13話
それからの日々はあっという間に過ぎた。エリナの衣装の最終打ち合わせを終えた頃には、王都全体が少しずつ慌ただしい雰囲気を醸し出していたように感じる。アルヴィスの衣装も完成し、あとは当日を残すのみとなった頃、学園の卒業式が行われる日となった。
「いよいよ学園の卒業式ですね、アルヴィス様」
「あぁ……」
国王夫妻らと朝食を終えたあと、私室にやってきたアルヴィスへとナリスがお茶の用意をする。これから執務室で仕事が待っているが、その前に一服しに来たのだ。今日は、朝からティレアらを始めとする侍女たちもどこか落ち着かない様子だった。それは、エリナが今日学園を卒業するからなのだろう。
直接的に何かがあるわけではない。だが、エリナが卒業するということはそれだけ式が近づいたということでもある。そしてもう一つ……。
「お誕生日にお式を合わせるというのは、同じ女性としてとても羨ましいことでございますよ」
「そういうものか」
そう、一週間後の結婚式当日は、エリナの18歳の誕生日でもあった。ルベリアでは18歳になると成人したとみなされる。貴族同士の婚姻は成人前に行われることも珍しくはないが、リトアード公爵がジラルドの婚約の際に出した条件が成人後だったらしい。既に相手はジラルドではないが、学園卒業後という方針を国王は変えなかった。ならば、誕生日がちょうどいいだろうということで日にちが決められたのだ。
世の女性たちにとって、結婚は人生の一大イベントだ。よほどのことがない限り、離縁することは認められないというのが一因でもあるだろう。更に、男性は複数の妻を持てるが、女性側は生涯一人の夫に尽くすことになる。それだけ結婚という行事は、女性にとって重大な行事なのだ。重大なことだからこそ、大事な日に行いたいという女性は多いらしく、その一番多いのが誕生日に行うことのようだ。とはいえ、全ての女性がその日に行えるとは限らない。政略結婚ならば尚のことだ。だからこそ、ナリスは羨ましいと言ったのである。
「アルヴィス様も楽しみでございますか?」
「……どう、なんだろうな。おおよそ想像していなかった未来だ。誰かと添い遂げるとは考えていなかったから」
あの日以来……その言葉を呑み込んでアルヴィスは息を吐いた。
アルヴィスとて最初から今の様に考えていたわけではない。寧ろ、その逆だ。早めに結婚をして家を出るべきだと思っていた。そうすれば、兄が心置きなく家を継げる。貴族としてではなく、騎士として生きていければいいと。だが、現実はそう簡単ではなかっただけで。
どれほど口では言っていても、結局これまでアルヴィスが出会ってきた女性たちは、アルヴィスを公子として、そして王弟の息子としてしか見ていなかった。その先にあるのは、ベルフィアス公爵家との繋がり。酷い者たちの中には、兄から後継を奪おうという魂胆も見えていた。ベルフィアス公爵家は、マグリアが継ぐ。それだけは変わらない。そのため、その危険因子になり兼ねないのならば、結婚などしなくてもいいという考えに至ったのだ。
そんなアルヴィスでも過去には将来を考えた相手がいた。平民だったが、それならば貴族同士の権力争いに巻き込まれることがないと思った。だが、それも間違いだったのである。彼女の背後には、貴族がいたのだ。初めからアルヴィスを抱き込むつもりで近づいたのだと。それさえなければ、近づいたりしなかったと。
『貴方が、いなければ良かったのに……いなければ幸せだったのに……』
涙を溜めながら彼女に言われた最期の言葉は、今でも忘れられない。
学園に入学してから思い出すことはなくなった記憶。それを今思い出してしまったのは、結婚式が来週に迫ってきたからなのか。それとも、心を許すなという暗示なのか。
「……ナリス」
「はい?」
「俺は、エリナを幸せにできるだろうか?」
「アルヴィス様?」
アルヴィスはエリナに好意を持っている。それだけは間違いない。だが、思い出した記憶がそれを邪魔する。エリナから好意も伝えられているというのにだ。
「いや、らしくないな。すまない、忘れてくれ」
未来のことなどナリスに聞いても分かるわけがない。それに、ナリスたちはきっとアルヴィスを肯定してくれるだろう。大丈夫だと。答えがわかり切っている質問に意味はない。アルヴィスは自嘲気味に笑った。
「アルヴィス様の幸せの定義がどこにあるのかはわかりませんが、少なくとも我々はアルヴィス様にお仕えしていて不幸だと感じたことはありません」
「……」
「ですから、そのお言葉はエリナ様へお尋ねください。それを決めるのはエリナ様自身でございます。アルヴィス様ではございません」
肯定の言葉が来ると思っていたナリスに対して、アルヴィスは目を見開いて驚く。そのアルヴィスの様子にナリスは逆に微笑んでいた。
「アルヴィス様が何を思ってそのようなことを仰っていらっしゃるのかはわかりません。ですが、不安なのはアルヴィス様だけではございませんでしょう。エリナ様もきっと、同じようにアルヴィス様のことをお考えになっていると思いますよ。思っていることは、言葉に出してもらう方が安心します。今のアルヴィス様のように」
「そうか。そうだな」
寧ろエリナの方が不安は多いはずだ。アルヴィスよりももっと。過去に囚われている場合ではない。
ふぅと息を吐いて気持ちを落ち着かせる。そしてアルヴィスはスッと立ち上がり、窓際へと移動した。その方角には、学園がある。今頃、式典は始まっているはずだ。
「卒業おめでとう、エリナ」
聞こえるわけではないが、アルヴィスは学園の方を見ながら言葉を紡いだ。