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ベアトリーチェ・ディ・メディチの肖像30

ーーコンスタンティノープル・グランドバザールーー

「な、あの兄弟ってやっぱり変…だよな?」

エンリコは往来の砂っぽい空気に閉口して、ターバンを口の辺りに巻きつけた。アーンミヤが、前を行く倭文とベアトリーチェから目を離さずに口早に決めつける。

「シッだからこうして追っかけてるんでしょ。絶対怪しいわよ、あの2人はね…船ん中でだって一時も離れたことがないし、異母兄弟だっていうけど、それにしちゃ違いすぎるあの容姿ーーそれにこれは女の感だけどね、あの2人に漂う雰囲気、あれは絶対兄弟なんかじゃないってば船から降りて2人っきりになったら案外本性が出るかも…」

「ってことは…やっぱり…クソォーっ倭文の奴、自分はいかにも清廉潔白ですってな顔して…」

「ウ…シズ、ロレンツォ行くー」

倭文達を心配して、これまた後からついてきたダンが、アーンミヤのベールを引っ張ってのっそりと前方を指差した。

「キャア見失っちゃうっ」



夕暮れ時のコンスタンティノープル、ガラタ橋付近。薄紫色の帷が、この東西の文化の入り交ざった都を包む頃、ペッキーノ船長の率いる隊商は久方ぶりに陸地に上がった。

船での旅はこのコンスタンティノープルで終わり、ここから先は砂漠を越える陸地の旅が続くのである。旅に必要なラクダや食料を揃えるために、ここでは2、3日ゆっくりできるはずだった。

船を港に着けると、ペッキーノはいち早く倭文とベアトリーチェに医者を紹介してやった。そして今、医者を求めて歩く倭文とベアトリーチェの後を、スルタンの兵隊に見つかる危険を侵すアーンミヤ・ヌール、仕事をそっちのけのエンリコ、そしてダンの3人組がそれぞれの思惑によって追っているというわけなのだった。



「しかし、水銀中毒とは穏やかじゃないよなぁ…」

辺りはいつの間にか、有名なグランドバザールに入っていた。夕飯時で賑わう屋台の人混みを掻き分けながら呟いたエンリコは、突然止まったダンの背中にいやというほど鼻をぶつけた。

「痛ッ!おいっ、デカイ図体のくせに木偶の坊みたいに突っ立つな!!」

腹立ち紛れにエンリコが、壁のようなダンの背をひっぱたいた時だった。

「ア…ウ……」

叩かれたなど蚊ほども感じないダンは、前方を一心不乱に見つめていた。その様子に気づいたアーンミヤが共に視線を移す。その先に見えたのはなんと倭文とベアトリーチェの後を追う4,5人の男達だった。皆商人に身をやつしているものの、一様に無表情で暗い影を宿していた。

「ちょっと…あいつら、倭文達をつけてるんじゃー」

「ああ…どうやらそのようだ、な」

彼らはとりあえず、ゆっくりとその後について行った。



さてその頃、後方の人間達の思惑も知らず、倭文とベアトリーチェはグランドバザールにあるという医者を捜して歩いていた。特にベアトリーチェときては何日も続いた大海原の景色に飽き飽きしていたところだったので、倭文の心配をしながらもその視線はしばしばバザールを行き交う人々や、売られている品へと向いてしまうのだった。

「すみません、この辺りにムハンマド・アリというお医者様はいませんか?」

しばらく行った所で彼女は果物売りの男に目指す医者の名を尋ねた。

「おお、いるともさ。この小路をまっすぐ行って三つ目の角を曲がった所だ…坊主、そんなにリンゴが食いたいのかい?」

気の良さそうな男は他の客にナツメの実を包みながらベアトリーチェに答えたが、山と積まれた果物の前で彼女が目を皿のようにしてリンゴを見つめているのに気づくと、いくぶんギョッとしたようにその手を止めた。

