19話
その日の夕食後、アルヴィスは一人で屋敷内にある書庫へと来ていた。何気なく書物を手に取り、窓枠に座ってそれを読み始める。誰もいない書庫内は薄暗いが、月明りがいい具合の灯りを注いでくれる。屋敷内では一人でいることを特に好んでいたこともあり、この時間がアルヴィスは好きだった。幼い頃からずっと。そして、そういう時に限って姿を見せるのも、あの頃と変わらない。
「アルヴィス様」
「エド」
この屋敷に来てから別行動が多かったエドワルドだが、どこか疲れた顔をした様子をしている。アルヴィスがこの地に帰ると言わない限り、エドワルドが帰省することはなかった。おそらく家族と顔を合わせることすらなかっただろう。エドワルドの両親がここを離れることはまず考えられないのだから。そういう意味でも、エドワルドはイースラに半ば強制的に連れ去られていった。何をしているかは聞いているものの、その場を見ているわけではないし、アルヴィスが近くにいればエドワルドはアルヴィスを優先してしまう。だからこそ、アルヴィスもエドワルドのことは放置していた。
アルヴィスは書物を閉じて、エドワルドの方へ顔を向けた。座っている状態のまま、エドワルドを見上げる。どことなく汚れており、その頬には擦り傷を作っている様子から、何をしていたのかは想像がついた。
「随分と手荒に歓迎されたようだな?」
「……視察から帰ってきた父上に、弟たちと強制的な手合わせをさせられまして」
「イーガンが? お前がそれについて不得手なのはよく知っているだろうに」
「アルヴィス様の所為ですよ、まったく」
「?」
何かをした覚えはない。特にイーガンに対しては、共にガックル火山へ出向いてから顔を合わせていないのだから。そう伝えれば、エドワルドはその所為だと言う。
「特別なことは起きなかったはずだ。まぁ、魔物には遭遇したが大した敵ではなかったし」
「それはアルヴィス様の基準です。そもそも、私とアルヴィス様では比べること自体が間違っているのです」
「それはそうだが」
「アルヴィス様の傍にいるのであれば、せめて盾になる程度の力をつけろ、といわれましたよ」
「んなこと俺が許さないんだが」
アルヴィスは元騎士であることに誇りを持っている。守りたいものがあって騎士を志した。その中にはエドワルドだって含まれている。剣だけで言えば、アルヴィスより強い者は近衛隊にも騎士団にもいるが、マナを使った剣技であればそう簡単に負けたりはしない。こと実戦ならばルークにも引けを取らないが、それが半分反則であることもわかっているつもりだ。総合力でいえば、まだまだルークには敵わないかもしれないが。
「エドを盾にするくらいなら、引き連れて逃げる方を選ぶ」
「逃げてくださるのであればそれが一番ですが、絶対に逃げませんよ、貴方は」
「……俺だって時としてそれが必要だってわかっている」
ただそれを選ばないように努力するだけだ。それにエドワルドに求めているのはそういった力強さではない。当然、エドワルドはわかっているだろう。イースラだって知っているはずだ。
「あの父には武しかありませんから、同じような考え方でしか守り方を知らないんだそうですよ。母の言ですが、それに巻き込まれる側からしたら堪ったものではありません。私には私のやり方で貴方を守っているつもりですから」
「……あぁ、そうだな」
「だから帰ってきたくなかったんですよ。弟たちはまぁ別として、父には会う必要を感じませんから」
心底疲労感をあらわにするエドワルドに、アルヴィスは苦笑した。こういった素を見せるエドワルドも久しぶりだ。最近は、エリナと一緒にいることが多かった。それはマラーナ王国へ行って不在の期間が長かったため、周りも気を遣ってくれていたおかげだ。最も気を遣ってくれたのは、エドワルドであることをアルヴィスは知っている。
「エド、お前もこっち座れ」
「え? いえそんなことは」
「いいから」
アルヴィスがそういえば、渋々と言った形でエドワルドがアルヴィスが座っている隣に腰を掛けた。アルヴィスは片足を窓枠に乗り上げて肘を置くと、窓の外へ顔を向けた。倣うようにエドワルドも窓の外へと顔を向ける。
