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透明  作者: 弘奈文月
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「可愛い可愛い俺のコイビト」

 

 起き抜けに携帯を見てみたけれど、やっぱり恭平からの連絡は無かった。達哉の連絡先は最初から登録していなかったし、二人と連絡が取れたとして文句を言うにしても――今後、どうなるか分からない状態で無闇に首を突っ込むのは危険過ぎる。また良いように知らないところで使われては堪らない。


 身代わりとして差し出されたらしい私が光渦高校所属の羽柴充と付き合うことにより、光渦高校と協定を結んでいる都波高校が勝手に手を出せなくなった、っていうのは事情に詳しくなくても理解できる。

 昨夜、羽柴が「美崎に連絡を回せ」と言ったのは自分がターゲットの女と付き合うことになったから手を出すな、ということを暗に伝える為だろう。


 単純に私と付き合ったことを報告するだけ、とは考えられない。

 報告する意味、報告することによって得られる結果。

 それがつまり、私の身柄の保護ということなのだろう。

 美崎、という人物が都波高校に近しい、若しくは都波高校の生徒と考えれば辻褄は合う。


 けれども、羽柴充が通う光渦高校と都波高校は協定により私に手を出せなくなったとして、達哉がした事がチャラになる訳ではないと羽柴充も言っていた。だとすれば、都波高校はまた達哉の妹を差し出せというのか、それとも直接的に達哉に仕返しをするのか。


 そもそも、都波が達哉の妹を差し出して達哉のしたことをチャラにすると言ったなら、達哉が所属する高校よりも都波の方が強い立場ということになる。達哉と恭平が通う高校――芝原高校は都波よりも弱いから妹を差し出す条件を一旦はのみ、やはり納得出来ずに代わりに私を生け贄にした、それが正解なのだろうか。


 憶測ばかりじゃ真実は何ひとつ分からないけれど、考えてみて思ったのは


「不良高校生って意外と大変」


 ということだった。



 大体、私が巻き込まれたのは本当に事故みたいなもので、実際はほぼ関係がないのだから知らん顔をしていてもいいはずだ。羽柴充は巻き込まれた以上知っておくべきだとかなんとか言っていたが、状況を把握しても根本的な解決にはならない。それなら、すべてが落ち着いて元に戻るまで大人しくしている方が楽で良い。



 夜勤明けは大体この時間――午後三時頃に目を覚まして、まずはお風呂に入る。それから遅い朝食兼昼食を食べて、出勤時間である午後九時まで家事をやったり本を読んだりして比較的のんびりと時間を過ごす。


 今日も夜勤だ。というより、基本的には夜勤だ。夕方からの場合もあるが、大抵誰かの代わりに出ているだけで決まっているシフトは全て夜。深夜は客も少なくて、静かで、作業に没頭できるから好きだ。