「え?ええ…長いこと海ばっかり見てきたものだから、この赤がとても新鮮に見えて…つやつやしておいしそう。ね、倭文?」

「よっしゃ、持っておいき坊主。褒めてくれた礼だよッ!」

「ありがとうーー」

フィレンツェの祭りではいつも、気さくに庶民の中に入っていったという曾祖父や父の血を引いているせいだろうか?ベアトリーチェは投げ渡されたリンゴを両手で受け止めると人懐こい笑みを浮かべた。

そんな彼女を見つめていた倭文の面にもいつの間にか微笑がのぼっていた。

「リンゴが欲しかったのなら買ってあげたのに……」

「あら、私別にリンゴが欲しかったというわけではないのよ。見惚れていたの。レモンの黄色や瓜の緑、ナツメの琥珀色ーリンゴの赤を見ていた時に偶然あの人と目が合って…ね、倭文。私やっぱり旅に出てよかったわ。フィレンツェのパラッツォにいたのではこんな新鮮なものに出会うこともなかった…ここは何もかもが生き生きと輝いて見えるわーここでならきっとあなたの病気も治ると思うの」

「そうだとも、君のその笑顔が私にとって1番の薬なんだから…しかしー」

倭文は肩の傷を庇いながらクスクスと笑った。

「君もそうとうミケランジェロに感化されてるんだね。リンゴやレモンに見惚れるなんて…かわいそうに、あの男は呆気にとられて君を見ていたものだから他のお客に怒鳴られてたよ」

「失礼ね!ミケランジェロならあんなものじゃなくってよ。夢中になったら1日中ー」

ベアトリーチェはふいに口をつぐんだ。倭文との間に人が入り込んできたのである。立ち塞がった人影を何気なく見上げたベアトリーチェの瞳が大きく見開かれた。

「お捜し申し上げました、ベアトリーチェ様ー殿様はいたくご心痛であらせられますぞ。兄君ジョヴァンニ様も…さ、何卒大人しくご帰還遊ばされませい」

「い…嫌っ!倭文!!」

すでに2、3人の男達に囲まれていた倭文は彼らを振り払おうとしたが、その動きは素早く封じられ反対に傷口に当て身をくらってうずくまってしまった。

「何をするの!!」

悲鳴混じりのベアトリーチェの叫びに、しかし男達は答えられなかった。

「ウワッ!」

「な、何だ、これは!?」

彼らの質問に答えるようにバラバラと降ってきたのは、店頭に積んであった瓜やらレモン、魚やシシカバブ、香辛料の入った袋だった。

「いいよっ、その意気だっ!もっとやっちまいな、ほらほら!!」

「いてっ…私にぶつけるんじゃない、アーンミヤ!」

「ガウーッ!!」

聞き覚えのある声に驚いてベアトリーチェと倭文が顔を上げると、そこではアーンミヤ、エンリコ、ダンが店頭に積んである品物を取っては投げ、投げては取り、男達に向かって大立ち回りの最中であった。しまいに男達はダンに投げつけられた胡椒の袋を頭からまんべんなく被り、くしゃみが止まらなくなってしまった。

品物をメチャクチャにされた商人達は真っ赤になって怒り出し、野次馬がゾロゾロと集まりだして、彼らはベアトリーチェ達を捕まえるどころではなくなっていた。

「何やってんのよ。さっさとこっちへおいでったら!せっかく助けてやったのに」

3人はどさくさに紛れて駆け寄った。思わぬ助っ人の出現に呆然としていたベアトリーチェは、アーンミヤのしなやかな腕が延びて自分の手を取ったのを夢のように見ていた。

「シズ、ダン引き受けた」

言うや否やダンは倭文を肩に担ぎ上げるとアーンミヤの後について走り出した。口を引き結び、人混みの中でアーンミヤを見失わないように瞳をキョロキョロさせる彼の表情は真剣そのものである。しんがりにエンリコがついて見張りと、彼らの逃走に気づいた者への攻撃を行なった。

「ほらよッ、これでも喰らえ!!」

コンスタンティノープルの夕焼け空に真っ赤なリンゴがひとつ舞った。

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