10話
サリージュが王城に来て三日。夕食を共にしたのは、初日のあの日だけだった。ただ顔を合わさない日はない。今日も、執務の合間にアルヴィスはサリージュと共にサロンでテーブルを挟んで向かい合っている。だがサリージュの手元には書類の束だ。茶会というよりも業務連絡という方が正しいかもしれない。
「何か間違いがあったら指摘してほしい」
「……いえ、まさかこの距離でここまでの情報を得ているとは思いもしませんでした。私が知っているものと概ね相違ありません」
サリージュが目を通していたのは、アルヴィスが得たウェーバー公国側の資料だ。瘴気が蔓延る場所に影を送り込むことには積極的ではなかったアルヴィスだったが、そうも言っていられない状況となった。情報がなければ動くに動けない。サリージュが偽りを述べるとは思っていないけれど、裏を取っておくに越したことはない。無論、サリージュに渡したものが全てはないのだが、それを敢えて伝える必要もなかった。
ふと、サリージュがある一枚の資料のところで動きを止める。暫く考える様子を見せると、力なく笑みを浮かべた。
「ご存知なのですね、私と彼、マルス様のことも」
マルス・フォン・ビーレント。今回のサリージュに同行してきた護衛隊の一人。そして元サリージュの婚約者でもある男性だ。対応はエドワルドに任せてあるため、アルヴィスは一度も顔を合わせてはいない。
「不快に思われたなら申し訳ない。ただ、こちらもそれを知る必要があったことは理解してもらいたい」
「当然です。私から陛下に情けをかけていただけるようにとお願いしましたのに、こちらの事情を伏せてしまったこと申し訳なく思います」
「言いにくいことなのは承知の上だ。気にしなくていい」
護衛隊の中に、元婚約者がいると伝えられても対処に困るだけだ。それにサリージュの傍にいる騎士たちからの報告によれば、サリージュとマルスは王城に入って以降一切接触をしていない。マルス側は接触をしたいと試みているようだが、サリージュからはそんな様子はないという。名が出たことはあるものの、様子が気になるという風でもない。
「一方的な破棄だったということは、公王の命といったところか」
「仰る通りです」
深々と頭を下げる。そうして事情を説明してくれた。
「初めは、単なる政略的な意味での婚約でした。ただマルス様は子爵家であり、公女である私と縁を結ぶには少々弱い立場でもありました。第一公女である以上は私が公国を継ぐ可能性が高く、そうなると肩身の狭い思いをさせてしまうのではと、一度は私の方から婚約を止めていただく様にと父にお願いしましたが、取り合ってはいただけませんでした」
その後、婚約を交わしてから何度か顔を合わせた。マルス自身も子爵家であり爵位が低いことを気にしていたようで、公女の婚約者として相応しくあろうと努力を重ねていたという。騎士として、公国での立場は第三小隊長。ルベリア王国の部隊編成とは異なるため、同じように想像することはできない。だが小隊長を任されるというだけでも実力は十二分にあると言っていいかもしれない。
マルスは努力したのだ。公女の隣に立つ者としてあるために。それを公王の一言でなかったことにされた。
「破棄は私から告げました。最初は納得していただけませんでしたが、覆ることがないと知り、渋々了承していただいた形になります」
「護衛として来ることは彼自身の望みか?」
「はい。せめて傍で見守る事だけでもと……私としては了承したくありませんでした。ただ公王の命とはいえ、一方的に破棄をしたのはこちらです。ビーレント子爵から頭を下げられてしまえば、私にはお断りすることはできず……陛下には非常に申し訳のないことをしました」
公王の命、公女としての己、そしてサリージュ自身としての心。サリージュは優しい人なのだろう。だから無下にはできなかった。サリージュに非はない。だがこれまでの婚約者として努力してきた姿を見ている方こそ、断り切れなかったと。
「もし彼がこの地で何かしらの非礼をするようなことがあれば、即刻国に帰らせます。それだけは約束していただきましたので」
「公女は彼が何かを仕出かす、と考えていると?」
「それは……」
即答できないのが答えだ。ということはマルスに対しては、警戒をしておいた方がいいかもしれない。面倒ごとだとは思うけれど、サリージュの行動すべてを否定することはできない。
一方的な婚約破棄。王族から下位の貴族に対して。既視感を抱いて当然だった。ただ違うのは、一方的にとはいっても相手に非がないことが明らかであること。公衆の面前で行われたものではないことと、非常事態におけるものであることがゆえに、ある程度の理解を得られるということか。当事者らの感情を抜きにしてとはなってしまうけれど。
「……」
「あの、陛下……?」
「少しだけこちらから揺さぶってみるので、公女は何もしないように頼む」
「……わかりました。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします」
もしマルスが何か事を起こすのであれば、これを利用しない手はない。こんなことを考える己に対し、サリージュには気づかれないようにアルヴィスは自嘲気味に笑うのだった。




