「売られた?」
目と目が合う~
“本当にごめん”
翌朝、恭平から来た大量のメールを躊躇いなく削除していく。
返信は送らない。
送らなくても次の行動は大体分かっている。
タイミングを計ったかのように、来訪者を知らせるチャイムが鳴った。エントランスについてあるカメラが私の部屋のインターフォン画面に、来訪者――恭平の顔をはっきりと映し出す。
ほら来た。
朝から迷惑も考えずに、自分勝手に。
映っているのは恭平だけで達哉の姿は見えない。
謝りに来たんだからそれもまぁ当たり前か、と半ば呆れながらロックを解除した。
きっと、恭平はこう言ってくる。
“別れたくない”
玄関のチャイムを鳴らした恭平を迎え入れる為に、ドアへと歩みを進める。チェーンを外してドアを開けると、眉間に皺を寄せた恭平が立っていた。
「言っておくけど、私が悪いとは思ってないよ。達哉はもう入れないで」
本当に限界なのだ。
だから、先に釘を刺しておく。
恭平はやけに真面目な顔で私を見た。
「鈴……」
どうせいつものように謝って、いつものように私をまた都合が良い金蔓にするんだろうと高を括っていた。
「なに」
素っ気なく返事をして恭平をじっと見つめる。
私の目は謝らないと強気に出ていることだろう。
恭平は気まずげに目線を反らし、俯いた。
「別れねぇ?俺ら」
「だから許さない……って、え?」
今、なんて?
「――別れてくんねぇかな」
ぴしりと固まった私に視線を合わせて、更に二回も恭平が言った言葉に、私は完全に度肝を抜かれた。
別れる?
私と恭平が?
驚きのあまりぽろりと仮面が剥がれそうになった私の前で、恭平は申し訳なさそうな顔をする。
えっと、ええっと。
「……分かった。別れよう」
これで、いいんだよね。
沸き上がる感情を必死に押さえて私は恭平にそう答えた。
くぐもった声になったけれど、きちんと答えられたと思う。恭平が更に申し訳なさそうな顔になったことで、私の“悲しさ”が恭平にも伝わったのだと分かる。よかった。
「悪ぃ、鈴」
「何回も謝らないで。分かったから。今までありがとう」
早口になりながらも別れの言葉を恭平に告げて、私はドアを閉めた。
珍しく中に入ろうとしなかったのは、別れたかったからか。
なるほどね、と納得しながら寝室に入ってベッドに身体を投げ出した。
「……い、」
抱き枕をぎゅっと抱き締めて顔に当てる。
声が漏れないように、力強く押し付けて。
「……ぃやったああぁぁ!」
込み上げてくる歓喜の感情を惜し気もなく晒しながら、私は漸く本物の笑みを浮かべた。
棚からぼた餅、良いことわざだと思う。
恭平は私がこんな風に喜んでいるなどとは到底気が付いてはいないだろうけれど、間違いなく私は心の底から歓喜し安堵していた。
初めて恭平から別れを切り出された。
それは、私にとって、一番都合が良い別れ方だったのだ。
歓喜していた私は気付かない。
どうして草食系男子だったあの恭平が、急に私に別れを告げたのか。
恭平の真意に全く気が付かなかった間抜けな私は後に後悔する事になる。
――それは、すぐ傍まで近付いて来ていた。
「柏木鈴子、はっけーん」
コンビニのレジで男は笑った。
ひと目で危ない奴だと分かる容姿、金髪メッシュの髪に舌ピアス。
切れ長の目はゆるりと細められて、私を威嚇するように真っ赤な舌を顕にし、捕食を開始する寸前の蛇のような舌舐めずりを見せつけてきた。
「だれ?」
深夜二時半頃。
私が働くコンビニへと先ほど入って来たこの男は、迷わずに雑誌コーナーへ向かい呑気に雑誌を立ち読みしていた。はず、なのに。
気が付けばブラックガムと十八禁のアダルト雑誌をレジに置き、何故かレジ前でしゃがみこんで頬杖をついていた。
レジで備品の補充をしていて、情けないことに全く気が付かなかったのだ。ある程度補充し終えて振り返ると、男は既にその場にいた。
しゃがみこんではいるけれど、きっと男は身長が高い。百七十センチは超えているはずだ。恭平が百七十二センチだったから、なんとなく分かったのかも知れない。
「ねぇ、今日はいつ終わんの?」
「はい?」
