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「田丸さん。もう少し僕の近くにきてください」と七福神の水墨画を丁寧にしまったあとで深津先生が言ったので、硯は座布団をもって、深津先生のもう少し近くまで移動して、正座の姿勢できちんと座りなおした。

 それから、ごほんとわざとらしく一度、咳をしてから、「田丸さん。お弟子であるあなたに僕から師匠として贈るものがあります。もらってくれますか?」と硯の顔をまっすぐに見て、真剣な顔をして深津先生は言った。

 その深津先生の言葉を聞いて、その真剣な顔を見て、硯は今、深津先生がとても大切なことを言おうとしているのだと気がついた。(だから、さっきまで以上にぴしっとした気持ちと姿勢に硯はなった)

「深津先生。……、それは、今の私が深津先生からもらっていいものなのでしょうか?」と真剣な目をして(深津先生の目を真っ直ぐに見て)硯は言った。

「はい。もちろんです」とにっこりと笑って深津先生は言った。

 それからゆっくりと動いて深津先生のお仕事部屋にある古い箪笥の中から深津先生が取り出して、硯の前に出してくれたものは、小さな細長い古い箱だった。(古いけど、とても大切にされていることが、見ただけでよくわかった)その古い箱を深津先生があけると、その中に入っていたのは古い筆だった。古いけど、よく手入れがされていて、それは、ずっと大切にされてきた筆であると、水墨画を子供のころから描いてきた硯には一目見ただけで、すぐにわかった。(大きな感情が心の底から沸き上がってきて、なんだかすごくどきどきした)

「これは僕が初めて水墨画を描き始めた小さな子供のときから、ずっと使っていた大切な筆です。ずいぶんと古い筆ですけど、はじめから、この筆は僕のお弟子である田丸さんに贈ることを決めていました。受け取ってくれますか? 田丸さん」と深津先生は言った。

 ……、硯はそんなことをとっても尊敬している深津先生に突然言われて、とても感動しながら、胸がいっぱいになって、なにも言えなくなって、少しの間、黙ったままずっと古い筆を見ていたのだけど、時間がたって、深津先生の顔を見て、ようやく最初に言葉になったのは「……、どうして、今なんですか?」と言う言葉だった。

 その硯の言葉を聞いて、深津先生はふふっと笑うと、「そうですね。実は僕にもよくわかりません。本当はもう少しあとに渡すつもりだったんですけど、でも、今日、田丸さんの顔を見ていたら、ふと、この筆を今、田丸さんに渡したいって思ったんです。そうするべきだと自然とそう思えたんですよ。まあ田丸さんが僕のお弟子になってから、今年で十年という節目でもありますし、ちょうどいいんじゃないかなと思ったんです」とにっこりと笑って硯に言った。

 その深津先生の言葉を聞いて、硯は我慢しきれなくなって、その場で涙をぽろぽろとこぼして泣き始めてしまった。

「……、ありがとうございます。深津先生。いただいたこの筆は生涯、大切にします」と頭を深々と下げながら、涙でつまったとぎれとぎれのかすれた声で硯は言った。

 最近、深津先生の前で泣いてばかりいるから、今度はなんとか、泣くのは我慢しようと頑張ったのだけど、……、やっぱり全然だめだった。

 硯は深津先生の手から、直接、筆を受け取りながら、深津先生のお弟子になって本当に良かったと思った。

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