閑話 恐れ多くも、もう一人の母として
今この時、目の前にはすっかり立派な青年へと成長した彼とその妃となった女性が立っていた。こうして彼に会うのは、結婚後に王都で会って以来。妃となった女性と会うのは、これが初めてだ。
あの時よりも彼、アルヴィスは落ち着いた雰囲気を纏っている。何よりも、アルヴィスの隣にリティーヌ以外の女性がいることに未だに違和感を抱いてしまうのは、誰よりもレオナがあの頃から変わっていないからなのだろう。
「ご挨拶が遅れてしまい本当に申し訳ありません。そしてエリナ妃殿下、遅くなってしまいましたが婚姻とご懐妊、本当におめでとうございます」
「ありがとうございますレオナ様」
そう伝えると、エリナは微笑みながら言葉を受け止めてくれた。噂通り、穏やかで優しい人物であるようだ。エリナがアルヴィスを見る眼差しは、本当に優しいもの。それが物語っていた。エリナがアルヴィスを想っていると。
アルヴィスは傍目にはわからないが、無茶無謀は当たり前であり、優等生のようで不良学生がするような真似を素知らぬ顔でやってのけるようなところがある。猫かぶりが得意とも言えるだろう。そんなアルヴィスの気性がわからなくとも、やきもきさせられることや不安にさせられることも多いはずだ。一年以上ともにいるのだから、既にエリナは経験済みなのかもしれないが。
「レオナ殿?」
「不躾に見てしまい申し訳ありません。なんだか……感慨深いものがありまして。以前、妃殿下を紹介するとは仰っておりましたが、こうして実際にお目にかかる日が来るとは思っていませんでしたので」
「俺は、貴女との約束を反故にするようなことはしませんよ」
「わかっております」
ムキになって言い返したその顔は、どこか幼い頃に見たアルヴィスと似通っていて、レオナからは思わずといった風な笑みが零れた。
「妃殿下、ミリアリアやヴァレリアもお世話になりましたようで、本当にありがとうございます。あの子たちも喜んでおりました」
「私の方こそ、楽しませていただきました。前回お会いした時も、たくさんお話をしてくれました」
「そうでしたか。ミリアリアは妃殿下とお会いして、ますます作法に勉学にと力を入れるようになりまして」
「ミリーが勉強を……それはまた珍しいですね」
和やかに、そして懐かしさを思わせるように会話は続く。そうして気が付いた。アルヴィスが笑っていることに。エリナと会話をしていると、アルヴィスは優しい顔でエリナを見ている。時折、目を細めるようにして微笑んでいる。困ったような、苦しさを誤魔化すような笑い方ではなく、それが彼の心からの笑顔なのかもしれない。
「あまり引き留めてはいけませんね」
「レオナ殿?」
「そろそろ馬車も参ります。妃殿下もお疲れでしょう」
時刻を確認すれば、思った以上に長いこと会話を楽しんでいたようだ。そう楽しんでいた。これはレオナにしては珍しいことだ。
エントランスまで見送りに向かう。扉を開けば、やはり馬車は既に到着していた。
「本当に楽しい時間でした。アルヴィス殿下、妃殿下もありがとうございます」
「いえ、私もとても楽しかったです。ありがとうございました」
アルヴィスにエスコートされるようにしてエリナが馬車へと乗り込む。そうして次はアルヴィスが乗り込むというところで、彼はレオナの方へと振り向いた。まっすぐにレオナを射抜く視線からは、以前会った時よりも、迷いが消えているような気がした。だから理解した。彼は挨拶に来ただけではない。レオナに何か話があったのだろうと。
「レオナ殿、貴女にも伝えなくてはならないことがあります」
「……その必要はありませんよ」
「え……」
レオナはそっとアルヴィスへ近づき、その頬を包み込むように両手で触れる。言われなくともわかっていた。アルヴィスが言いたいことなど。
「貴方がここにいる。こうして笑っている。それがすべてです。貴方のそのような笑顔を見られて、私は嬉しく思います」
「レオナ殿……」
「大切にしてください。今の想いを。今貴方が大切に想う方を」
「はい」
答えを聞いてからレオナは頷き両手を離した。これ以上の報告など必要ない。アルヴィスに必要なのはこれからだ。過去を知るレオナではなく、未来をともに行くエリナ。だからもうここへは来なくていい。そんな思いを込めてレオナは微笑んだ。
アルヴィスはもう一度馬車へと向き直り、そのまま乗り込む。扉が閉まると、窓からエリナがこちらを見ていた。レオナはエリナがいる窓下へと近づく。
「アルヴィス様を、どうかよろしくお願いします」
そう言ってから馬車から離れる。レオナはそれを言うべき立場の人間ではない。それでもレオナの脳裏には、あの頃の幼いアルヴィスの姿がある。申し訳なさを抱くことも多いけれど、それでもアルヴィスがレオナをもう一人の母だというように、レオナもアルヴィスをどこかで息子のように感じているのだろう。
「身の程知らずといわれても仕方がないことでしょうね、私は」
「そのようなことはございません」
卑下した言葉は、すぐ近くにいたマールに否定された。彼はレオナと同じく、幼少期のアルヴィスを知っている。ここへ逃げてきたことも。あの日、血まみれになったアルヴィスの姿も。悲しみ、絶望する彼の姿も。すべて見ている。
「アルヴィス様は立派な方になられました。でも、そこにレオナ様の存在があったことは否定できません。オクヴィアス様も、旦那様もとても感謝しておられます」
「そうですね」
オクヴィアスからもラクウェルからも感謝の言葉は直接もらっている。あの時のこと、アルヴィスが落ち着いてから知っていることの全てを話した。もちろん、推測がある程度混ざっていることや、それが真実ではない可能性があることも踏まえて。
そのあと、ラクウェルがアルヴィスの身に起きた出来事を調査したと聞いている。その結果についてレオナは聞いていない。知る必要もないと思っている。何が起きたかなどどうでもよかったのだ。ただ、レオナに出来ることは傷ついたアルヴィスを見ていることだけ。慰めるのではなく、ただ受け入れるだけだった。
幸か不幸か、無邪気な子どもたちがレオナの傍にいた。アルヴィスの異母弟妹。兄に何が起きたかなど知らない子どもたちは、ただ笑って無邪気に兄を引っ張りまわした。それが良かったのかどうかわからない。それでもアルヴィスは、ここを去りはしなかった。
「私ができたのは、ただ見ることだけ。本当にそれしかできなかったのです」