問い掛けられた言葉に呆ける。
終業時間を聞いたということは、私に用事がある訳で。
さっき名前をフルネームで告げられた事もあり、警戒心はうなぎ登り。
こんな派手な見た目の知り合いはいないし、いたら直ぐにでも縁を切っているだろう。
ライトブラウンの髪に金色メッシュ、じゃらじゃらと耳たぶにぶら下がるピアス。
柄が悪いなんてもんじゃない。完全にこじらせている。
「まだ終わりませんので」
今日は時間が短く、本当は三時に仕事が終わる。三時からは店長が入る事になっていて、私は店長が戻るまでの繋ぎとして出勤していた。
「嘘はいけないなぁ。三時で終わるんだよねぇ?」
ぞわり、と寒気が襲う。
どうしてそれを知っているのか分からなくて、気色が悪い。にやにやと楽しそうに笑う男はそんな私の反応に大変気を良くしたらしい、更に不気味に笑みを深め、可愛らしさの欠片も感じられないがこてんと小首を傾げてみせた。
あ、やばい。これは、やばい。
関わっちゃいけない人間だ。
派手さにばかり気を取られていたけれど、顔はそれなりに良い。ということは女に苦労なんてしていないタイプの人間だろう。そして、性格が悪そうなので私をからかいにかかっているか、もしくは賭け事とやらを仲間内で行っていてゲーム感覚で私にナンパを仕掛けて来ているのかも知れない。
――そう、思えば、逃げられる気がした。
動悸が激しくなるのを悟られないように静かに目を伏せて、知らない振りを貫き通す。
終業時間なんてきっと当てずっぽうだ。適当に言ったに違いない。名前を知っていたのも偶然で、この時間にここへ来たのもきっと偶然。そうに違いない。そうだと言って。お願いだから、構わないで。
出されていた雑誌とブラックガムのバーコードを読み取って、冷静を装いながら口を開く。
「えっと、何の話ですか。――お会計、千三百五円になります」
しらばっくれた私に男は声を上げて笑った。
ぺろりとまた舌舐めずりをして、ポケットから折り畳んだ一万円を出す。
「一万円、お預かり致します」
精算していた私を見て男は立ち上がり突然、前のめりになった。
上半身がレジカウンターを越えて私に近付く。
ひ、と声を上げそうになった。
「それ、キミの彼氏から貰ったお金。そいつさぁ……キミを“売った”んだよねぇ」
「は……?」
「うんうん、イイねぇ、その顔!きょっとーんってしちゃってさぁ、かぁわいい」
お釣りを手にしたまま固まる。
そんな私とは対照的に、ご機嫌な様子で身体を左右に揺らして男はにやにやした。
彼氏って。
売ったって。
なに?
「ほら、もう四十八分。終わったら出て来なよ?教えてあげるから」
袋にも入れなかったアダルト雑誌とブラックガムを手にお釣りを置き去りにして、男は出て行った。
恭平、あんた一体なにしたの!
――と、罵倒してやりたいけれど、それ以前に頭の中が整理出来ておらず私は立ち尽くす事しか出来なかった。
「お疲れ様でした」
三時になる五分前に店長はしっかり到着して、予定通りに私は上がる事になった。今日だけはそんな時間通りに上がれなくても良かったのに。
バックヤードに足早に入って退勤をタイムカードに刻む。制服も着替えずに真っ先に手にしたのは自分の携帯電話で、迷わず恭平の番号を呼び出した。
「どういうこと?」
苛立ちながら通話ボタンを押して耳に当てたら、ワンコールもせずに呼び出し音は切れた。
―――この番号からの電話は、只今お受け出来ません。
「うそ」
着信拒否?あの恭平が?
実はへたれで草食系男子の恭平が、私の電話を拒否?
とんでもなく最悪な状況だとひとまずは理解して、携帯をバッグに投げ入れてから盛大に項垂れた。
恭平があっさり別れた事に、疑いを持つべきだった。腐っても、いくらへたれでも、アイツは芝原高校の生徒で、あの高校の生徒は非常に柄が悪い。
あんな派手な知り合いはいない。けれど、思い当たる節はある。
恭平の知り合いだとか、先輩だとか、そういうことなら納得出来ない事もない。
制服のシャツを脱ぎ捨てて、鞄を手にバックヤードを出る。
冗談じゃない。
売られたって一体何のこと?
