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結局、硯は我慢しきれなくなって、深津先生の七福神の水墨画を見せてもらうことにした。(墨にちょっと深津先生のところに行ってくると言って硯は部屋を出て行った)
「深津先生。硯です。お邪魔してもいいですか?」と少し離れたところにある深津先生のお仕事部屋の前で、小さな声で言うと、部屋の中から少しして、「うん。はいっていいよ」と深津先生の声が聞こえた。
すると硯はにっこりと笑顔になって、「失礼します」と言って、ゆっくりと深津先生のお仕事部屋の障子を開けて、部屋の中に入った。
深津先生の仕事部屋はあいかわらずとても綺麗で、いい匂いがした。いい匂いとは香水のようないい香りという意味ではなくて、古い木の匂いや、墨の匂いや、水墨画を描くための年季の入っている道具の匂いや、描きかけの水墨画それ自体の匂い。畳や障子の匂いや、古い箪笥の匂いや、お部屋自体の匂いや、それから、深津先生のお部屋の中に残っている深津先生自身の匂い。そんないろんな匂いが混ざった硯の大好きな匂いだった。(硯は子供のころから、この深津先生のお仕事部屋の匂いが大好きだった)
深津先生は水墨画の前に正座をして座っている。そこからお仕事部屋の中に入ってきた硯のことを優しい目をしてじっと見ていた。(そんな深津先生は墨とそっくりだった)
そこにある水墨画はまだ下書きの段階の七福神の水墨画だった。硯は深津先生のお仕事部屋を訪ねたわけを話した。すると、深津先生は笑顔で、「もちろん。どうぞ」と言って硯に描きかけの七福神の水墨画を見せてくれた。
それから硯は夢中になって、深津先生の描きかけの七福神の水墨画を一枚一枚、ゆっくりと時間をかけて見させてもらった。
「深津先生。お仕事中にお邪魔しました。ありがとうございました」と満足するまで七福神の水墨画を見せてもらったあとで、興奮した顔で硯は言った。(すごく刺激的な、とても勉強になる時間だった)
それから硯は深津先生のお仕事部屋を出ていこうとしたのだけど、「ちょっと待って。田丸さん。もう少しだけ時間大丈夫かな?」と深津先生は言った。
「? はい。もちろんです」と言って、硯は座布団の上に正座ですぐに座りなおした。
……、深津先生が私に用事って、いったい、なんだろう? と言った不思議そうな顔をしている硯のことを、なんだかとっても楽しそうに子供っぽい顔でにこにこしながら、深津先生はじっと見ていた。




