な状況であり、重大だ。そんな意識がマルスの中にはあった。だからだろう。このようなことを口走ってしまった。それがエドワルドの逆鱗に触れるとも知らずに。
「既に終わったことでしょう。貴方方の国王陛下は無事でおられる。ならばいいではないですか」
「……」
「私たちの方が今は苦しんでいます! 故郷を、そこにいる大切な方々を失うかもしれないのですから。のうのうと平和を享受している貴方方には決してわからないでしょうねっ」
エドワルドに対し、感情を露わにするように吐き捨てたマルス。自らの言葉の意味など本当には理解していなかった。ただ思うが儘に述べただけ。それを聞いたエドワルドの表情が消え去っていくことに気づいたのは、その後だった。
「そうですか……貴方には決して理解できないと私も思います。あの時、アルヴィス様が生死不明と告げられた瞬間の私たちの絶望は決してね」
「……え」
「そして、自らの言葉がどのような影響を与えるのか。それを想像できない方であれば、公女殿下のお相手は務まらなかったでしょう。貴方が婚約を破棄されたのは道理だったというわけです。公王様の英断だったのでしょうね」
「な、なんだと」
ここは回廊だ。その声がどこまで届くのかなどマルスにはわかっていない。そもそもいつ誰が通るとも知れぬ場所だということも頭から抜けていた。
「僕が相応しくなかったというのか⁉ どれだけ僕が彼女と共にいるために努力したか知らない癖に! その上婚約をなかったことにして、ルベリア王に嫁ぐと言われたんだぞ。僕を馬鹿にするにもほどがある。ただ王族に産まれたというだけのやつに、どうして僕は彼女を奪われなくてはならないんだっ! なんで――⁉」
「それ以上は慎まれた方が宜しいです、ビーレント殿」
背後から口を塞ぐようにして手が伸びてきた。かすかに漂ってきた香りはサリージュの傍にいた侍女のもの。口を塞がれた後は、腕を後ろ手に掴まれてしまいそのまま勢いよく地面へと押さえ込まれてしまった。
「っ‼」
「この度は、我が国の騎士がご無礼を申し上げました。国王陛下に対する数々の無礼な言動、申し開きもございません」
頭を無理やり下げられる。どうやら侍女は二人いるのがわかった。身動きが全く取れず、マルスはただ地面を見つめることしかできない。
「……」
「申し訳ございません」
侍女が謝罪の言葉を伝えても、エドワルドからの返事はない。何度目かの謝罪の後で、ようやくエドワルドが息を吐く音が届いた。
「……公女殿下に処分をお任せします。ただ、もう二度とその顔をアルヴィス様の前に出さぬようお重ねてお願いします」
「寛大なお心、誠ありがとうございます」
「いえ、それが陛下の望みでしたから。私はこれで失礼させてもらいます」
「ありがとうございます」
足音と共に去っていくエドワルド。音が聞こえなくなったところで、頭上の二人から安堵の息が漏れてくるのが聞こえた。
「……温厚な方と聞いていたけれど、怖かったですね」
「えぇ……おそらく、それだけの逆鱗に触れてしまったのでしょう。ともかく早く動かなくては……」
「これ、どうします?」
「面倒なので眠ってもらいましょう」
そんな物騒な言葉が聞こえたかと思うと、マルスは意識を失った。
久しぶりのおバカなお方の登場でした(;´・ω・)
エドワルドは怒ったら怖いです!




