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ハロ  作者: アキヒト
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ハロのお話

「ねー、ハロ」

「ん、なんですかニコラ」

「私、これからはちゃんと春男って呼ぶわ」

「なぜです。私はあなたからそう呼ばれていることに慣れているのですが」

「だって、あの時はうまく言えなかったからそう呼んじゃったけどさ。もう私とっくに日本語ちゃんとしゃべれるじゃない。それに、今からちゃんとしとかないと人様の前であなたのことハロ、って呼んじゃいそうだから」

「そうですか。しかし、少し寂しい気もしますね」

「だけど、しばらくはまだハロって呼ぶかもしれないわ」

「そうですか」

「ねえ、ハロ約束してくれる」

「はい」

「…まだなにも言ってないけど」

「それでは約束しないと言ったらあなたはどうしますか」

「そんなことはさせません」

「そうですね。それでこそニコラです」

「けど…とりあえず聞いてから返事して」

「分かりました」

「よろしい。それじゃ、まずひとつね。私や私達の子供を大切にすること」

「当然です。そんなのは約束しなくても必ずそうします」

「そうかしら。春男は嘘つきだから」

「私がいつ嘘をつきましたか。私は嘘はつきませんよ」

「それが嘘よ」

「そうですね」 

「認めちゃうの?」

「認めちゃいますね」

「駄目じゃない。それじゃ」

「けど約束は守りますよ。あなたと私達の子供は必ず大切にして、どんなことがあっても守ります」

「まあ、いいわ。それともうひとつ」

「はい」

「――――――」

「ええと、それは…」

「なに、約束してくれる、って言ったのに、はいって言ったでしょ。嘘はつかないんでしょ」

「ええ、そうですね…分かりました。約束します。しかし、神父様は困ってしまうかもしれません」

「いいじゃない。だけど、神父さんまだ?いつ始めるのかしら」

「さあ、そろそろだとは思いますが。とにかく中に入りましょう」


 奥の部屋に神父様はいらっしゃいました。神父様は真剣な顔をしていて、なにをしているかと思えばラジオで野球中継を聞いていました。僕が肩を叩くとバツの悪そうな顔をしています。もう七十歳を超えた神父様は悪戯が見つかったような顔をしました。野球が絡むとまるで子供です。

「すみません、ちょっと細々とした用事をすませていたものですから」

「そうですか、あとどれくらいで終わりますか」

「ええ、そうです…ああ、もう大丈夫です」

 ちょうど試合終了を知らせる声がしたところで神父様はラジオを消しました。今日は巨人は負けたようです。神父様は落ち込んだ様子を隠そうともしません。

「やはり金田がいなくなったことはまださみしいですね」

 去年引退してしまった金田のことがまだ未練があるみたいでしたが「まあ、巨人が優勝しない訳がありませんからね」と、すぐに元気になったようです。

「さあ、それでははじめましょう。ニコラはもう来ていますね」

「はい、かなり待ちくたびれています」

「そうですか。あの子を怒らせると後で何をされるか分かりませんからね。それでは参りましょう」

「あ、神父様、ちょっとよろしいですか」

「はい、なんですか」

「あのですね…」

「…ええと、それは…」

 神父様はかなり困った顔をされました。無理もありません。こんなお願いするなんて普通はないのですから。しかし、ニコラがやるといったらなにがあってもやるしかないのです。

「すみません、お願いします。こうしないとニコラは神父様にも怒るかもしれません」

 神父様は苦笑いを浮かべます。僕も同じように。やれやれ。

「しょうがないですね。これは秘密ですよ」

「すみません、ありがとうございます」


「新郎、木塚春男。汝は新婦となるニコラ・キサラギ・サザランドを妻とし、良いときも悪い時も、富める時も貧しき時も、病めるときも健やかなる時も死が二人を分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることを誓いますか」