 ソファーに座ってまったりとお茶を飲みながら寛いでいると、不意に携帯が鳴り出す。


 着信音は初期設定のまま。好きなアーティストもいなければ、好きな曲というのも特にない。そもそも携帯電話なのだから、電話らしい着信音で着信を知らせるべきだ。


 こんな時間に……まさかね。


 と、思いながらディスプレイを確認したら、やっぱり羽柴充だった。


 みーくん、という名前が画面でかでかと出ているのを見て、そういえば登録名を変えようと思っていたことを思い出す。後で変えておこう。



「はい」

「あ、りんちゃーん?おーはーよー」

「……おはよう」


 やる気なさ気な声。羽柴充の間延びした喋り方は人の調子を狂わせるにはもってこいだ。優雅な時間が一瞬で弾け、脱力感に見舞われる。

 何だろう、このマイペースさ。いっそ凶器にも成りうる。

 見た目はそう悪くはないんだから――派手ではあるが――普通に話せば、より格好よく見えるだろうに。いっそ何か拘りでもあるのかとつい余計な事が気になってしまう。


「あのさぁ、りんちゃんって今日はバイト、朝までコース?」

「言い方がちょっと気になるけど、朝までコースで間違いはないよ」

「んじゃ、終わったら朝迎え行くから待っててねぇ」

「……なんで?」


 迎え、というのは。


「え、なんでって言われても。彼氏だし?」

「じゃなくて学校は?明日平日なんですけど。まさかサボるとか言わないよね」

「ははっ。サボる訳ないじゃーん。最初から行かないってばー」


 不良とは登校しなくても卒業させて貰える存在なのだろうか。真面目に考えそうになって、そんな訳がないと現実に返る。そうか、これがヤンキーなんだ。私みたいな普通の女には到底理解できない存在なのだろう。




「恋人の気遣いを無碍にするようで非常に申し訳ないけれど、迎えには来なくていいから学校に行って下さい」

「んー……じゃあ、こうしよう。本当は行かないつもりだったけど、りんちゃんのお迎えに行って家まで送った後はそのまま学校に行く。それで手を打とう?りんちゃん」


 何故か私が諭されているが、敢えて触れないことにしよう。学校へ行くと彼は言ったのだ。言質はとった。ならばその後のことは私が知る由もない。不良高校生を学校に行かせようと私はきちんと注意しました。許せ、彼の親御さん、光渦高校の教師陣。私は悪くない。


「分かった」

「じゃ、とりあえず今から行くねぇ」

「は?」

「ばいばい」

「ちょっとっ……!」


 通話の終了を知らせる無情な音が響く。つーつーつー。

 私は唖然としたまま、数秒間は動けなかった。羽柴充はなんと言った?



 ――今から、来る?


 とにかくかけ直してみたけれど、一向に電話に出ないのは確信犯なのだろうか。五分ほど掛け続けて、最終的に私は切り替えた。


 さて、流石にジャージはどうかと思う。

 恭平の前でもシンプルなルームウェアを着ていたのだ。こんな灰色でだぼついたぼろぼろのジャージを見られたら女として、いや、社会人として終わる。慌てて寝室のクローゼットを開けてそれなりの私服に着替える。次は部屋だ。一先ずリビングだけはざっと片しておくことにした。そして、片付けが粗方終わったところでふと私は気付く。


 家に入れる必要はあったか。

 ――いや、ない。


 勝手に来ると言った相手を、どうして私が気遣って慌てて部屋を片付けなくてはならないのだ。そう気が付いた時にはもう遅かった。


 エントランスからのチャイムだと思ったけれど、インターフォンに映し出されている映像は部屋の前。玄関に向かい鍵を開ける。しまった、チェーンをしていない!


「やほーい、りんちゃん」


 無地の黒いパーカー。ずらされたサングラス。

 別れた時と同じ格好の羽柴充は無邪気な顔で口角を上げそこに立っていた。





「エントランスからどうやって入って来たの?」

「知らないオヤジの後ろに張り付いて、さりげなーく入って来たよ」

「それ犯罪一歩手前だからやめようね。通報されてるかも知れないよ」

「細かい事はイイから入れて」

「嫌です」


 がっ。がががっ。ぎゅうぎゅう。

 靴が強引に捩じ込まれる。お前は悪質な訪問販売員か!


「部屋、散らかってるから。汚いから!女子の部屋に急に来るとか反則だから」

「うんうん。そうだねぇ。お邪魔しまぁーす」

「羽柴!ちょっと、聞いてる!?」


 ずかずかと中に入って行く羽柴に声を荒げてはみるけれど、効果は全くないらしい。振り返りもせず靴を脱ぎやがったこのやろうの背中に靴でも投げつけてやろうか。――まぁ、うん。確かに、お邪魔しますときちんと言った所は達哉より好評価だけれど、自分のテリトリーに無遠慮に入られるのはやっぱり嫌な気分だ。