「あの日も満月だったな」
「……そうですね」
いつのことを言っているのか、詳しく説明せずともエドワルドには伝わったようだ。あの日、幼い頃エドワルドと共にここでアルヴィスは一夜を過ごしたことがある。部屋にも戻らず、あまり人が来ない時間帯に書庫にいた。ベルフィアス公爵家でパーティーが開かれていた時だった。多くの貴族たちからの目が嫌になり、アルヴィスは逃げてきたのだ。それを誰かに言ったことはない。でも一人になりたくてここに来た。結局はエドワルドが見つけてしまい、二人でいたのだけれど。
「お前も昔は、イーガンのようになりたいって思ったのか?」
「え?」
あの日の話題を振られると思ったのか、エドワルドは驚いていた。でもあの頃のエドワルドは、まだアルヴィスにとってそれほど近しい相手ではなかった。家族よりも一緒にいた時間は長いけれど、あの頃のアルヴィスにはまだエドワルドも遠い存在の一人で、使用人であるから無下にできないだけだと考えていたのだから。だから聞いてみたくなったのかもしれない。あの頃のエドワルドがどう思っていたのか。当時も、エドワルドはイーガンに扱かれていた。ハスワーク家の長男だったから、イーガンも当然武官となると思っていただろう。それはアルヴィスも同じだ。いずれは、マグリアの下に行くのだろうと思っていた。結局、エドワルドが傍にと選んだのはアルヴィスだったのだが。
「……私は父のようになりたいと思ったことはありません」
「そうなのか?」
「長男だからとか、色々と理由はあるのでしょうが……私は鍛錬が楽しいと思えたこともなければ、強くなりたいと願うことだってありませんでしたから。嫌でたまりませんでしたよ、本当は」
苦手だからではなく、そもそもの前提から間違っているとエドワルドは話した。アルヴィスたちのように、強くなりたいわけでもなく、それを目指したいと思うことさえなかった。最初から違うのだと。
「アルヴィス様の侍従となったことも、父の命令ではなく旦那様の指示でした。正直いえば、どうしてなのかと思いましたが、それはきっと私が武官に向いていないからだったと、そう思っていました」
ラクウェルとイーガンの様な主従関係をマグリアとエドワルドでは築けない。だからアルヴィスのところに行くことになった。エドワルドはそう感じていたと。
「実際にはわかりませんし、今となっては理由なんてどうでもいいです。旦那様や父がどう考えていたかなんて、今の私には関係ありません。あの頃の私とアルヴィス様にも、それは無意味な話ですから」
「あぁ、そうだな」
「アルヴィス様、私は両親や弟たちのことをあまり深く考えたことがないんです。おそらく、誰よりも冷たい人間だと思っています」
「そんなことはない」
「本当のことです。私は、あの頃から……ここで貴方を見つけた時も、その前からずっと貴方を守ることだけを、傍にいることだけを考えていました。まだ私にも警戒心を残していた頃のことだって、私は覚えています。別に他の人たちのことはどうでもよかったんですよ」
「お前……」
「父も同じです。旦那様を守ることを生涯の役割だと定めています。同じように、私はアルヴィス様を生涯の仕える相手だと定めている。そこだけは、そっくりだと母には言われました」
ハスワーク家の人間だからというよりも、イーガンの息子だからこその性であると。別に嫌っているわけでもないし、会えば話もする。話したくないわけでもなければ、会いたくないわけでもない。
「あぁでも、父は別ですね。もう色々と面倒ですし、だから会いたくないんです」
「それを聞けばイーガンもショックを受けるんじゃないか?」
「直接言ってきましたよ。でも特に何も言ってきませんでしたし、母は母で大笑いしていたので、大した衝撃は受けていなかったと思います」
「そ、そうか」
エドワルドとは長い付き合い。確かにそうだが、家族が関わるといえばイースラとの関わりしか見てこなかった。だからこそ、アルヴィスはエドワルドのこういった塩対応をする様子を見るのは初めてだ。想像以上の対応の仕方に、アルヴィスも苦笑いすることしかできなかった。




