9話
サリージュとの夕食を終えたアルヴィスは、王城にある私室ではなく後宮の私室へと戻ってきていた。ソファーに座っているアルヴィスの腕にはルトヴィスが抱かれている。
エリナが旅立ってから、アルヴィスもなるべくルトヴィスといられるようにと時間を作っていた。そうは言っても寝入った後になることが多いので、こうして抱っこをしてやれるくらいしかできていないけれど。
「アルヴィス様、いかがされるおつもりですか?」
「……」
すやすやと眠っているルトヴィスの手前、エドワルドも小声だ。アルヴィスもルトヴィスを起こさないようにと気を付けつつ、サリージュのことに思考を戻す。
サリージュが求めていることは、あらかた想定通りのこと。どのような事情があろうとも、アルヴィスの答えも変わらない。その上で、取れるべき選択肢は何か。それを考える方が先だ。
「ウェーバー公国の状況を聞いたが、公女自身は面と向かって助けを求めてはこなかった」
「助けを求める立場にはないということでしょうか。やはり先のマラーナの件が尾を引いていると」
「それはそうだ。ただ……実際に、公都を守る手段はない。公国でもルベリアでも」
そこが一番の問題だ。この目で見てはいないものの、ウェーバー公国の公都の状況はサリージュから聞いた。アルヴィスの考えが当たっているとすれば、現時点において公都を救う方法はない。霊水でも瘴気を払いきれなかったというのであれば、もう誤魔化しは効かない。なおかつ、人々の不安や恐怖により瘴気はますます増えていく。
「最善を取るとすれば、あの地を捨てるくらいしかない。それを公王はわかっている。その上でルベリアならば、ルシオラの加護によって守られている俺がいる。公女だけでも生き残ることに賭けたのだろうな」
「ではこのままウェーバー公国のことは……」
「……」
このまま何も出来ずに、その滅びゆく姿をみることになるのか。アルヴィスも険しい表情を崩すことができなかった。わかっている。それでもそれが正しい方法なのかが、アルヴィスには判断しかねる。
「それほど猶予はない。国としてウェーバー公国を助けることは難しい。それが現状での事実だ」
「はい……」
そっとアルヴィスは眠っている我が子を見る。ルベリア王国は次代も続く。ルトヴィスがいるのだから。だがウェーバー公国はどうか。逃げてきたのは公女一人。ウェーバー公国はルベリア王国と違い、長子継承の国だ。公女であっても、ウェーバー公国を引き継ぐことは可能である。国土が多少失われたとしても、その血は残り続けるかもしれない。
「それでも、わかっていて捨て置くことはできない、よな」
「アルヴィス様?」
「エド、この子を義姉上の下に連れて行ってくれ」
「ですが⁉」
「悪い。少し調べたいことができた」
眠るルトヴィスをそっとエドワルドに押し付けると、反射的にエドワルドが受け取ってくれた。そのままアルヴィスは部屋を出ていく。
現在、ミントが後宮に乳母代理として住んでくれている。ルトヴィスが眠る場所も、アルヴィスらの寝室からミントの傍に移動させてもらった。アルヴィスが夜に傍にいることができないので、ミントの傍のが安全だろうという判断だ。
「神霊水、急がなくてはいけないようだな」
霊水では効果がない。そしてこのままでいけばウェーバー公国は瘴気の影響から逃れることはできない。加えてそこに住む人々の負の感情が増幅される。それがどういう結果を意味するのか。予想するのはさほど難しくなかった。
瘴気は負の感情を基にしている。ならばいずれはウェーバー公国から隣接国であるザーナ帝国へ向かうかもしれない。ルベリア王国とてどこまで無事でいられるかは未知数だ。かつて、そうした中でルシオラたちは最悪の選択を迫られたのだから。
「レンティアース嬢がどこまで見透かしていたのかはともかく、俺がやるべきことは変わらない……だが、一体どこまで彼が弓を引いているのだろうな」
後宮から王城へ戻る回廊、そこまで来てアルヴィスは空を見上げた。夜闇の中、普通ならばそこから見えるのは星空だけだ。だが何故か、アルヴィスには別のものが見えていた。夜だからこそあまり違和感がないが、どこか鈍色の雲が漂っているように見えるのだ。ルベリア王国の王都に瘴気は蔓延していない。それは事実なのに、時折見える瘴気が空を覆っている現象。これをアルヴィスは見せられている。とある人物の影響によって。そう確信めいたものがあった。
「……」
服の上から左胸を掴む。痛みは感じないが、そこには確かな違和感があった。最早決定的と言えるだろう。ウェーバー公国の瘴気は、マラーナが国という礎をなくしたことが契機だったかもしれない。その機会を作ったのはセリアン宰相と、一人の少年。彼がどのような手段を用いているかはわからない。けれどこうなることを彼は知っていた。
「……あの時と同じように、世界に瘴気を蔓延させるつもりなのか、君は」




