第10話 羽柴充の目印
「――ゼリーがたくさんあるねぇ」
声音はいたって普通……に聞こえるけれど、物々しい雰囲気に振り返れない。
悪いことをしたなんて意識はないのに、みーくんの顔を見られないのはどうしてだろうか。
「いつもこんな感じ?」
「前はちゃんと作ってたんだけど、ちょっと色々あって面倒くさくなった……と言いますか、なんと言いますか……」
恭平と付き合う前は、ちゃんと自炊して節約もしていた。
洗濯や掃除を恭平が進んでやってくれるものだから、不思議と半同棲みたいな付き合いになっていった。
付き合い始めてご飯を振る舞っていくうちに、恭平はそれを当たり前と捉えるようになり、家に来たら『ご飯は?』と聞くようになった。
それから3週間くらいした頃。つまり達哉が来るようになってから、恭平は私の扱いを瞬く間に変えた。
達哉がいるときは何もしないし、私が2人に何かしてあげることが増えた。
毎度毎度やって来る達哉に、いつの間にか疲れが溜まるようになって、私は何もしなくなった。
2人の前ではグータラに見せかけて……と思っていたのが板について、ついやらないのが癖になった。
結局は、元々大雑把だった性格に拍車がかかり、さらに手抜きの不摂生という現状が出来上がった。
1日1食。あとはゼリーで適当に済ませるという、不健康極まりない食生活がこうして完成したわけだ。
それでも、恭平と別れてからはそれなりに空腹を満たしたいと思うようになった。
「りーんちゃん」
「……何でございましょう」
「コッチ向いて」
グラスをテーブルに置いて恐る恐る振り返ったら、少しだけ困惑したようなみーくんがゼリー片手に立っていた。
「そぉんな怯えなくても、怒んないって。ちなみに、いつからこんな食生活?」
どうして怒っていると思ったのか、自分でも分からなくなるくらい、みーくんは普通に笑った。
その顔にほっとして、ひとまず思い出してみようと首をひねる。
正確には覚えていないけれど、2か月はこんな感じだったような気がする。多分。
「2か月ちょっと前、くらい」
「それって恭平と付き合い始めてすぐだったりすんのかなぁ?」
「……」
「――アイツ潰す。顔面潰す」
「みーくん」
『止めては禁句』
実感が湧いてくる。
みーくんが言った、あの言葉の意味。
私の汚い感情も嫌な感情もすべてを奪って引き受け、それが私を繋ぎ止める方法だと言った、狂気の沙汰。
みーくんが引き受けた感情は、私が隠しておきたいもの。
誰もが簡単に口にする負の感情。
それを行動に移す人は滅多にいないけれど、確実にみーくんは行動を起こす。
私のためじゃなく、私の代わりだと言いながら、恭平と達哉に手を下す。
それを止めてと言ったなら、私はきっと偽善者になる。
そして、いい子になれる。
だけど、心の奥深くに眠る『様を見ろ』という薄汚い気持ちは、確かに私にあった。
「何事もやりすぎは駄目だよ、ダーリン」
「捕まらない程度にやるよ、ハニー」
私に言えることなんてこれくらいしかないんだと、胸に刻み込む。
私を抱き締めて毒を囁いたみーくんは、自分の狂気に理由をつけようとしているようにも見えた。
俺がコトを起こすために理由をちょうだい。
そんなニュアンスの甘い誘惑。
朝食を済ませて時計を見たら、すでに9時を示していた。
みーくんはポケットから小さなケースを取り出して、耳についていたピアスをひとつずつ外し始める。
「ピアス外すの?」
「付け替えんの」
ふんふん、と鼻歌混じりに10個のピアスを外し、上機嫌な様子でケースの中に落としていく。
つけていたシルバーピアスは、装飾も何もないシンプルなもの。
外し終えると、今度はもうひとつの手のひらサイズのケースを取り出した。
その中には、さっきとは正反対のゴテゴテな厳ついピアスが入っていた。
モチーフは龍に虎、蜘蛛に蠍とさまざまな種類があるけれど、トライバルやクロスなんかの洋モノもある。
一貫して同じなのは、ゴツいことだ。
「みーくんのピアスって、ゴッテゴテなやつしかないの?」
「んー、面白いのもあるよ。カエルとか手裏剣とかぁ、……こんなヤツも?」
ほら、とぶら下げられたのは、赤いエナメルプレートがついたハート。
明らかに女の子向けなそれに微妙な顔をしながら、自分の耳に無意識に触れる。
1回きり、穴を開けた私の左耳にはずっと透ピンが収まっている。
可愛らしいピアスなんてつけたこともない耳は、おしゃれのために開けたわけじゃない。
ただの反抗心で開けただけの寂しい穴。
「つける?」
きょとんとした顔のみーくんがつまんで差し出したのは、バタフライ。
「……いい」
首を振ってそれを断る。