ドリンクコーナーでペットボトルのお茶を選んでレジに向かう。さっきまでドリンクを補充していてこの場に居なかったアルバイトのオッサン――レジの中にいる松山さんにお茶を突き出した。
「うん?柏木さんどうかしたの?」
「何でもないです。あ、袋は要りません。テープでお願いします」
「了解。帰り気を付けてね。外、何人か柄が悪そうなの居るから」
「……はい」
多分、待ち伏せされています。
とは言えなかった。
ここで警察を呼んだりしたらどんな返り討ちに合うか分からない。恭平が私を売ったなら、マンションだってきっとバレている。危害を加えられると事前に分かっていない以上、警察を呼んだとしてもその場では何もしてくれないだろう。そうなったら私は無駄に逆恨みされることになる。
松山さんからお茶を受け取って、精算した後は真っ直ぐコンビニから出た。
早く終わらせて帰りたい。
もう恭平とは別れたのだから、関係がないと突っぱねる事も出来る。
「うんうん。偉いねぇ。真っ直ぐ出て来たじゃん。よくできましたー」
「……ねぇ、さっきの、どういう意味?」
パチパチ、とわざとらしく拍手をした男に用件だけ投げ付ける。
二、三、四。
合計四人の男は全員が私服で年齢が判りづらい。高校生か、それとも卒業生か。
「キミを売ったってヤツ?それとも、一万円をキミの彼氏から貰った話?」
「どっちも」
さっきレジで私に話し掛けて来た男は地べたに座っていた腰を上げて、お尻の部分を軽くはたいた。
「それは車の中で話してあげるよ」
挑発的に笑って、親指で後ろを指す。
その先には黒いバンが駐車していて、後部座席にはスモークが張られていた。
どう考えても怪しい。
乗ったら最後、絶対に無事には帰れない。
そう思わせるには充分なくらい、怪しい雰囲気だった。
「乗らないから。今話して」
少し強気に言ってみる。
それで相手が何も言わなかったら逃げるつもりでいた私に男は携帯を取り出して目前にぶら下げた。
「何であんたが……」
恭平の携帯を持ってるの、と聞こうとして口を噤む。
もう関係ない相手なのに私が気にする事じゃないと断ち切って、金髪メッシュを睨み付ける。
「車には乗らない。ここで話して」
「んー?なぁんか、話に聞いてたのと違うなぁ」
「どういう意味?」
「コーコーセーに良いように使われてるオトナのお姉さん、って聞いたんだけど……大人しそうでもないねぇ。都合よく使われるタイプにはあんまり見えないけどなあ」
「……どうでも良いでしょ、そんなこと」
やっぱり恭平は私を都合が良い女だと思ってたのだろうか。
つい落胆しそうになったけれど、それでも良いと思ったのは自分だ。あんな奴だと知っていても手放せなかった私がどうこう言える事じゃない。嫌なら別れれば良かっただけ。それが出来なかったのだから、どう言われていようとも我慢するしかない。
思い直してすぐに思考を切り替える。
それよりも問題なのは、私を“売った”と言っていることだ。
「恭平が私を売ったって、なに?」
「そのままじゃんねぇ?売った。つまり、キミは俺らに名前と顔を知られた上に狙われてるってこと」
「狙われてる?……何で、私が?」
「芝原の達哉クンが卑怯な奇襲を仕掛けたんだよねぇ、都波の連中に」
「それで?」
「俺らは光渦なんだけどー」
――ちょっと待った。
「……あんた、高校生?」
見た目は成人していると言われても可笑しくないほど大人びてはいるけれど、言われて見れば落ち着きのない容姿は高校生かも知れないと思える。
光渦高校は芝原高校に並ぶくらい柄が悪いと聞くけれど、確か――
「隣街からわざわざ来たの?」
この街に男子校は五つ。
光渦高校は隣街にあるはずだ。
「そうなのよ、俺ら頑張ってるっしょ。だから、キミを逃す訳にはいかないってこと」
「達哉が騒ぎを起こしたからなに?しかも、話を聞く限り都波高校で、でしょ。あんた達も私も、関係ないと思うけど」
関連性が全く見えない。
私は恭平の元カノであって達哉とは一切関係がないし、目の前の彼らは光渦高校の生徒で達哉が問題を起こしたらしい都波高校とはまた別の高校。まったく意味が分からない。
眉を寄せた私に男はニタリと笑った。
「うちの高校、都波と繋がってんのよ。残念なことに、協定ってやつ。都波から何回もせっつかれてさあ、探さない訳にもいかないでしょ?」
「だから、その探すって意味が分からない。どうして私が探されるの?」
「芝原の達哉クンがヤった事を水に流してやる代わりに――妹差し出せって言ったらぁ」
妹。達哉の、妹。
恭平を好いているという達哉自慢の可愛い妹。
「代わりに私を売ったって、言うの」
「そう!察しがイイねぇ。柏木鈴子を差し出すから妹は勘弁してくれって話になっちゃって、被害者はキミになったってことね」
男はぱちん、と指を鳴らした。
どうしてか、嬉しそうだ。楽しそうだ。こんな状況で、私はまったく楽しくないのに。
意味が分からない。
何で代わりに私が?
「冗談でしょ、なんで私なの」
「冗談じゃねぇよ。ちょっとは黙って話聞けよ」
ひゅっと喉が鳴った。
低く下がった声に冷や汗が流れる。
この感じ、よく知っている。
達哉がキレかけたとき、こんなふうに、唸るように、声がぐっと下がった。
「まぁ、不幸な目に見舞われたキミに俺はチャンスをあげようかなぁって思うわけ」
すぐに元に戻った声音は、明るくてふざけたようなもので。
舌からチラチラと覗く銀色のピアスがあまりにも非現実的で、私はそっと目を瞑った。
「俺と付き合ってみない?柏木鈴子ちゃん」
漸く別れられたと思ったのに、次こそ年上で社会人で、大人な人と付き合いたいと思ったのに。
この仕打ちは、なに?
充の悪役度が増している。ありがとうございました。