 僕は神父様を見ました。神父様は苦笑いし、ニコラは眉を少し釣り上げて僕を見ています。しょうがないですね。神様、見逃してくださいよ。

「誓いません」

「そうですか、あなたは誓いますか」

 ニコラは勝ち誇って言います。

「絶対誓いません」

 何に勝ったかは分かりません。

「そうですか、まったくしょうがない夫婦ですね」

 神父様は「それでは」と続けます。

「新郎、木塚春男。汝は新婦となるニコラ・キサラギ・サザランドを妻とし、良いときも悪い時も、富める時も貧しき時も、病めるときも健やかなる時も」

 そう言って神父様は僕とニコラを交互に見た後、「神様には秘密です」と囁いて続けます。

「そしてたとえ、死が二人を分かとうとしても、その死の二人を引き裂かんとする力に打ち勝ち、生きる時もそして神の御許に行く時も共に愛し慈しみ貞節を守ることを誓いますか」

「誓います」

「新婦、ニコラ・キサラギ・サザ…」

「誓います」

 やれやれ。神父様は笑いながらため息をつきました。

「こういうのは形が大事なのですよ。一応は私にも言わせてください」

「あ、ごめんなさい」

 まったく、と言った神父様は振り返りマリア様の像を見上げます。その横顔は呆れて、けれどおもしろがっているようにも見えます。

「本当にしょうがない夫婦ですね」


「ハロ」

「なんですか」

「神様に誓ったんだから、約束破ったらとんでもない目にあうからね」

「分かっていますよ。まったく、強情な人ですね」

「今頃気づいたの?」

「いいえ、会ったときから気づいてましたよ」

「私も会ったときから気づいてたよ」

「なににですか」

「さあ、なんでしょうね。あ、もうこんな時間だ。私夕飯の買い物してくるね」

 ニコラの走っていく後ろ姿を見送っていると後ろから足音が聞こえます。神父様は両手に蒸かしイモを持ってきて私に一つ渡しました。私も神父様もそのままかぶりついて黙々とイモを食べます。先に話したのは神父様でした。

「あなた達は本当に困った人たちですね」

 それに無言で答えます。「ちゃんと返事をしなさい」と頭を叩かれました。私を育ててきた人でも私の以心伝心は通じないようです。「まったく、とんでもない大人になってしまったかもしれませんね。あなたもニコラも」

そう言う神父様は、けれど、と続けます。

「あなた達に神のご加護があることを願います」

 神父様はイモを全部食べると「さあ、私は戻るとしましょう」と言い、教会に、僕を育ててくれた場所に、一人で戻ります。その背中を、教会の扉が閉まるまで僕は見続けました。

 僕は教会に背を向けて僕達の家に帰るために歩き始めます。いつでも来れるはずなのに、さよならを告げたような気分になります。

 夕暮れの中で、家に帰って行く子供達に追い抜かれ、あちこちから香る料理の匂いを嗅ぎながら僕は帰ります。

 まだ見慣れない僕達の家、歩けばミシミシ、ギシギシと音楽を奏でるアパートのドアを開けます。

「おかえり」

「ただいま」

 今日はカレーのようです。部屋に上がり、台所を通って居間に座ります。振り返り、リズムよく野菜を切っているニコラの後ろ姿を眺めながら僕は心に決めます。

 約束は絶対に守りますよニコラ。絶対に、死んでも守ってみせますよ。

 それはあなたのあの海のような目を見た時から心にそう決めていたのですから。

「あいた!」

 おっと。どうやら包丁で指を切ったみたいでした。一昨日買った絆創膏をタンスから取り出してニコラに渡します。

「本当にニコラらしいですね」

「なに、馬鹿にしてるの」

 ニコラの顔を見ながら、私は微笑むのをやめられませんでした。「やっぱり、馬鹿にしてるでしょ」そう言ってニコラは、怒ってきます。

沸騰し始めた鍋のお湯がそんな僕達をクツクツと音をたてて笑っていました。 

  


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