 リビングへ続くドアを潜って部屋に戻ると、羽柴充はくるりと振り返って爽やかに笑う。


「強引に入っちゃってゴメンねぇ。こうでもしないと中々入れてくれないかなと思って。はいこれ、チーズケーキ。嫌いじゃない?」


 つ、釣られてる訳じゃないけれど、達哉よりはかなりマシかも知れない。と言うより、上手だ。恭平は手土産なんて一度も持って来たことないし、私を気遣う素振りを見せるのは達哉が居ないときだけだった。


「きらいじゃない。普通のショートケーキよりは好き」

「マジで。よかったー。あ、りんちゃん、タルトは好き?」

「うん。フルーツタルトが一番好き」

「じゃあ次来るときはタルトにするねぇ。楽しみにしてて」


 羽柴にはい、と渡されたチーズケーキの箱はそこそこの大きさで、私への手土産にしては随分とサイズが大きい。思った以上にずっしりとしていることに不安が過ぎる。


「わざわざ手土産なんてありがとう。でも、ねぇ、これ、何個入り?」

「りんちゃん、一人暮らし?」

「そうだけど……」


 まさか。


「……マジ?俺さぁ、ご家族にもアイサツしとこっかなぁって思って十個も買ってきちゃったんだけど、りんちゃん食べられそう?」


 ばかだ!なんで聞かないの!そういうことは普通先に聞いてから買うものでしょう!

 盛大に顔を顰めた私に羽柴充があちゃあと笑う。


「一人で全部ーとか、やっぱ無理?」

「普通に無理でしょ。っていうか、家族がいるって考えても十個って数はおかしいから! どれだけ大家族だと思ったの。どこでそう思ったの」

「失敗だねぇ」


 質問に何故答えない。羽柴充は飄々とした態度で部屋の中を見渡す。聞いてないなこいつ。


 折角持ってきて貰ったのだから、とキッチンへ行ってチーズケーキを二つだけ別々のお皿にのせる。箱は冷蔵庫に仕舞う。食べきれるかな……無理っぽいな……。遠い目をしながらも、正直に言うと手土産なんてものは貰ったことがなかったから嬉しかった。ちょろい。私、ちょろすぎる。悔しいから嬉しいだなんて絶対に悟らせないけれど、若干お茶を淹れる動作が浮かれ気味にはなった。





 ティーカップなんてお洒落なものは家には存在しないので、マグカップに紅茶を淹れてケーキと一緒のトレイにのせる。リビングに戻ると羽柴充は未だ立ったままで、興味深そうにあちらこちらを見渡していた。


「りーんちゃん、慌てて片付けたりしちゃった?」

「なっ……」


 何で分かったの、と絶句した私に羽柴充は意地悪く笑い、衣類を収納しているボックスを指差した。


「見えてるよねぇ、アレ」


 ボックスから僅かにはみ出した衣類とテレビのリモコン。慌てていたからリモコンまでそこに押し込んでしまっていたらしい。


 途端に恥ずかしくなって、はみ出したリモコンを収納ボックスから引き抜いて乱暴にテーブルへと置いた。



「――可愛いやつ。焦ってんだ?」


 急に声色を変えた羽柴充に内心どきりとして俯く。


 どうして急に話し方を変えたりするんだろう。


 彼なりに何か切り替えスイッチがあるのだろうけれど、知り合ったばかりの私がそれに気付く筈もない。真面目な時と、不真面目な時。気分が良い時と悪い時。そんな違いなのだろうか。


 じゃあ、今は――どんな状態で、言葉を発しているのだろう。




「リン。なぁ、こっち向けよ。ほっぺた、真っ赤になってる」


 リンってあだ名が無かった訳じゃないけれど、呼ばれて久しいあだ名に反射的に肩が跳ねる。腕を引かれて振り返った先には意地悪そうに笑う羽柴がいて、雑な片付けをしてまで彼に取り繕っていた自分がまた恥ずかしくなった。