膝を抱えてソファーに座り、みーくんの肩に頭をもたれさせて、たんまりピアスが詰め込まれているケースをぼんやり見つめた。
「どーれに、しよっかなぁー」
ピアスを楽しそうに選ぶみーくんは、声音の割に目が笑っていない。
「もしかして、毎日つけ替えてる?」
不思議に思って聞いてみる。
じっと見たことはないけれど、私に会うときはいつもシンプルなスタッドピアスしかしていなかったような気がした。
「最近は大人しくヤってたからねぇ」
「……ヤってたのトーンがおかしいような気がするんだけど」
「気のせい気のせい」
「今日は大人しくないの?」
「今日から、ね。ほら、りんちゃん、俺にピアス選んでよ」
あからさまに話をはぐらかしたみーくんに目を細めてみたけれど、選んでいいと言われたら浮き足立つのは仕方ない。
人のピアスを選ぶのは初めてで、少しどきどきする。
詰め込まれているピアスは重なって種類が見えにくい。
テーブルの上にケースをひっくり返して広げた私に、笑い声が上がる。
「りんちゃっ、意外とゴーカイ……!」
「だって、どんなやつがあるか重なってたら見えないし……。ごめん」
「いやイイんだけど、実は大雑把だったりすんのかなぁ?」
「結構、大雑把だと思います……」
広がったピアスをひとつひとつ見ながら選んでいく。
薔薇に菊に牡丹。花をモチーフにしたピアスなんかもあって、バリエーションはかなり豊富だ。
「みーくん、ピアスホール10個だよね?」
「そーですよー」
「じゃあ10個選んでいい?」
「いいっすよー。……なぁんか楽しそーね、りんちゃん」
「人に選ぶの初めてだからじゃない? それより、みーくん普通に喋って」
「んー……これでもりんちゃんには普通に話してるけどなぁ」
それは絶対嘘。そう断言できる。
適当でふざけた話し方は、正直かなり気味が悪い。
慣れてきたほうだとは思うけれど、たまに低い声を出されると、その差に背中がひやりとする。
「決めた」
人差し指でピアスを移動させながら、まずは5つ選んだ。
それからまた5つ。
合計10個になったシルバーピアスは、フープタイプのものとスタッドピアス。
シンプルなものを選んだ私に、みーくんが苦笑する。
「これじゃ目立たないし?」
みーくんが手にしたのはスカル、髑髏モチーフのもので、やっぱり厳つい。
そんなに目立ちたいなら、とひとつだけ紛れていたゴールドのイヤーカフをみーくんに渡す。
「これで目立つでしょ。……みーくん、何で目立ちたいの?」
「羽柴充ですよーって、前にも言わなかったっけ」
「言ったけど、その意味が分からない」
「アクセつけて、チャラい格好して、目立ってたらすぐ俺って分かるしねぇ」
「喧嘩売られたいってこと?」
「そぉんなカンジ」
慣れた様子で耳にピアスをはめていく姿をまじまじと見ながら、思い出す。
そういえば、振り込みに行かなきゃいけなかった。
急に立ち上がった私をみーくんが見上げて、首を傾げる。
「りんちゃん?」
「私、振り込み行かないと」
「振り込み? どこに?」
「実家!」
午前中に行くつもりだったのに、すっかり抜け落ちていた予定を思い出して慌てる。
バタバタと走り回りながら準備して、寝室にあるドレッサーから立ち上がったのは、午前10時半になる頃だった。
右往左往する私をみーくんは興味深そうに見ていて、出かける用意が終わると、合わせるように立ち上がった。
ブーツカットデニムにTシャツ、パーカーを羽織った、色気のまったくない20歳。
可愛らしさなんて1ミリもない格好の私を見ても、みーくんはがっかりしない。
特に反応せず、いつもどおりにやついているだけで、落胆も賛美もしなかった。
玄関の鍵をしっかり閉めて、エレベーターに2人で向かう。
並んで歩く姿は、やっぱり兄妹にしか見えない。
微かに触れた手のひらにどきりとした私を見て、みーくんはこともなげに手を繋いだ。
恋人繋ぎのそれは、恭平ともやったことがある。
だけど、決定的に違うのは、恭平と違ってみーくんが私に歩調を合わせてくれること。
恭平みたいに引っ張っていく歩き方じゃない。私の隣を歩くことに意味があるとでも言うような、気遣いの歩み。
エントランスを出て最初に目に入ったのは、まだ記憶に新しいあの黒いバン。
「……じゃあ、また明日」
「だーめ。ハイ、乗って」
やっぱりみーくんが呼んだらしい。
その場で別れようとした私の腕はがっちり捕まれ、引き留められる。
あの日は絶対に乗るもんかと思っていた黒いバンに、なぜか恐怖は薄れていた。
だけど、顔出しとやらに納得したわけじゃない。
そう思ってみーくんを見上げてみる。
「振り込み、間に合わなくなってもいーんだぁ?」