 誰にでもいい顔をして――

 嫌われたくなくて――

 自分を見て欲しくて――


 八方美人癖はこんな時でも抜けなくて、苦笑いしか出ない。




「話し方、統一して。すごく違和感あるから」


 苦し紛れに放った文句は思ったよりも効果があったらしく、羽柴充は虚をつかれたようなきょとんとした顔になった。


「それがいいんだろ?口調が変わると戸惑わねぇ?」

「性格悪いよ。人が戸惑ってるのが楽しいなんて」


 ふっ、と彼は笑う。性格悪いと言われたのが、まるで褒め言葉にでも感じたみたいだ。


「結構役に立つんだよな。程よく間延びした口調ってのも、威圧的な口調ってのも。――それより、苗字で呼ぶの止めろよ。すげぇ痒いから」

「痒いって言われても」

「みーくんって呼んでよ、ねぇ、りんちゃん。そう呼ぶやつ、いないからさぁ」

「その二重人格みたいなの、ちょっと寒気がしてきた」


 俺様なのかチャラいのかはっきりして欲しい。それなりの対応の仕方っていうものがある。


「……可愛い」

「どこが!?今のどこが可愛いの!?」

「そういうとこ」


 有無を言わさず引き寄せられて、合意もないままに再び唇が重なった。今度は触れただけの軽いキス。挨拶のような、深い意味を持たないであろう、軽い感触。



「みーくん、で」

「……そんな可愛いあだ名が似合うような図体じゃないでしょ」


 身長が高いのに。


「じゃあ、痴女って呼んでいーの?」

「……それは、ちょっと」

「んー?なあに、痴女。聞こえないけどー」


 本当に性格が悪い。ここで渋るのも面倒だし、しょうがないから呼んでやってもいい――なんて思って呼ぼうとしたのだけれど、案外愛称というのは呼びにくいものだった。


 仲がそんなに良くないのに馬鹿っぽい愛称で呼ぶだなんて、自分がまるで羽柴充に甘えているように思えて。何度か口を開いては閉じ、繰り返し音を出さずに呼んでみると若干いけそうな気がしてくる。ええと、じゃあ、はい、呼びます。呼ぶんで、痴女はやめてください。


「みー、くん」


 一瞬の沈黙。顔から火が出そう。というか血圧が上がってる気がする。


「……きた。きたこれ!えー、なに、りんちゃん、可愛い。リン可愛い、どうしよ。なにこのイキモノ」


 羽柴充のツボが私には全く分からない。冷めた目で見てしまうのも無理はないと思う。ダン!ダン!と床を叩いて悶える羽柴充を視界に入れつつもちょっと後退る。防音だからまぁ多少は叩いても大丈夫だけど気持ち悪いから声かけたくない。


 チーズケーキを先に食べてしまおうかと視線を外した瞬間――


「決めた」


 どうやら立ち直ったらしい羽柴充はぺろり――と言うにしては可愛くない――舌舐めずりをして、何かを決意した。不審に思いながら目線だけで先を促した私に彼はにやりと笑う。


「つまんなかったらすぐ別れるつもりだったんだけどー……りんちゃん思った以上にマジになれそーだから、暫く付き合ってよ。ずっととは言わないし」

「はあ…?」

「久々に背筋がゾクゾクしてんだよねぇ。ホントに久々。四年ぶりくらい?」

「へ、へぇ。風邪を引いたのが四年ぶり?すごい健康体だね、みーくん!」

「ってコトで宜しく。りーんちゃん」


 耳にじゃらじゃらついた沢山のピアスを鳴らして羽柴充は寄ってくる。びくびくと後ろに下がっていく私を追い詰めて、ついに逃げ場がなくなるまで追いやったかと思うと、一体何を思ったか腰に腕を回してきた。


「次、みーくんって呼ばなかったらコンビニで痴女って呼ぶから気をつけてねぇ。可愛い可愛い俺のコイビト」



 ――小悪魔、と。


 唐突に浮かんだ単語は、確か女の子に対して使われるものだったはずだけれど。


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